一週間

6月16日月曜日
夕方、札幌に到着。編集者のKさんといっしょに、北海学園大学に藤村久和先生を訪ねる。アイヌ研究者の藤村先生は、いまたぶん日本で唯一、暗誦ではなく即興のアイヌ語で正統なカムイノミができる人だ。見えない世界をアイヌと同じように感じ、見ることができるけれど、先生は和人。何人に生まれても、心を開けば民族の精神性を理解することはできるのだと思う。夜中2時過ぎまでお酒を飲みつつ、アイヌの精神文化について話をする。

6月17日火曜日
札幌から『スーパーおおぞら』で帯広に到着。帯広で地域活性化プランナーの後藤健一さんと会い、お昼を食べる。十勝蕎麦、おいしかった。感動したのは十勝産の生乳とチーズでつくった『カマンベールアイスクリーム』めっちゃうまいっす。午後は奥さんの後藤純子さんに、アイヌの狩り場があったという森の神社に連れて行ってもらう。

夕方、帯広アイヌとハワイの原住民の方たちとの交流会に合流。ハワイからやってきた藤森さんと会う。その後、ハワイな面々といっしょに十勝川温泉に泊まる。前日飲みすぎていたので、寝不足で速効、寝る。
翌朝、温泉付近を散歩。ハワイのホロホロ・ネルソンからココナツの葉っぱで鳥を作る細工を教えてもらう。ネルソンは葉っぱでバッタやカゴも上手に作る。お礼に鳥笛をあげたら、そのまたお礼に鼻笛をもらった。鼻で吹く笛でとても精妙な音が出る。鼻笛の吹き方を特訓して、なんとか吹けるようになった。うれしい。
そのあと、ナニさん、プナさん、オラナさんといっしょにフラの練習をする。プナさんは私のフラの先生だったサンディー先生の師匠の娘さん。サンディーさんのこともよく知っていた。

午後にハワイのみんなと一端は別れて、札幌に向かう。札幌駅で、べてるの家の向谷地えつこさんと合流、車で『浦河べてるの家』までいっしょに乗って行く。えっちゃんは、アメリカに留学していた娘さんが戻って来て、その娘さんを千歳空港まで迎えに来ていた。そのついでに札幌で拾ってもらったのだ。
ひさしぶりの浦河、ひさしぶりのべてるの家。
夜は、えっちゃんや、のりくん、まなちゃん、植松さんや、下野君といっしょにお寿司を食べて寝る。
この日は本当に月がきれいで、月を見ながら鼻笛を吹いた。
鼻笛はほんとうにわずかな息で吹くので、なんだか頭がぼーっとして瞑想状態になる。この笛がとても好きになった。

6月18日
さすがに疲れてきたので、朝寝する。
遅い朝飯を食べてから、浦河町の文化センターまで歩く。ホテルからは三分だ。久しぶりに会うべてるの人たちと挨拶をしているうちに、佐藤初女さんが到着、さっそくおむすびをにぎる準備が始まりそれを手伝う。そのうちに、ハワイの人たちも到着して、交流会の準備のお手伝い。バタバタしているうちに交流会が始まり、ハワイアンの演奏のあと、浦河アイヌの踊りや唄が披露される。
アイヌの人たちは、ずっと厨房で料理をしていたので、ハワイアンの演奏が見れなくて残念だった。私も前座として覚えたての鼻笛と、口琴を演奏する。

アイヌの踊りのときに、アイヌ刺繍の袢纏を着て真っ先にいっしょに踊ったら、終わったあと『ありがとう』と声をかけてくれた人がいた。浦河アイヌ文化保存会の深沢さんだった。深沢さんのムックリの演奏はすごくセンスがよかった。風を感じた。自然の音をじつにうまく模倣している感じだった。それに、踊るときも全身全霊で精いっぱい踊る。楽しそうに踊る。実はそういう人はあんがいと少ないのだ。
それで、この人と仲良くなりたいと思って『演奏も踊りもすごくすてきでした、お友達になってください』と言ったら、深沢さんはどぎまぎして『あたしはいじわるで、ひねくれてるよ』と答える。確かにはっきりものを言う人だけれど、ぜんぜんひねくれてなんかいない、率直なんだと思う。ますます好きになった。

