田口ランディ Official Blog:日々雑感
2024-02-02T10:58:00+09:00
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作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。
Excite Blog
岩崎さんのネギ
http://runday.exblog.jp/33243962/
2024-02-02T10:58:00+09:00
2024-02-02T10:58:00+09:00
2024-02-02T10:58:00+09:00
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日々雑感
岩崎さんのネギ
「岩崎さんから野菜が届いたよ〜!」
仕事の手を止めて台所に駆けて行くと、夫が野菜を仕分けしている。
長崎県、雲仙で在来種の野菜を育てている岩崎政利さんから届く野菜の宅配が楽しみだ。みんないい顔をしている。個性的で味わい深い野菜たちは岩崎さんが種を採り何十年もかけて固定させてきた、ザ・在来種。
なかでも立派な九条太ネギが目を引いた。
毎回、岩崎さん直筆の野菜にまつわる随筆が同梱されてくる。
「こ、これは九条太ネギへのラブレターだね!」と夫と二人で声に出して読んだ。
タイトルが「やっとおいしさを表現してきたネギ」。
岩崎さんは九条太ネギを京都で種を守り続けている農家さんから分けてもらったそうだ。京都の農家さんは京都の在来種を宝のように大事にしている。分けてくれたのは岩崎さんを心底信頼してのことだ。いただいたわずかな種を大切に育て続けて三十年。
種はだんだん長崎の岩崎さんの畑になじみ、姿や味も固定してきた。
野菜の姿が自らおいしさを表現する、そんな野菜を岩崎さんは育てようとしている。時には四半世紀をかけて種を選別しながら、理想の野菜のフォルムや色や味を追求する。岩崎さんの中に理想の九条ネギのビジョンがあるが、でも、それは表現されるまでわからない。野菜が岩崎さんの思いを表現するまで、求めている美は隠されている。
今年はやっと、初めて「おいしさが姿につながっている」のを感じたと書かれていた。三〇年間、九条太ネギと向き合ってきて、やっとネギが岩崎さんに応えてくれた。その喜びと感動が、文章からびんびん伝わってきた。
種から種へと、いのちを繋ぎ続け、野菜が土壌になじみ、岩崎さんにとって理想の九条太ネギに育つまでに三〇年という歳月が必要だったのだ。ほんとうに、野菜づくりとはなんと奥が深いのだろう。
でも、こんなに熱烈に野菜を愛すことができる岩崎さんが、なんだか羨ましかった。畑にいることが心底楽しく、幸せなんだろう。種を通して野菜と交流し続けている。岩崎さんは人間半分、あと半分は野菜みたいな人。いわば、妖精さんなんだよな。
野菜というのは、人間の思いに応えてくれようとするんです。
いつか対談で岩崎さんが語っていた。こんなに愛されたら、ネギも応えたくなるだろう……。
今夜は岩崎さんの九条太ネギを焼いて食べます。
岩崎さんの本、「種をあやす」もすばらしい随筆です。野菜作りの真髄が描かれていますよ。
「種をあやす」
そして、岩崎さんを慕う若い人たちが企画している「種を蒔くデザイン展2024」も時空間を越えたパワフルなイベントです。
https://www.organic-base.com/topic/tanemaki_design/
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アップデートに必要なもの
http://runday.exblog.jp/32789853/
2022-10-20T17:50:00+09:00
2022-10-20T17:50:29+09:00
2022-10-20T17:50:29+09:00
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日々雑感
脳というOSのヴァージョンアップに必要なのは「違和」だ、ということをデビュー当時から書いてきた。二十数年が経ったいま、かつて以上に「差異」や「違和」がエネルギーの元であることを実感する。
違う……ということがどれほど大事か、ってことだ。そして人は違うものを同じと見なすことで抽象思考をするが、微細な違いを認識することでエネルギーを得ているので、この両方を同時にやり続けなければならない。「同じに見えて微妙に違う」からその差異によってエネルギー(変化)が生じる。単に大ざっぱに「あれとこれは同じだ」とトポロジーで考えると合理的かもしれないが、エネルギー的には弱くなる。
脳は、たいへんエネルギーを使うので省エネをしたがる。ほったらかしておけば「同じこと」をしたがる。「いつも通り」とか「普通」という名の自動操縦に切り替えてしまう。どんな趣味嗜好をもってしても、生き生きとしているためには「違い」を探し続けなければ停滞する。世界は相似だが同じではない。
人類的に「違和」の時代に入り、これまでと違う生活様式や、コミュニケーションを強いられている。そこにロシアがとてつもない爆弾をぶち込んで世界は混乱に陥っているが、この激しい「違和」や表面化した「差異」はエネルギーだ。そういう風に捉えてみると、私は地球規模の変化の中でこれまでと違う流れを体験している1枚の葉っぱだ。人間として泳ぎきることは難しいが、葉っぱのように軽くなって浮くしかない。身体よりも実は質量をもっている「念」は「思い=重い」。
思いを軽くすれば、この流れに乗れるだろう。思いは言葉になり、言葉は呪術だ。呪術とは「定義」することであり、ある状態に留まらせることだ。別の表現をすれば封印することだ。ひとつのりんごがりんごとして封印され、1枚の葉っぱが葉っぱとして封印される。このすさまじい抽象化は、差別とつながる。差別とは「差」に対して、特殊な評価を下すことだ。微細な差を無視して「人種」などの大ざっぱな抽象化を用いて大ざっぱな「差異」に対して特殊な評価を与える。評価の根底にあるものはあまり根拠のない「思い=重い」である。
とてつもなく大ざっぱで抽象的な世界を構築して生きていることに気づくと、微細なものが微細なものとして感じられる。無限の相似のなかの差異が変化を生みだしエネルギーを回しているこの世界は、留まるものは何もなく、ただ無限の差異によって生き生きと脈動している。
昨日と同じ今日はなく、今日は唯一無二、そして永遠。
いい天気です。
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ざんねんな日本
http://runday.exblog.jp/32781433/
2022-10-11T20:37:00+09:00
2022-10-11T20:37:25+09:00
2022-10-11T20:37:25+09:00
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日々雑感
ざんねんな日本
気持ちを言葉にするのは難しいことだ。それが出来るのが作家だろう!と言われそうだが……気持ちを言葉に出来ないことのほうが圧倒的に多い。最近、わきあがってくる感情は特に複雑怪奇で途方に暮れる。
複雑怪奇な感情を安易に言葉に置き換えると「怒り」になってしまうことが多い。多くの場合「怒り」は感情の蓋みたいなもので、怒りの下に得も言われぬ思いがある。なので、怒りを表してしまうと本当のことを伝えにくい。
「残念だ……」という感覚が頻繁に現れるようになったのだが、この「残念」という言葉も一筋縄ではない。言葉は生き物としてアップデートする。たとえば「ざんねんな生き物」という本が売れているけれど、あの「ざんねん」のニュアンスは、とても今日的だなあと思う。
かつて「残念」は、悔しいという意味に使われることが多かった。たとえば「もう一歩でうまくいったのに、ちくしょー。残念だ!」みたいな……。けれど、このごろなんか違うような気がする。
「ざんねんな生き物」のニュアンスは「いいところもあるんだけど、その良さを相殺してしまうほどの短所を持ち合わせているためになんか本流から外れていて悲哀がある」「もはや全く合理的ではない方向に進化していてお気の毒ですらある」……みたいな感じだと思う。
この「ざんねんな感じ」は、国会とか、政府とかに関する報道、あるいは「国葬」とか「経済対策」とか、そういうニュースを聞くたびにわきあがってくるもやもや……と近い。
「ざんねんな政治」「ざんねんな国葬」「ざんねんなコロナ対策」「ざんねんな経済対策」……。「ざんねんな国民」としての自分。「ざんねんな国、日本」みたいな……、最近のもやもやはこんな感じで、せつない……。
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かけ算とたし算ってどこが違うんだ?
http://runday.exblog.jp/32781426/
2022-10-11T20:32:00+09:00
2022-10-11T20:34:50+09:00
2022-10-11T20:32:26+09:00
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日々雑感
京大の数学者、望月新一さんが数学界の超難問である「abc予想」の証明に成功した……というニュースは知っていたけれど、それがどんなものかなんてもちろん理解できるはずもなし。
2022年4月に放送されたNHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか? abc予想証明をめぐる数奇な物語」、暇ができたので見てみた。面白いが、やっぱぜんぜんわからない。当然だよね。ははは!
