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by flammableskirt
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2009年 09月 22日 ( 2 )

ゆうべは家に戻ったら、TVタックルの特番をやっていて、なんとなくご飯を食べてから見ていた。娘が風邪をこじらせて熱を出してうなっていたので、そのアイスノンなんかを取り換えつつ……。

そこで、自民党の議員の「楽屋が共産党と一緒になっちゃったよ」という発言をみんなで大笑いしていて、私も笑った。なにかそこはかとなくセコクてアホな発言だと感じたからだ。うら寂しくなるような発言だ。

最近のマスコミ報道を見ていて思うのは、なんだかみんな民主党のあら探しばっかりしているんだなあ……ということ。マスコミって本当に無能なんだなというのが、今回の政権交替で実によくわかった。自民党とマスコミは無能においてもちつもたれつだったのである。なんだそういうことか、やっぱりそうかと思った。
また、山本なんたら……という参議院議員はまたしても河野太郎氏を担ごうとして、司会者の女性に「山本さんもいろんな人を応援してきて大変でしたよね……」みたいなことを言われ、うっと、言葉に詰っていた。この人は安倍晋三さんの時に応援団と称して応援ソングまで歌っていたのであるが、毎度毎度、他人の太鼓持ちみたいなことをやっていて、不思議な人である。私が知らないだけかもしれないが、そもそもこの人はどんな自分の意見があるんだろうか? よくわからない。あんなにテレビに出る機会があるのだから、もっとはっきりと自分の意見、考え、こうしたいと伝えればいいのに、その機会をまったく使わずに電波の無駄遣いをしているように見えて、もったいないなあと思う。

いろんな意味で、鳩山内閣はスピード感をもって動いており、支持率が上がるのも当然。外交がうまくいえば、さらに評価ガ上がるだろう。内閣がリベラルになったのだから、自民党は正統的に保守化するしかないはずなのに、やっぱりリベラルが出てくるというのは不思議である。候補者の顔ぶれを見てほんとうにボロボロなんだなあと思った。数年経った頃に小泉総理の息子あたりが、ゴリゴリの保守として台頭してくるのだろうか。

このあいだ、イタリアの記者からインタビューを受けて、そのときも「死刑問題」について質問された。ヨーロッパのメディアからは必ずこの質問を受ける。日本のメディアは一切そんなこと聞いてこないけど。
「新しい政権になって日本は死刑廃止の方向に進むか?」という質問だった。なぜそれを私に聞くかと言えば、私がイタリアのメディアに対して「死刑に反対の立場だ」と明言しているからだ。その時、イタリア人記者は驚いて「日本の作家ではっきりとそれを言う人はめったにいない」と呟いた。へえ、そうなのかと思った。
それで、時々、政権の変わり目などにインタビューされるのであるけれども、私がいつも驚くのは、イタリア人は「どうして日本の国民は死刑をやめようとしないのか?」イタリア人はマジで不思議がっていることである。イタリアには凶悪犯罪者はいないのだろうか?なので私がいつも答えるのは、
「日本人は過剰に被害者感情に同調する傾向があるので……」すると彼らは、
「加害者感情ではなく?」と聞き返してくるのだった。
なので私が、
「加害者感情を持ちすぎることは、自虐的だと言われています」と答えると、彼らは肩をすくめるのであった。
私はイタリア人ではないし、イタリア人の感じ方が正しいと思っていないが、イタリア人と日本人が違うということはわかる。私たちのものの見方は決してグローバルに正しいわけではない。そのことを知ることは大事だといつも思う。日本に住んでいるといろんなことがわからなくなるから。マスコミもとても偏った報道しかしないし。

で、イタリアの記者は「政権交替して、日本は良くなると思うか?」と聞かれたので、私は「もちろん」と答えた。日本人が望んだ政権交替であり、良くならないはずがない……と。問題はそれが誰にとって良いのか……ということであるが、私はこの政権選択は、私の子供にとって正しいことをしたと思っている。このように政権は交替できるのだ、あなたたちが自分たちの未来を含めて自分たちの頭で考えて自分が良いと思った人を選ぶのだ、ということを見せてあげられたことは本当に良かったと思っている。多くのオトナにとって理不尽で、損な結果となったとしても、一〇〇年後の子供たちにとって、この選択は実を結んでほしいと願う。私は見ることができないけれど、それを望んでいる。

