花を植える

 一念発起して、庭の手入れにとりかかる。いつかやらねばやらねばと思っていたのだが、夏を前にして草が繁茂しはじめ、いまやらねば夏は蚊の襲来を受けて痒くてたまらんと思ったので、庭木の枝を落とし草を刈り、ついでにタイムとかバジルとかローズマリーといった、食える草を植えてみた。
 こういうのをハーブと言うのだろうが、ハーブを植えました……なんてしゃらくさいことを、この中年ババアが口が裂けても言えるかい。食える草だよ。しかし、沖縄の風水師から「絶対に庭に野菜畑など作ってはいかん」と念を押されているので、パセリはバジルはあくまで「草」であって野菜ではないのだ。
 家の敷地内に畑を作ると、家の神様が怒るそうである。家は畑ではないからだ。もし作るのであればプランターに作りなさいと指導された。私は信心深く素直な女なので風水師の言うことを信じる。できるだけ神様の怒りは買いたくない。五〇歳も間近になれば、神の怒りを買ったとしか思えない恐ろしいことをたくさん見てきた。触らぬ神にたたりなしである。
 子どもは花壇づくりに燃えだして、朝六時には着替えててぬぐいを首に巻き、私を揺り起こすのだ。「お母さん、庭、庭をやろうよ」くっそ〜。学校に行く時もそうやって起きやがれ。仕方なく家族で六時半から庭に出て土を耕し花を植える。それを見たじいさんとばあさんも、こりゃ大変だと慌てて出てきて草むしりを始める。別に同調しなくてもいいのだが、庭いじりというのはなぜか家族全員を巻き込んでいく。おかげで中抜けしにくくてたまらない。
 仕事で東京に出ても、庭のことが気になる。私がいない間にパステルカラーでロマンチックな花とか植えられたらたまらん。うちの庭は和風なのだが、子どもにはそこがまだ理解できておらんのだ。茅ケ崎あたりの洋館風の家の庭先にあるプランターから咲きこぼれているようなふわふわした主体性のない花など植えられたら迷惑だ。気もそぞろで飛んで帰った。
 土を掘っていると幼虫がぞろぞろ出てくる。ダンゴムシも出てくる。私は虫が嫌いだ。触りたくない。あっちも触られたくないだろう。お互いの利害は一致しているので、なるべく交流しない。だが、子どもは幼虫の天敵で「わあっ、幼虫だ!」と幼虫をほじくり返し「どっかに埋めてやらなきゃ〜」と持ち歩いている。おいおいそこに置いといてやれって。そこらにころがしているうちに、蟻が見つけて運ぼうとしている。自然界は過酷だ。人間はこんなに甘ちゃんでいいのだろうか、とアホ面で花を植えている子どもを見て思うのだった。
 だいたい、そんな食えない花を植えてなにが楽しい。植物は食えるものがいいのだ。野イチゴとか、シソとか、セリとか、ツワブキとか、ノビルとか、ヨモギとか、ユキノシタとか、そういう食えるもの重視だ。次が見た目だ。個性的で自己主張の強い花がいい。みんなでまとまって量でごまかして咲いている一年草なんか植えるんじゃねえ!と言ったら、ものすごく冷たい目で見られた。
 こいつもそのうち、ろくでもない男に騙されそうだなあ……と、花を植える子どもを見て、いやな予感がした。
by flammableskirt | 2008-05-19 11:32

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