番組には当事者の望月新一教授は登場しない。なぜだろう?と望月さんのブログを検索すると、そこに「2022年4月のNHKスペシャルに対する「合格発表」: 前半はぎりぎり合格、後半は不合格」という、番組制作者にとっては厳しい投稿があった。
読んでみると、なるほど確かに望月さんが指摘する通りの誤解を私もしていた。望月さんが懸念している通りの誤解をしていたので、ブログに辿り着いて良かった〜と思った。
やっぱ、NHKの番組の内容が常に史実や事実に乗っ取って正確である、という思い込みはいかんな、と改めて思う。人間のやることだから間違いもある。自分で検証してみることは大事だ。
……とはいえ、こんな数学界の巨星たちでも悲鳴を上げるような難しい「宇宙際タイヒミューラー理論」を(すでに名前からしてちんぷんかんぷん)理解するというのは到底無理な話。そこで二コ生にあった、東工大の加藤文元教授の【MathPower2017】 07_講演「ABC予想と新しい数学」
を見てみた。_
この動画も相当難しかったのだけれど、前半までは加藤教授の説明がとてもわかりやすかったので、なんとかついていけた。最後はやっぱちんぷんかんぶんだった。
この「abc予想」で学んだのは、「かけ算よりもたし算のほうが難しい」という数字の構造?っていうか……数学の考え方?
えー、たし算ってただ足せばいいんじゃん?と私なんか思ってしまうんだけど、数学的にたし算というのはとっても破壊的な構造を持っているそうなんだ。なぜ?って思うよね。
考えたこともなかったけど、たし算とかけ算では「構造」が違う。
1から始まる自然数は、1という数からたし算によってすべてを作ることができちゃう。よって、たし算で数を作ると数はとってものっぺらぼう(無個性)になっちゃう。
ではもし、かけ算しか知らない人がいて、かけ算だけで自然数を復元しようとしたら……。たとえば、かけ算的に考えると12と13はどえらい違いなんだ。12は3×2×2だけど、13は「素数」ってなわけ。かけ算には素数という概念が登場する。素数は無限にあるから、無限の数を知らないといけなくなっちゃう。たし算は1さえあればすべての数を作れる。その分、数に個性が出ない。
それに、かけ算で出た答えには、かけ合わせた数それぞれの遺伝子みたいなんが残るんだけど、たし算は遺伝子が残らないので、答えからの演算が難しい。
で、このかけ算とたし算の間の関係を完璧に理解した人は、まだ数学界に1人もいないってことなんだよ、えーー?こんな単純なことがそんなに難しいんか?びっくりだ。
そんで、数学界の難問はどれもこのたし算とかけ算という異なる構造が混じり合って生まれるっていうわけ。かけ算とたし算は、一緒になっちゃうとものすごく扱いづらい、だけど、それを分けるなんて不可能ってなくらいに考えられていた。
望月新一教授はこの「かけ算」と「たし算」を分離して関連づける「abc予想」を証明した……ってことかな……。「かけ算」と「たし算」の間にはこんな関係があるんだよ、ってことが証明されれば、数学的な難問がみんな解けちゃう……ってなくらいすごい発見だそうだ。
で、望月さんの証明って、細かいことはてんでわかんないんだけど、どうやら「たし算」と「かけ算」を別々の構造世界に置いてみた……。それまで統一場で考えられていたものを分けた……ってことかな。発想の転換。入れ子状の世界を想定して、そこを「対称性」という情報でつないでみた……みたいな感じかなあ。そうすると、誤差が出るんだけど、その誤差の、つまり不均等の範囲を特定した……それが「abc予想」みたいな。
なんっか不思議だよね。同じ数を使いながら、それをかけ算するのかたし算するのかで別世界みたいな話。たったそれだけで、ぜんぜんちゃうのに、実際には渾然と混じり合って使われているって面白いよね。
生きてるとか死んでるなんてのも、あんがいそんな感じなのかもなあ……みたいなこと思った。同じ要素なわけだよね。生きてる時も死んでいる時も。でもきっと微妙に誤差があるんだろうな。その誤差が生死の分け目みたいな(笑)
……とか、わかったふうなこと書いているけど数学的な言語が使えないので、いいかげんなこと言ってるよ。ここら辺の説明はあんまり信じないでね。私、分数計算だって出来ないくらい算数苦手なんで。
数学は「素数」のゼロ点が一直線上に並ぶのか?という命題が、いまや「原子核のエネルギー値の不確定な変動の間隔と関連性がある」ということから、この宇宙の成り立ちを証明するかも?と期待されていたり、最近、数ってトレンドでとっても面白いのだけれど、頭がついていかんなあ……。
トピックを追うだけでも目が回る。でも、なにかが確実に近づいている感じはある。なにかって? うーん。なにかこれまでの認識を完全にひっくり返すようなすごいもの。うん。なんかわくわくするね。小学校の算数はもっと楽しく勉強できたらいいのにな、って思う(あ、もちろん国語も)。
10月は創作を通して自分に向うにはよい季節なので「クリエイティブ・ライティング」を開催します。2ヶ月ぶりの開催です。
10月29日〜30日の土日の午前中です。
https://pekere-co-creative-senter.webnode.jp/
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アルゴリズムに刻む
http://runday.exblog.jp/32778804/
2022-10-09T08:26:00+09:00
2022-10-09T08:26:36+09:00
2022-10-09T08:26:36+09:00
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日々雑感
NHKオンデマンドで「フランケンシュタインの誘惑」というドキュメンタリーシリーズを見ている。理想の人間をつくろうとしたフランケンシュタインが怪物をつくってしまったように、科学技術を誤って使った科学者たちが人類史に遺した負の遺産を特集している。毎日、少しずつしか見れないのだが、昨日は2本を続けて見たらお腹をこわしてしまった。ダメージを受けた。内容は精神医学にロボトミー手術(前頭葉白質切截術)という外科手術を導入したウォルター・フリーマンの物語。高校時代に「カッコーの巣の上で」という映画を観て衝撃だった。初めてロボトミーという治療法があったことを知った。だが、この治療法がかつて精神医療現場で大流行したことは……つまり、ここまで世界中の精神病院に普及していたという自覚も知識もなく……映画を観てから40年以上経って再び衝撃を受け、お腹がピーになってしまった。
ウォルター・フリーマンの祖父は初めて脳腫瘍の摘出手術に成功した脳外科医だった。その祖父を尊敬していたフリーマンは成長して精神科医になり、患者に脳外科手術を試みる。脳を開けて一部を削除するという発想は子どもの頃から祖父を通して培われたものだった。ロボトミー手術は新聞で称賛され一躍有名になったフリーマンはこの手術の正当性を盲信。さまざまな精神病院でこの技術を教え、手術室も麻酔医もいない精神科病院でも施術が可能であるように、電気ショックとアイスピックで行う合理的なロボトミー手術を開発。麻酔なして患者の前頭葉にアイスピックで穴を開けるという、乱暴な手術が行われ、多くの患者の人生を奪った。ケネディ大統領の妹までこの手術を受けていた事実を見れば、どれほどこの「ロボトミー」という治療方法が「精神疾患の治療方法」として当時、大流行していたことがわかった。
前頭葉の前部の神経繊維を切断するという処置はポルトガルの神経学者エガス・モニスによって考案され、モニスはこの研究によってノーベル賞を受賞している。フリーマンはモニスの論文を読み、この手法を世界に広める伝道師になった。特に女性の患者に多く施術された。
人がなぜ精神を、心を病むのか……その原因について20世紀初頭の科学はまったく無力だった。精神を病む人間が増えて精神科病院は満員になるも、その治療方法がわからない。病院は治療せず収容する場所。
19世紀から20世紀にかけて社会システムが大きく変わり、そのプロセスの中で多くの人がストレスを感じ、適応できなくなっていたのかもしれない。心の病は「関係性」に起因するという考えは、この当時はなかった(今もしっかりとあるとは思えないが)。
