ユージン・スミスという人
2008年 09月 02日
9月7日までのようだ。行くべきかどうか、迷っている。どうしようかな。
わざわざ京都まで行くのもめんどうだが、見たい気持ちも強い。
ユージン・スミス展は、うんと若い頃に見たような気がする。
見たような気がする、というくらいの印象だった。うろ覚えだがそのとき、かの有名な「楽園へのあゆみ」がポスターだった……ような気がする。そして、あの写真だけが鮮明に記憶にある。森から抜けて光へと歩いていく二人の子ども。
それから30年くらい経って、水俣に行って再びユージン・スミスの写真と出会う。そのときも、特になにが……ということはなかった。水俣には水俣の現実があり、写真よりも患者さんたちと会うほうが刺激的だったからだろう。
水俣に行って、あっという間に四年が経って、どういうわけか今ごろになってユージン・スミスという人物に興味が出てきたのは、彼が、水俣の人たちと千葉のチッソ工場に話し合いに行って、そこでチッソ側に雇われたヤクザが扮した社員に、ボコボコに殴られて目に致命的な傷を受けたことを知ってからだ。まったく無茶苦茶なことが行われていたのだな、昔から。
ちなみにそのときのチッソの社長は、いまの皇太子妃のおじいさんにあたる。だからなんだと言うわけではないが、そのことを知ったとき「そうなんだ……」となんだか妙な気分になった。しかしこの妙な気分の理由が自分でもよくわからない。なにが「そうなんだ……」ろうか。まったく無関係ではないか。
ユージン・スミスは戦争カメラマンとしてアメリカ軍と同行し、インドネシアの島々で日本人が無残に倒れ、海に飛び込み自決していくのを見ている。次々と青い海に飛び込んで行く日本兵の姿が、ユージン・スミスの無意識深くに沈んで行ったことは確かなようだ。戦場で爆撃を受け、弾の破片が生涯彼を苦しめた。痛みのために、薬とアルコールは手放せなかった。
ユージン・スミスの父親は破産のため自殺している。それが新聞に報道され、その報道に対して幼かったユージンはとても傷ついた。彼のジャーナリストとしての考え方の根本にいつも「報道される側の悲しみ」があるのはそのためみたいだ。
伝記を読むと、あまりにもすさまじい人生で、なんだかぞっとする。
京都に行こうかなあ。どうしようかなあ。
明日の朝、元気があったら行ってみるか。