交流会のあと、午後6時半から町の映画館でべてるの家の『当事者研究発表』がある。そこに参加。川村先生や、向谷地さんももちろん来ていた。お正月以来なのでなつかしい。べてるの当事者研究は相変わらず目から鱗の面白さだったが、二時間くらいしたら狭い会場がむんむんしていて、頭が痛くなったので外に出た。ロビーに早坂潔さんがいて『ビールでも飲むか』ということになり、居酒屋に行く。

潔さんは、ついおとといまで入院していたということで、すっきりスリムになって絶好調だった。ここのところ私は来るときはいつも具合が悪かったので、こうしていっしょにお酒を飲んでしゃべるのは久しぶりだ。父が死んだことを告げたら『ランディ、ほっとしたろ』と言っていた。ほっとしたよ、ほんと。後になって向谷地さんも合流。十時過ぎにはホテルに戻って寝る。

6月19日
朝九時に文化センターに集合。今日は浦河アイヌの案内で山に入り、そこで摘んだ草花でハワイアンがレイを作り、アイヌの神様に捧げる……という、楽しいスケジュール。……なのだが、ハワイアンの最年長のナニさんが、旅の疲れて寝ているとのことで朝からどたどたしているうちに出発は十時半になる。昨日、知り合った深沢さんといっしょに山に入り、植物のことをいろいろ教えてもらう。たくさんの、シダやガマの葉を採集。それを使って、オラナさんからレイの作り方を教えてもらい、みんなでレイを作る。レイってけっこう大変、丁寧に花を編んで行くので時間がかかる。アイヌの深沢さん、掘さんも、一生懸命にレイを作った。そうこうしているうちに時間は二時になってしまう。
レイをもって、アイヌのヌサ場に行き、そこで供物を捧げ、ホロホロ・ネルソンが笛を奏でる。みんなでアイヌの唄と踊りを踊って神様に挨拶をして、解散となった。

大急ぎで会場に戻る。三時からのシンポジウムにゲストとして参加。
テーマは『回復への不安』。統合失調症からの回復過程に『むなしさ、たいくつさ、淋しさを感じる』のはなぜか。それにどう対処するか、そういったことだ。病気の間は、トラブルが続き感情は大きく揺れ、なにか自分がドラマの主人公になっているようなそういう気分なのだそうだ。それが終わると、急に『地道な変化のない人生』が目の前に見えて、それで生きるのがむなしく感じるという。
『ふつうの生活ってどういうことかわからない』『病気じゃなくなったら自分じゃなくなってしまうようで不安』なのだそうである。
なんとなくわかる気がする。私はたぶん病気じゃないと思うが、この私がふつうだとしたら、ふつうというのはとても淋しくむなしいことである。常に淋しさとかむなしさといっしょに過しているが、でもそれがそんなに嫌でもない……というのは、大人として生きることなのじゃないか、そんなことしゃべった。
『私は作家になったらもう淋しかったりむなしかったりすることはないと思っていたけれど、ぜんぜん違う。やっぱり淋しくてむなしい。しんしんと淋しくてむなしい。でもそれがいやじゃなくなった』
 いまや淋しさやむなしさは、私にとって救いであり友である。疲れたとき、このしんしんとした淋しさのなかに手をつっこんで『はあ……』と一息ついているような気がする。孤独であることは淋しいし、生きることはむなしいが、そのむなしさが自分を落ち着かせてくれているように思える。これがふつうってことだと感じる。

再び、えっちゃんに千歳空港まで送ってもらい、バナバタと浦河を後にする。
ハワイの藤森さん、ネルソン、浦河の深沢さん、帯広の後藤さん、いろんな人と出会い、自分のケチさとか、ズルさとか、こっすっからいところとか、でしゃばりなところとかよく見えた。新しい場に入らないと、自分がわからない。ハワイアンやアイヌの深沢さんは、ほんとうに正直で、こちらがせつなくなるくらい一途で、なにをするにも懸命だった。そういう人たちと少しでもいっしょに過すと、偉そうなことを書いたりしゃべったりしていても、ふるまいとしてなに一つまともなことができていないことに気がつき、落ち込む。

いい旅だった。
by flammableskirt | 2008-06-22 11:14

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