科学が新しい宗教のように信奉された20世紀に、人々が「人間の前頭葉の神経繊維を切断する」という治療に大喝采を送った事実を知り、この人間のなにか新しいものに熱狂する性質や、科学への盲信は、21世紀の今となってもほとんど変わっていない……と感じ、腸がねじれていくような不可解な感覚を覚え、夜中に何度もトイレとベッドを往復することになった。
「ロボトミー」は当初、重篤な患者に施術されていたが、暴走を続けて思春期の少年や、反抗的な患者を支配するために使われるまでになった。人間の残虐性……というよりも、弱い他者に対して「都合のいい正当化や正義」を通して支配してしまう、そのご都合主義のようなものが、確かに自分にもあることがわかるため、どうしようもなく気分が悪くなってしまうのだ。自家中毒に近い。いま、現在にだって、似たような事はたくさん行われているが、それを行っている人たちにはそれぞれに信念があり、正義や合理化や大勢の幸せのために、仕方のないこととして少数の人々の犠牲を強い、多数決を民主主義と呼んだりもする。そこに自分が加担していないと言いきれない。
自分の信念は常に疑っていなければいけないと思う。それは、どうやって? 人間の自我はとても弱い。なぜチベット密教はあれほど「菩提心」を説き、慈悲の心を養おうとするのか、しかし、その慈悲心だって都合のよい解釈をすることで人を殺すこともできる……。
感じたことを言葉にしていくことが、自分への治療であり、日常的にできる考えの整理、記憶の整理であり、物事を深めていくための手段だ。これを止めたら、立ち止まることができずに流されて、どんどん流されていきそうだから、書き留めている。書くという語源は、甲骨文字にあり、骨に文字をひっかいて刻むことから来ている。ひっかいて、ひっかいて、確かめていく感じ。自分の骨に、刻んでいる、そんな感じ。誰にとっても必要なこと。ここに刻む。かつては自分のノートだったけれど、いまはネットのアルゴリズムに刻む。
無自覚に使っているこのネットワークの情報は、ディープラーニングされ蓄積されている。だとしたら、ここになにを刻むのか、それが未来になにかしら影響を与えるかもしれない。そういう、壮大な社会実験に参加させられているという自覚も、持てないまま。
10月は創作を通して自分に向うにはよい季節なので「クリエイティブ・ライティング」を開催します。2ヶ月ぶりの開催です。
10月29日〜30日の土日の午前中です。
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希望への航海 無事に船出!
http://runday.exblog.jp/30491656/
2019-10-16T15:38:00+09:00
2019-10-16T15:38:46+09:00
2019-10-16T15:38:46+09:00
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日々雑感
10月14日は雨。前日の晴天とはうって変わり、凍える寒さ。
第五福竜丸展示館の前で、11時から予定通りのイベントが行われました。
ケン・ヒラツカを始めとする、日米のアーティストの競演。
原爆や水爆実験をテーマにした、舞踏やアート作品の制作が行われました。
この日、私は短い英語の詩を朗読しました。
英語で詩を朗読するのは初めて。
なんでも、初体験のことって楽しいです。
うまくできるかどうかは問題じゃない、やるかどうか。
じぶんが楽しんでやれるかどうか。それだけだ。
間違うことを怖れている。でもそれ以上に、
体験を楽しんでいる。
怖れも、楽しみの一部と考えれば、
ホラー映画みたいなドキドキの人生って、いいじゃん。
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いつまで未熟でいるつもりだ、ばか者よ
http://runday.exblog.jp/30354321/
2019-07-08T10:59:00+09:00
2019-07-08T15:17:52+09:00
2019-07-08T10:59:55+09:00
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日々雑感
「地下鉄サリン事件の時には、生まれていませんでした」という若い新聞記者から事件の取材を受けた。
「えっ、生まれていない……?」
子どもとほぼ同じ年の記者が私に取材をしているこの現実に、唖然とした。
(わたしにとって、まだ昨日のことのようなのに)
ああ、年をとるとはこういうことなのか……。
作家になったころ私はまだ若くて、どこに顔を出しても未熟で半端者で、目上の人たちからなにも知らないと諭され、勉強するように言われてきた。そういう「未熟で無知な自分」という自己認識のまま、いま60歳になろうとしていた。
私はもう「歴史についてよく知らない」とか「そのことを語る立場にない」などとごまかしを言える年ではないのだ。
私は知っているじゃないか。
……若い記者が私の著書を読んで「この本のどこまでが事実か教えてください」と言う。「オウムってほとんど知らないんです」と。
そうだろう、たとえば戦後生まれの私は「戦争を知らない」世代。だから若い頃は戦争を知っている世代に「おまえらは戦争を知らない」「安保闘争を知らない」と散々にその無知と愚かさを指摘されてきた。
でもね、いまは違う。私は戦争を取材してきた。原爆や、大量虐殺や、太平洋戦争を取材し、その場所に行き、当事者に会ってきた。多くの人は亡くなった。でも生の声を聴いている。その私はもう「戦争を知っている」人になるのだ。いつまでも「知らない」ことに劣等感を持っている場合ではないんだ。ああ、私は老いた、びっくりだ。
夢中で、若い記者にしゃべった。知っていることを全部伝えたいような気持ちになった。記者も一生懸命に聞いてくれた。「そんなことがあったんですか?」「そうか……」「でもまだよくわからない……」「なるほど」
オウム事件は国家的な現象でその全体像をどう伝えるかにはかなり主観が入る。だとしても私が体験していることは伝えたいと思った。当事者たちに会っている。対話している。
この国に生きて、半世紀を見てしまった私は見識をもつ大人なのだ(あんなに未熟で何も知らないと感じていたのに……)。
私が話さなければ体験をもとに話をする人間はすぐにいなくなってしまうのだ。だからこうして事件を知らない若い記者が取材に来る。彼は、あの時、生まれていなかったんだ……。
やっと「ものを知っている年寄り」として発言する覚悟をした。間違うかもしれないが、私の知識と人脈は多岐に渡り「体験」を元にしている。私は実際にその「人たち」に会い、その「場」に行き、直接に話を聴いてきた。そういう自分を初めて発見するという、些細で重大な、自己認識の組み換えが、若い記者の真摯な問いによって起きた。
「逆さに吊るされた男」この物語は地下鉄サリン事件実行犯で元死刑囚林泰男氏との交流をもとに描いた私小説だ。2017年11月に出版された。出版までに4年を要した。林氏の細かい証言と出版の承諾を得るまでに時間が必要だった。現実に起きた事件を扱っているが、内容はフィクションである。宗教的体験に近いものを物語として表現したかった。
主人公自身がある宗教的体験にからめとられていく様を描きたかった。この事件は、宗教的修行が持つ危うさと魅力を孕んでいる。
元死刑囚林氏との交流は14年に及んだ。
昨年7月26日、林氏は処刑された。私は処刑の10日前に面会、処刑前日の手紙を受けとっている。私の作品は処刑前に出版されたもので、その後、林氏が仙台に移送されてから、死刑執行されるまでのことは、ほとんど発表していない。
処刑直後はそれを書くと苦しくなり、しばらく日本を離れていた。今年も日本に離れる予定だった。命日に日本にいたくなかった。……が、「地下鉄サリン事件のときは生まれていなかった」と若い記者から言われたとき、現実と自分の内的な思いの不一致にとまどった。
どこからどう伝えたらいいのだろう?