そして二百年後の人たちは、さらに賢い争いの解決の道を発見してほしいと思う。争いは永遠にあるだろうが、人の頭の上に原子爆弾を落として解決するような野蛮な方法を選ばない賢さを、手にしてほしいと思う。人間が成長するための準備はもう充分整っている。
by flammableskirt | 2009-09-22 17:06

天才バカボンの境地

人間とは不思議なもので、昔は「田口ランディって……どうよ」みたいな書き込み、ブログ、その他なんでもネット上における自分に対する批評、批判、感想、賞賛、すべてにおいて「なにか違う……」と思い悩んでいた。なにか書かれるたびに「私ってそうじゃない」という反発の心が生まれていた。

もちろん、最近もそうである。前にも書いたように人間は変わらない。他人から好き勝手なことを言われておれば「私は違うのよ」と言いたいのは当たり前である。が、最近は正直に「こいつはアホだ」と思うようになったのである。私もあなたを誤解するのである。あなたも私を誤解しているが、私だって私を誤解しているあなたを誤解するのである。私についてインチキを書いている奴はアホなのである。それでいいのである。お互い様である。私はいい人ぶるのをやめてしまった。しょせんアホはアホなのである。尊敬出来る人は尊敬できるのである。それすら私の幻想である。書き込みなんかで人はわからない。私が行き倒れて、どうか水をくださいと、手を差し伸べた時に、私に水をくれる人が私にとっていい人である。だが、水をくれるかどうかはその時になってみないとわからない。いまバーチャルにどんなことを言おうと、その人が水をくれるかどうか、その時になってみないとわからない。そしてまた、私は、誰かがのたれ死にそうな時に、その人が「水、水をください」と言ったら、汲んであげるだろうか。それもまたわからない。ものすごく機嫌が悪かったら、うるさい死ね、と思って立ち去るかもしれない。

人間と人間のつきあいというのは、そういうものだ。このバーチャルな空間に誰がなにをのたまおうが、私たちは触れ合うこともなく、ただムカつきあうのみで、それ以上でもそれ以下でもない。くだらん、実にくだらんが、ムかついてしまうのが人間だ。なぜなら、そういう脳の構造だからである。会ったこともない誰かと言葉を介してやりとりし、出会ってもいないのに相手の発言にムかつく。なんとも効率がいいのやら悪いのやらわからない妙な脳細胞を有しているのでこうなる。想像力という悪魔が私たちには住んでいる。そら恐ろしいことである。それゆえ、日々は穏やかであり、なおかつ、苦痛でもある。

大方の人間の悩みは、この想像力のなせる悩みである。ああでもない、こうでもないと苦しむのである。目の前にいない相手、目の前で起こっていないことについて……。それが人間なんだ〜それでいいのだ! という天才バカボンのパパの気持ちが最近になってよくわかるのである。さすが、赤塚不二夫先生はすごいのである。

私はこの年になって、ようやくアフリカに興味をもち、アフリカに行ってみようと思い準備をすすめ、アフリカって変なところだなあ……と勉強している。アフリカについて考えると、なにかもう、途方に暮れる。なんてことだと思う。アフリカについて考えると、我々、アホちゃう?と思う。なにがエコだ、なにが世界平和だ、なにがロハスだ、アフリカはそのような近代文明人を笑う笑う、これでどうだ、オマエらのやってきた資本主義が産んだこの悲惨を見てみろや! と云わんばかりに、とんでもなく大変な大陸である。ああ、こんな訳のわからないものすごい大陸について、私のごときバカが若いうちから考えられるわけがないな、と、アフリカを無視しつづけた理由も飲み込めた。関わったら自己矛盾に陥るのは必死である。でもまあ、死ぬ前にちょっとでもアフリカについて考えておこうと思い、アフリカというものと向き合うに至った。

するといきなり、バカボンのパパが降りて来るのである。これでいいのだ〜!という声が天啓のように響き渡る。
なんかすごい、と思う。人生というのは生きても生きても、どんどん皮が剥けてなにか新しいものが出てくる。生きていることそのものが表現なのであり、作品というのはその副産物のようなものだろうか。そうでありたいと思う。早くその境地に、生きている間に到達したいものだ。天才バカボンの境地。
by flammableskirt | 2009-09-22 15:35