この記者から見たら……私はどういう人間なんだろうか?と思った。
どれほどのことを経験している大人として私は見えるんだろうか。
もう私は未熟な若者ではなく……歴史を見てきた年長者なんだなあ。
記憶が定かなうちに「移送から処刑」までの彼の手記、手紙や発言の内容をまとめておこうと、初めて思った。自分はこの数年間、眠っていたような気がする。「この問題にかかわるのはいやだ」と、本を出版してからずっと思っていた。どう説明したところでオウムの問題は謎が多すぎて、それにもう誰も関心をもっていないよ。
実行犯と交流する機会を得た人間はわずかだ。その他にも、さまざまな関係者と出合ってきた。にもかかわらず、そういう自分を「私はオウムをよくわかっていない」とか「もっと専門家や学者がいっぱいいる」「ジャーナリストではないし」「まだ未熟だから」と思い、「出る幕じゃない」と感じていた。
本書「逆さに吊るされた男」は2017年の11月に出版しているが、この時、私のなかにはすでに「死刑執行が近い」という予感があった。執行のことはマスコミ内でも囁かれていた。執行へのムードが高まっていたというべきか……。それはじわっと無言に不気味なプレッシャーとなって死刑囚と関係者を締めつけていた。林さんが生きているうちに出版したいと思った。なんとしても林さんが生きているうちに。もし出版が翌年にズレていたら……出版どころではなくなっていたかもしれない。
私はこの本「逆さに吊るされた男」が出版できたことは奇跡だと思っている。
林さんが処刑され遺書が届き、また死後にさまざまな方々と林さんについて語り合ううちに、新たな事実が見えてきた。実際の処刑を関係者の一人として体験し、その時代錯誤な理不尽さも体験できた。マスコミの言説にどれくらいの信憑性があるのか、検察や司法の矛盾点も多々見てきた。だが、それらの体験を「書く」とか「伝える」という気持ちにすらなっていなかったのは、たぶん「自分の言うことは不確かで未熟だから」という私の甘えたメンタリティのせいだと思う。
年をとり伝える側になったのだ、という自覚がなかった。
「逆さに吊るされた男」は、私が2017年、死刑囚林泰男さんが生きている時に彼の納得を得て書くことができたすべてだ。ここにはオウム真理教という教団の組織の問題と、歪んだ教団組織で生きた林氏の苦渋と決断と葛藤を描いた。事件の解説ではない。事件の背後を描いたつもりだ。ドキュメンタリーではない。だが、林氏が所属した組織のムードを描いた。それはどこか、私が生きている場所と似ているなと思いながら描いた。
もし未読の方はぜひ読んでください。若い人の力が私をやっと年寄りにしてくれた。私はこの場所でやれることをやる。続編も書く。
新しい人たちの出現によって、私も人生の後半にやるべきことが見えた。
若い人たちと出会いたい。対話をしたい。伝えたい。記者の方と話していて、奇妙な興奮を覚えた「私の知っていることをすべて手渡したい」と。
それは新しい質の表現衝動だった。40歳の頃とは違うモチベーション。
モチベーションも質的変容をするのだなあ……と思った。
新しい人、若い人たちの力で、年寄りも変容するのだ。
だから若いみなさん、もっと老人を変容させてください、君たちの初々しさほんとうに新鮮ではすばらしい。
どんどん吸収し、世界を広め、たくさんの集合知を使って、21世紀をつくってください。
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事件・土地の来歴(登戸児童殺傷事件)
http://runday.exblog.jp/30294963/
2019-05-28T12:18:00+09:00
2019-07-08T14:31:52+09:00
2019-05-28T12:18:50+09:00
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日々雑感
今朝、川崎市多摩区の登戸で事件があった。
ニュース速報で「登戸」という地名を聞いたとき、ぼんやりとそのあたりの地形が浮かんだ。
私は登戸に住んだことはないのだが、登戸は「多摩丘陵への登り口」という意味の地名だと記憶していた。
多摩丘陵はかつて自然豊かな森が広がる水源地帯だったが、住宅地としての開発が進み、著しく森が奪われてきた。このあたりは、近くに縄文時代低地遺跡があり、古代から人間が生活してきた場所。狩猟採集に適し、後には稲作が盛んに行われた田園でもあった。いまは、ほとんどが住宅地となっている。
登戸は、確か多摩川を挟んで東京都狛江市と向き合っていたなあ、とGoogle地図を立ち上げてみた。
事件の現場となったのは、登戸駅北側信号から多摩丘陵に上がっていく次の信号「登戸第一公園」付近だった。登戸駅は、小田急線と南武線が交差していおり、また登戸第一公園は2本の道路がX字に交差する道の俣の部分に位置する。
登戸第一公園前を北東方向に分岐する道路には長い駐輪場があって、その下はどうやら暗きょ。用水路か。現場は複数の道路と水脈の上に位置し、エネルギーが集まったり乱れたりしやすい場所だなと感じた。
私が登戸を知っていたのは、子どものころに観た山田太一脚本の「岸辺のアルバム」というドラマの印象が痛烈だったから。このドラマは高度成長が進むなかで変化する家族の在り方をテーマにした名作。ラストシーンに現実に起きた多摩川決壊の映像が使われており、一戸建ての家々が川に流されていく実録映像が目に焼きついた。
その後、この多摩川決壊はなぜ起きたのか? という疑問を持ち、自分なりに調べていくと、多摩川の水をめぐる東京、神奈川の熾烈な水争いの歴史が浮かび上がってきた。稲作農業が中心だった時代は田んぼのために水の争いが起き、その後、高度成長期に入ると人口が増えて飲料水としての水が必要になっていった。多摩川の水をめぐる歴史は関ヶ原の合戦の頃まで遡る。
「あばれ川」として名高い多摩川も堤防工事の技術革新によって氾濫することがなくなり、安定した水供給ができるようになった近代。なぜ、大規模な多摩川決壊が起きたのか。ちょうど登戸から見て多摩川の対岸に「多摩川決壊の碑」がある。
◎多摩川大水害
1974年、台風16号が降らせた大雨で多摩川が氾濫。しかし、この台風によりる洪水は堤防よりも低かったので市街地への浸水はなかった。
堤防より低い洪水なのに、どうして大水害に、と疑問に思う。この台風で、多摩川下流域にある二ヶ領宿河原堰(登戸の近く)わきの左岸堤防が決壊。狛江市の民家19棟が流出して、住民は家を失った。
なぜ、こんな大水害に至ったのか。
洪水による堤防の決壊は、二ヶ領宿河原堰の左岸取付部から始まった。取付部は本堤防よりもはるかに低い河川敷にあった。水が河川敷まで上がったとき、左岸取付部の小堤防が崩壊。この小堤防は水を堰に導流するためのもので、厚さが15cm程度しかなく、コンクリートの強度も弱すぎた。(小堤防が洪水の流水に対して十分な強度を持っていなかった)
崩壊した小堤防は遮蔽物となって水の流れを塞いだ。この遮蔽物によって強い迂回流が生じ、堰の左岸取付部をえぐりとってしまった。そこに水が流入、河川敷の方向発生した迂回流は勢いを増し、水は河川敷をえぐりとり、結果として本堤防を侵食。岸辺付近の民家19棟を押し流して、大水害となってしまった。
狛江市災害対策本部は、遮蔽物によって激しくなった水の勢いを止めるため、宿河原堰の固定部を爆破することを決定。陸上自衛隊と建設省(現・国土交通省)によって堰の爆破が行われ、迂回流は消失。水は「ふつうの洪水」に戻った。
1976年、家を流された住民をはじめとする30世帯が、国に国家賠償を求めて提訴。この「多摩川水害訴訟」の裁判は結審までに十六年を要した。
この堤防の決壊は「天災なのか人災なのか」が問われた裁判。
裁判の結果、一審は原告の住民が勝訴。二審の控訴審では国が勝訴。これを不服として原告側が上告した上告審では二審の判決が破棄差戻しとなり、平成4年(1992年)、差戻控訴審で住民が勝訴して判決が確定。
多摩川水害は、国の瑕疵責任を認めた「人災」との結論が法廷によって示された。
ちょうど私が生まれた頃、1950年代後半から、日本経済は右肩上がりの高度成長期突入。 かつて田畑が広がっていた土地にも、道路や住宅が次々と建設され、風景が変わっていったことを記憶している。多摩川の風景も変化し、かつては篭を使っていた堰もコンクリートになっていくなかで、この「人災事故」が起きたのは象徴的だなと思った。
◎平成ぽんぽこ合戦の舞台、多摩丘陵
かつては多摩丘陵の登り口だった登戸。多摩丘陵と言えば思いだすのが映画「平成ぽんぽこ合戦」だ。開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、人間たちを相手にして狸が戦いを挑むアニメ映画。私にとって、多摩丘陵は、かつて「もののけ」が棲んだ場所であり、彼らの居住地区に人間がかなり無謀に礼儀のない開発を挑んだ場所だ。
その土地の来歴、土地の地形を見ていると、ここは明らかに神聖な場所だ、とか、なにかを封じている場所だな、とか、その土地の特異性がぼんやりと見えてくる。川も、土地も、海も、人間が、感性を使わずに頭だけで開発したところは無理があり、いつかその場所を元の持ち主が取り返しに来るだろうし、人間はそれを覚悟して、注意深く過去に起きた出来事から、何が起きるかを予見しないといけないよな、と思うようになった。
なにかの事件が起きたとき、原因を加害者の人格や犯行動機に求めるのは一般的で常識的なアプローチだと思う。私もそうだったが、年を経たいま興味をもつのは、どちらかといえば「どこで(どんな場所で)それが起きたか」「いつ起きたか」といったことだ。なんの役にも立ちそうにないが……。
昨夜のトランプ大統領の宮中晩餐会の様子が報じられていた。皇居に招かれたトランプ氏の赤い大きなネクタイが印象的だった。
そのネクタイは背広からはみだして、赤フンドシように見えた。
トランプ報道の最中にニュース速報が入った。
ちなみに今日、5月28日は「花火の日」。隅田川で慰霊のために花火があげられたことを記念しての日。隅田川の花火は1732年に、八代将軍徳川吉宗が開催した「川施餓鬼」が始まり。大飢饉によるコレラで江戸の住民がたくさん亡くなった、その供養のために、両国の川開きの時に水神祭を行い花火を捧げた。川にたむけた火の大輪の火の花。慰霊と思うと花火の美しさがせつない。どのような心地で江戸時代の人は花火を眺めたのかと思う。
結論もなく、論点もなく「なにが言いたいんだ」と思われたかも。
登戸という地名を見て、思いだしたことを書いてみた。ぼんやりとだが、メモのかわりに。
こういうことが、核になってなにかしらが、生まれてくるかもと感じつつ。
ただ、ぼんやりと書いてみた。
ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛していますじぶんの人生に起きること
いいことも、そうでないことも
なんであれ、じぶんが引き寄せているとしたら
引き寄せたことを抱きしめる
いま目の前の人生に現われていることは
私に責任があるとするだからってなにもできないけれど
責任はとれないけれど
無関係でいない道があるなにもできないけれど
唱えるだけでいいから
それで引き受けることができるからホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛していますクレンズしよう
中心に戻って ゼロに戻って
気分が悪い
悲しい
辛い
気にくわない
イライラするなにがこうさせてしまったんだろうか
原因探しをしても、むなしい
外に答えがあるとしたら、あなたは永遠に関係ない人
いま目の前に起きていることは
私と関わりがあるはずホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛していますだんだん気持ちが鎮まってくる
だんだん気持ちが鎮まってくる
起きてしまったことに
人ができる唯一のこと無関係にならないようにホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています
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見てはいけないような霊的富士山の写真集
http://runday.exblog.jp/30133238/
2019-03-06T16:50:00+09:00
2019-07-08T14:32:44+09:00
2019-03-06T16:50:07+09:00
flammableskirt
日々雑感
明日からの旅支度が終わらず、これでミャンマーで講演ができるのか?とオーマイゴッド!な修羅場の最中に届いた一冊の写真集。送り主は長年の朋友・佐伯剛氏だった。佐伯さんが写真を構成したという。くそ忙しいのだが、見たくてたまらないので包みを開いてしまった。そして……「お、表紙がすごくいいな」と思ってしまった。ついページを開いてしまった。ぎょぎょぎょ!と驚いてしまった。これは、なんだ見たことのない富士山だ。異形の富士だ。神がかっている。オカルト、スピリチュアル……うーん、どう言えばいいんだ。宇宙的で果てしなくぶっとんだ富士山だ。こういうものを送られたら、紹介しないわけにはいかんじゃないか、まったくもう、ぜんぜん荷物も整理できていないんだけど、しょうがない。感動は感動した時に伝えておかないと、生ものなので色焦るから……ああもう、佐伯さん、この忙しい時になんで……。この富士山の写真を撮っている方は、富士山の写真家として有名なのだという。私はよく知らない方だ。写真には詳しくない。だが、この写真家の方が、写真を撮るためにあえて富士山を撮っていないことだけはわかった。この人は世に出るつもりも、写真を他の人に見せるつもりも、あんまりないのだ、だからこれらの写真は佐伯さんという名編集者に発見されるまで隠されていたのだろう。佐伯さんは、写真家の自宅に行き、発表されていない膨大な写真の中からこの写真集の写真を発掘し、構成したと言う。
この写真家の方(大山行男さん)は、富士山を通してとてつもなく大きなものと出会う瞬間が快感で、カメラは遭遇のためのツールでしかなく、大いなる存在と出会うことで満足しているから、その時の出会いを人に見せて有名になりたいなんて、これっぽっちも思っていないのだ。そういう人だからこれが撮れるんだ。
つまり、そういう写真なんです。これは写真というよりも、一人の人間がコスモス……、サムシング・グレート、神、とにかくそういうものと遭遇した瞬間の映像記録で、本来は隠されておくべきものだったのかもしれません。それを、佐伯剛という編集者が発見して世の中に、間違って出してしまった……という、見てはいけないもののような写真集なのでした。
でも、世に出たのだから、見るべき人は見るのでしょう。わかる人にはわかる。この写真を撮ったときに、写真家が体験していた未知との遭遇が。この三次元だけが世界ではないことが、はっきりと伝わってくる霊的な写真なのです。私が言葉で伝えられるのは、それだけです。
新泉社 神さぶる山へ 大山行男
※大山行男さん……名前からして神ってますね。
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町おこしイベントの始まりだ
http://runday.exblog.jp/30132779/
2019-03-06T11:30:00+09:00
2019-07-08T14:17:44+09:00
2019-03-06T11:30:33+09:00
flammableskirt
日々雑感
◎私になにができますか?第一回目の「みんなで知恵を持ちよるブックフェア・ポトラ」が終わったあと、全国の本屋さんを取材している編集者で文筆家の南陀楼綾繁さんに取材を申し込んだ。新宿の喫茶店でお話しを伺った。
「湯河原の本屋さんを応援するために私にできることは?」と聞いたら「一度、湯河原に行ってみたい。見てみないとわからないから」
さすが、南陀楼さん!頼もしいなあと。
そして、南陀楼さんに湯河原の書店「好文の木」に来ていただき、湯河原一箱古本市の企画が立ち上がった。ポトラで「町の本屋さんを応援しよう」という企画を南陀楼さんと共同で立ち上げ、古本市の結果報告をポトラですることになった。古本市からポトラ開催までは1週間。ほんとうにリアルタイムレポだ。
◎実験が始まった桜新町という会場から飛び出して、実験的な企画をしてみたかった。人と人がつながって、輪が広がっていく様子を見せたかった。
「あなたの町でも、こんなことができるよ!」って伝えたかった。
夢が実現する場のポトラに……、だから自分でやってみた。南陀楼さんのマーケティング力はすごく、町を歩いていろんな情報を発掘してくれた。市場が開催されるならその日に合せて、人間が動く動線まで予測して、アドバイスをくれた。さすがだ。小田原ブックマーケットの実行委員長の牛山惠子さんが、一箱古本市のノウハウを伝授してくれた。ガーランドの作り方、マニュアルの作り方、さまざまな細かい手順、レイアウトを教えてくれた。さすがだ!牛山さんなくして、一箱古本市の開催は難しかった。見えざる神の手を感じた。「親子で一箱古本市」が湯河原のテーマとなった。地元の幼稚園で長年一緒に発達障害の会をしている井上美千代先生がこの企画に参加してくれたおかげで、幼稚園の椅子や機材を借り園バスで運んでもらえた。子どもたちへの参加も呼びかけてくれた。ガーランドをつくる場所も提供してくれた。幼稚園には文房具はなんでもそろっている。設営のためにガーランドづくりには最高の場所だった。しかも、園児のお父さんがプロの映像作家で、なんと!動画制作を引き受けてくれた。すごい。
◎ヴォルテックスが生まれた小田原から助っ人がやってきた。だんだん人の輪ができてきた。町の商店も参加してくれることに。林純子店長が、忙しい仕事の合間に徹夜でポスターを作ったり、参加者とのメールのやりとりをしたりした。すごくがんばった。ほんとうに林さんは大変だったと思う。でも絶対に泣き言を言わない。いつも笑顔。元気。林さんの人柄にみんなが集まってきた。一箱古本市を本屋さんの前で開催したら、新刊本は売れないじゃないか、と懸念する人もいた。私も最初は不安だった。でも南陀楼さんは「そんなことはないですよ」と言った。経験者が言うなら信じよう。私は人はなにを求めているか、もう一度考えてみた。本ならポチっとAmazonで買える時代。でも、人は商品ではなくて「楽しさ」を求めているんじゃないか。本屋さんで本と出会うわくわくを求めているんじゃないか。人とのつながりを求めているんじゃないか。どこで、どんな雰囲気で、それを購入したか、のほうが大切なんじゃないか。だから、楽しくて価値のある場をつくれば、本もおまけとして売れるんじゃないか。「本屋さん・好文の木」に価値があれば、人はどんなに遠くからでも来てくれるはず。
◎価値は愛!ここの価値はなんだ? それは、林純子店長であり、私であり、美千代先生であり、牛山惠子さんであり、関わっているすべての人によって作られている「友愛」の雰囲気と、新しいことへの「好奇心」、チャレンジ精神がつくりだしている見えないエネルギーなんじゃないか?雨天の時の会場は、近所の看板屋さん「アート高橋」さんが快く貸してくれることに。すべてはうまく回っていた。なにも不安がなかった。不安がないから天気も快晴だった(笑)けっこう高齢のおばさんチームが、できることを持ちよって、脱線しながら、あたふたしながら、それでも不思議と辻褄があって、テンパっていたり、勘違いしていたり、ど忘れしていたりをしながらも、集まると飲んだり、食べたり持ち寄りパーティをして、大成功だった湯河原一箱古本市。3月3日のポトラには、南陀楼綾繁さん、林店長、牛山さんが登壇。参加者に成功秘話を語った。林さんの娘さん2人も遠くから来てくれた。牛山さんのご両親も、湯河原の仲間も、美千代先生も。そして、なんと湯河原一箱古本市に出展した方や、お客さまとして来てくださった方の顔も、みんなが嬉しそう。どうしてみんな、知っていることを聞きに遠くから集まってくれたの? そこに友愛があるからだ。あの雰囲気をみんなが好きになってくれたからだと思う。価値あるところに人は来る。来たくなっちゃう。私だってそうだもの。その価値は誰かが一人で理念で立てるようなものではなく、相手を思いやったり、助けたり、いっしょに楽しみたいとつながったりするなかで、自然と立ち上がって来るものだ。あざとさはなく、もっとシンプルで、人間が生きるために必要だった、あの懐かしい感じだ。その場に入ると、それぞれの能力がバージョンアップするような、そんな渦ができれば、あとは流れにまかせていれば、人はどんどん自分で自分を喜ばせることができる。喜び製造マシーンに、一人ひとりがなっていく、そういう場が、できた。そして、消えた。竜巻は消える。そしてまた、現れる。それがいいね。
※南陀楼綾繁さん、ほんとうにありがとうございました。一箱古本市はすばらしいイベントです。こんなすてきなイベントをつくってくれたことに感謝。全国で開催できます。地域の輪が広がります。そして、何度も湯河原に足を運んでくださり、貴重なアドバイス、応援、ラジオでの告知宣伝、お世話になりました。私も、どこかの誰かがこのイベントを開催するときは、同じように協力します(無理せず、できる範囲で)。
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拘置所の不透明さ
http://runday.exblog.jp/29658317/
2018-07-29T00:25:00+09:00
2018-07-29T00:25:30+09:00
2018-07-29T00:12:34+09:00
flammableskirt
日々雑感
コンビニの向こうにある東京拘置所
平成最後の7月、オウム元死刑囚13名の大量処刑があった。この歴史的出来事の背後にある「拘置所」の存在を多くの人は知らない。14年間、元死刑囚・林泰男さんの外部交流者として拘置所に通い、体験してきたことをまずここに記したい。
・面会時間11分は違法?
林さんは、1996年に逮捕されて以降、20年以上を拘置所で過ごした。私は死刑確定後から拘置所が認めた外部交流者として面会、文通を続けた。
東京拘置所での面会時間は約11分~20分。面会は一日一回(3名まで)。法的には「30分以上」と定められている。実際、仙台拘置所では面会は30分だった。面会時間は事件の事実解明に重要だ。明確に制度化し統一すべきではないのか。
死刑囚に対する拘置所が個別に定めた規則は非常に細かく、しかも各拘置所ごとに違う。また、その規則は告知なく変わり、突然に変更される細かな規則は、変更前も後も情報公開されず、交流者も死刑囚も規則の変更を知る手だてがなかった。
面会を拘置所側から拒否されたこともあるが、理由は説明されない。「
拘置所」の権力はいつも圧倒的だが、交流者は無力で、それに慣れていくしかなかった。
・組織の中で人は麻痺していく
オウム真理教とはなんだったか? という問いを立てながら面会を続けているうちに、次第にオウム真理教と拘置所という、二つの組織が重なって見えるようになった。
拘置所とは社会から隔絶された不可侵領域であり、不条理に充ちていた。刑務官の一人ひとりは懸命に職務をまっとうしている。だが、組織のなかで実に無力に見えた。自浄力のある健全な組織とは思えなかった。
例えば手紙に「◎◎さんがこう言っていました」と書くと、伝言だとして黒塗りにされた。
面会時のメモは、口頭での伝達が禁じられ、遮へい板越しに文字を見せるよう指示された。面会には必ず刑務官が同席し隣で記録を取る。それも、レコーダーではなくメモだ。
その主観的なメモを元に、たとえば麻原彰晃に関して私が質問し、林さんがそれに応えると「麻原への信仰心がある」と報告された。これでは取材すらできない。
拘置が長くなれば交流者も年を取り抜けていく。新たに若い交流者の申請をしたが、許可されなかった。理由は不明だ。
・心の安定とはなにか?
拘置所は「死刑囚の心の安定」のために制限を設けていると常に主張してきた。にもかかわらず、林さんは処刑のニュースをラジオで知っていた。
翌日の新聞記事も普通に読めたという。一回目の処刑の後は監視がさらに厳しくなり、食事中も見つめられ強い圧迫を感じたと語った。
拘置所は公共倫理を軽視している。拘置所を知らずして死刑制度は語れない。現在の日本の拘置所は国際社会の常識から逸脱している。
これまで、林さんに影響が及ぶことを怖れ(林さんの刑務官への気遣いも配慮し)、拘置所の問題に言及ができなかった。
いま、この大量処刑をきっかけに拘置所にも関心を寄せてもらうためにこれを書いている。具体的には、本の執筆に準備をしている。これまでの証拠と資料を提示するつもりだ。英語版に翻訳し海外での出版も考えている。
拘置所内の極めて不合理で非人間的なシステムを平成で終焉させたい。情報を公開し、規則を明瞭化し、人権を重視し、再犯防止のための、社会にとって有益かつ開かれた場所としての再生を心から願う。
----------------------------------------------------------------------元死刑囚林泰男さんの執行は7月26日だった。オウム事件や林さんに関しては、昨年出版した小説「逆さに吊るされた男」に詳しい。機会があればお読みください。
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村上光照老師のこと
http://runday.exblog.jp/29406977/
2018-04-01T17:22:00+09:00
2018-04-01T21:02:26+09:00
2018-04-01T17:22:39+09:00
flammableskirt
日々雑感
村上老師を紹介するときはつい「京大で物理学を学んだ方で、あの、ノーベル賞学者の湯川英樹先生の教え子……」という浮世の話をしてしまうのだが、村上老師が高学歴だから偉いわけではなく、むしろそんなこたあどうでもいいはずなのに、紹介するときにこの経歴を人にしゃべっている自分が恥ずかしい。でも、つい、これを言いたいのだから、私もあんがい学歴主義の人間なんだなと思う。
村上老師の噂は、数年前からあちこちで聞いていた。Eテレで宗教者が紹介される番組「心の時代」にも二回、登場していると聞いた。「凄い人」「もう悟っちゃってる」「聖人」「ひとところに定住しないで、あちこち旅をしながら暮らしている」
ふーん。どうやって食べているんだろう、と、下世話なことを思った。お坊さんだからお布施というので食べているのかなあ。
初めてお会いしたのは2012年頃だろうか。「サンガ」という仏教関係の雑誌で対談をさせていただいた。もはや仏教界のレジェンド的存在(らしい)村上老師とお会いするのはドキドキした。対談場所は伊豆の山奥の料亭民宿。こちらのご主人が村上老師を招いては法話会をしているという。なるほど、そういう「村上老師ファン」が村上さんを支えているのかしら。まあ、私の考えることはどこまでも俗人だ。(あとになって知ったが、老師はお布施として渡されるお金は「仏の功徳」のため使い自分の生活費にはしない。子供に勉強を教える寺子屋などして生活費を得たりするそうだ)
「村上老師の坐禅はすごい」と言われても、坐禅についてもよく知らないのだからなにがすごいのかすらわからない。とにかく、「はじめまして、こんにちは」ということになった。僧侶という方々にお会いするときは、緊張する。なぜ緊張するのかわからないが、緊張する。緊張しなくてもいいだろうと思う。仏の教えを説く優しい人たちなのだから。失礼な私を怒ったりしないだろう、でも、実際はかなり緊張して敬語を使いまくりだ。村上老師は、当然、おじいちゃんで、頭がつるつるで、気難しそうだった。なんか怖いなー。これが第一印象。
こういう人を世捨て人っていうのかな? 奥さんも子供もいなくて全国を行脚しながら暮らしていて、年に数ヶ月は坐禅のためにお篭りをして、好物は大根の菜っ葉だって言うし、いったい何がたのしみで生きていらっしゃるのかしら。俗人はあくまで俗なこと考える。「恋愛とかしたことないんですか? 女の人を好きにならないの? どうしてお寺で偉そうにしていないの? 本当に悟っているんですか?」もう、失礼ったらない。でも、素朴に疑問だった。(だいたい、ほんとうに、坐禅で悟れるんかい?)村上老師は、頭が良い人なのだと思う。パッパッパと天才的にいろんなことをひらめき、なんでもよく知っている。
でも、そういう人は世の中にはいくらでもいる。そして頭がいいからって悟ってはいない。かの梅原猛先生だって天才的に切り返しがうまくて記憶力がいいし、仏教大好きだったけど、やっぱり悟ってはいない(んだろう)。悟りって、なんなのかなあ。村上老師との、第一回目の対談は、ちんぷんかんぷん。何の話かさっぱりわからなかった(笑)でも、そんなに怖い人ではなさそうだと思った。怖くはないが、ちょっと得たいが知れない。そんな感じ。まわりにたくさん人がいて、いろいろ気を使ったし、仕事だったし、村上老師をストンと素直に感じることはできなかった。
二回目の出会い。これもサンガが開催してくれた「対談」だった。そもそも、村上老師と対談できる人がいるんだろうか?話していてもまったく噛み合わない。でも、この時、初めて村上老師が「坐禅の姿勢」について教えてくれた。教える時は、いきなり別人になった。坐禅モードに切り替わる、というのかな。この人の坐禅の指導は確かに他の人と全く違う。……教え方がうまいし合理的だ。つまり、坐禅を知り尽くしていて、プラグマティックに教えてくれる。こういう人に坐禅を教えてもらったら、ほんとうの坐禅と出会えるかもしれないなあ、と思った。
対談が終わったあと、老師はサインを求めて来た人たち一人ひとりに、直感で歌を渡す。相手の顔を見てさらさら……その書も歌もすばらしかった。(うわー、この人、詩人だ)かなり感激。ことばのセンス、めっちゃいいじゃん。書もいい、味がある。老師はアーティストなんだな。対談のあと、親睦会があって近くの居酒屋に移った。わー、老師も居酒屋メニューとか召し上がるんだー。わりと庶民的。ちょっと老師が好きになった。
三回目の出会いが……思い出せない。絶対にもう1回くらい会っているはずなのだ。なぜかというと、老師の携帯番号も知っているし、住所だって知っているし、時々、電話でしゃべったりするし……。でも、いつ、どうやって、お互いの連絡先を交換したのかが思い出せない。どんな用事があって電話したのかも、忘れた。はっきりしていることは、遠慮なく電話をかけられる相手になっていたことだ。これはとても重要なことだと思う。人によってはかなり親しくなっても「電話なんかしていいかな?」と躊躇する場合が多いのに、老師にはどうしてか電話をかけやすい。かける時に緊張をしない。
で、昨年もふと思い立って電話をしたら、伊豆松崎にいるというので電車に乗って遊びに行った。遊びにと言ったって、いっしょにお蕎麦を食べて、松崎近辺をドライブして、翌日の朝またおちあって、近所の喫茶店でお茶をして別れただけなのだが。
「この人は本物だ!」と、一目でビビッと来る人もいるだろうけれど、私は俗人なので「みんなが褒めるけど、どこがすごいんかなあ?」という疑いのマナコで見ている。そう簡単に人を信じない。村上光照老師にも、当初はさほどありがたみを感じておらず、なんだか田舎のおじいちゃんちに遊びに行く子供みたいな気分で伊豆急踊り子号に乗って出かけて行った。仕事で気をつかわなくていいから、こちらも気楽。会うと老師はほんとのおじいちゃんみたいにニコニコしている。……って言っても私の祖父はみんな早くに死んでしまったので、おじいちゃんがどんなものか、映画でしか知らないんだけどね。
待ち合わせをした場所に、老師がいる。座っている。ただいる、その感じがいい。待っているふうでもない。苛々しているふうでもない。なにもしていないけれど、ふわっとそこにいる、妙な突き抜け感。風景の一部、お地蔵さんみたい。老師はいつも「いやあ、世界がきれいだなあ」という顔をしている。こういう顔をする人を私はかつて見たことがあった。京都の認知症のグループホームに1週間ほど通って認知症のお年よりたちと暮らしたときのことだ。
重度の認知症のおばあちゃんは30秒前のことを忘れてしまう。そういう人は、好きなお菓子をもらったりすると、何度でも、何度でも、初めてお菓子をもらった時と同じに「うわあ!」と喜ぶ。桜なんか見た日にゃあ「なんてきれい、こんなきれいなもの初めて見た」と言って、歩みを止めるものだから散歩にならない。
村上老師って、そんな感じなのだ。老師はすごく記憶力がいいから、認知症のわけがない。だけど、ひとつひとつのことに「うわあ」と、びっくりしてなかなか目的地に着けないところがそっくり。世界を初めて見た赤ちゃんみたいなんだ。
私は、村上老師に聞きたいことはあまり、というかほとんどないのだけれど、昨年は「放射性廃棄物の最終処分をどうするか?」について議論する対話の場づくりに関わっていたので、そのことを質問した。老師の答えはぶったまげたものだった。
「放射能はなんとかしなきゃならない問題で、まったく研究が遅れてしまっていて困ったものだ。(なにか難しい物理学の専門用語をひとしきりつぶやいた後)私がこれから無害化する研究をしようと思っている」
いろんな人に会ったけれど「自分が無害化する方法を研究する」と言い切った人は初めてで、そう言われたら「よろしくお願いします」で終わりだよね。こんなふうに、たまに質問をしてみても話は続かず、一緒に焼き立てパンなどもぐもぐしながら「ここのパンはうまいんじゃー」と言って、おしまい、なのだった。私はこの、どうにも、何事にも、まったく深刻にならない、なりようがないのに前向きな、村上老師といるとものすごく気が楽だ。
「坐禅をすると、どうなるんですか?」と質問したら、「坐禅というのは、仏さまの姿を真似ること。仏さまの形になること。だから姿勢がとても大事。姿勢をちゃんとしないで何年、坐禅組んでも同じこと。姿勢が決ったら、すぐ三昧に入るけど、そこから先は魔境。魔境に負けたらダメね、でもまあ、それも一年くらいで落ち着くから」「その先は?」「仏さまの姿になって、仏さまの心になったら、慈悲の光が天地を突き抜けるように現われますから、もうなにもせんでよろしい。それはもう、浮世の物理法則を超えた次元のことだから、宗教しかできない」「だから、老師は、出家したの?」
ふふふ、と笑って無言。
今回、法話会を企画した森竹ひろこさんが「なんとか村上老師に坐禅の指導をしてもらえないでしょうか?」って言う。「うーん、ちょこっとならしてくれると思うけど、最初から頼んだら断わられてしまうかもねえ」駄目モトでお願いしてみると、かなり詳細に坐禅の姿勢を教えてくれた。本も書かない、弟子もいない、孤高の老師の坐禅指導。すばらしく貴重な機会だったと思う。でもまあ、教えてもらっても、その坐禅に入るためには二一日間の断食が必要で、半年は道場に通わないといけないという。
半年なら、坐禅をがんばってみたい!という人が会場に何人かいたけれど、どうかな。老師もお年だから、せっぱつまってやって来た人でなければ、きっと坐禅の面倒を見る気がないんじゃないかと思う。やっぱり、いろいろ捨てて、身ひとつで入って来いって感じだと思う。そして、コイツが捨てられるかどうかは、捨てた人から見れば一目瞭然なんだろう。捨ててよし、捨てなくてもよし。老師はそう思っているだろう。その身ひとつで受ける人生。「やっぱり来ちゃいました」という人しか、あそこには行けないだろう。それくらいハードルが高い山の中だ。
村上老師と久しぶりに一日を一緒に過ごして、やっぱすげーと思った。老師がなにもかも「田口さんにおまかせ」と言い、何も聞かないし文句も言わない。結果も気にしない。いつ帰れるのかとか、時間が長いとか、ギャラはいくらだとか、言わない。何時間長引いても、目の前に話を聞きたい人がやって来れば「今日はこういうことなんだな」と流れに乗る。三時間の法話のあと、さらに三時間も超過勤務をしつつ、表情ひとつ変えずにニコニコしている。疲れたとか、大変だとか、いったい何時に終わるんですか、とか、私ならきっと言うだろうことを、言わない。気にしていない。不平、不満、愚痴、なにも言わない。おいしいねえ、きれいだね、すてきだねえ、うつくしいねえ、かわいいねえ、あとは思いついたことを楽しそうにしゃべっている。あったかくてやわらかい慈悲の光を発し続けるって、これが坐禅の力か?
そういう老師と、一日を一緒に過ごしたあとは、ただただ、頭が下がる。ホテルまでお送りしたら21時半になってしまった。これから明日の荷造りをするのだという。お疲れだろうと思うが「いやあ、ほんまに楽しい一日だった」と言う老師に、頭がどんどん下がる。下げようと思ってそうなるんじゃなく、頭が重くて下ってしまう。いやあもう、めったにないけれど、九十度より下がった……。頭って、ほっておいても、下がるときは下がるんだなあと思った。
※今回も友人のみなさんが手伝ってくださってありがたい。
二胡を演奏してくれた横山茂登子さん、アオザイがすてき。
※そして、おいしいお野菜の玄米おむすび弁当を作ってくださった「バナネイラ」の加藤ミオさん。
老師はおべんとがおいしかったと大変喜んでいました。感謝。
めっちゃおいしい身体がよろこぶお料理です→http://2bananeira.com
いつもすてきな座禅会や瞑想会を開催してくださる
「スワリノバ」の代表 森竹ひろ子さん、ありがとうございます。
スワリノバのイベント情報はこちら
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熊本・橙書店さんを訪ねる
http://runday.exblog.jp/29399217/
2018-03-28T22:58:00+09:00
2018-03-28T22:58:15+09:00
2018-03-28T22:58:15+09:00
flammableskirt
日々雑感
「私に、田口さんの新刊『逆さに吊るされた男』をすすめてくれたのは、この書店の主の田尻さんです」
熊本だけでなく、全国にも有名なのは、この店主の田尻久子さんの本を読む力が多くの読者、作家を惹きつけているからとのこと。その田尻さんが作品をすすめてくださったことを知り、ドキドキしながらお店へ。
http://www.zakkacafe-orange.com
わあ!まるで田尻さんのお宅の書斎に招待されたような、温かくて落ち着いたお店。小さいなスペースに、カフェと小物、そしてこだわりのある本が並んでいました。全部読みたい!毎日通いたくなるような本屋さん。お店に置かれてある本はみんな、田尻さんご自身が読んで、お客さまにすすめたいと思う本。本が訴えて来ます!
一日目は、5時で閉店の日だったのでご挨拶だけ。二日目はゆっくり本を見ながらお茶をするぞー!と早めに来店。すると「さっきまで、高山文彦さんがいらしたんですよ」とのこと。え、高山さんとは18年くらいお会いしていないけれど、地元の高千穂で鉄道会社を買って事業を始めたと聞いていた、わあ、お会いしたいなあ、と思わずつぶやいたら、田尻さんが連絡をとってくださり、20分後に高山さん登場。
うれしい再会。高山さんの著書を「逆さに吊るされた男」の参考文献とし使わせていただいており、お礼もできてほんとうによかった。
で、そうだ!高山さんに新刊をお渡ししようと、橙書店さんで購入……のはずだったのですが、代金を払おうとしたら「がーん!財布を車に置いてきちゃった!」お金がない。ど、どうしよう「高山さん、やっぱり買ってください」と泣きつこうとしたら、熊日の記者さんが、慌ててお金を貸してくれました。ひー。冷や汗かいたよー。
まったくもう、おっちょこちょいですみません。
今回は水俣にも一泊。ガイア水俣さんに泊めてもらい、友人の高倉敦子さんと山の石神をめぐり、温泉に入り、淵上ゆみちゃんと三人で諸国屋さんのランチを食べました。湯の鶴温泉、お湯がすばらしいです。入浴料200円。桜満開でした。
海沿いのアコウの木にもご挨拶。
くぐると寿命が伸びるという鼻ぐり岩。いまはくぐれないけれど、山清水が岩をくぐって流れています。
ガイア水俣のサイトはこちら 通販サイトが充実しています。わたしのおすすめは甘夏と「天の紅茶」。この紅茶はほんとうにおいしい。なんだか身も心も清らかになるような、渋味のないさわやかでいて深みのある紅茶なんです。
すっかり熊本のみなさまにお世話になりました。
これから記事を書きます。
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