心の自由
2008年 05月 08日
久しぶりに東京へ向かう。
午後から新幹線に乗って、ホテル西洋銀座でインタビューを受ける。
西洋銀座の喫茶室はレコーダーが使えない。他の人の声が入るかもしれないからご遠慮くださいと言われた。それはそれでサービスのひとつかもしれない。しかし、そういう場合は相手に対して「もし……でしたら、こちらのお席で」のような代替案を準備するのがサービス業だろう。
この喫茶室は、お勘定は「お席で……」とやんわり言われる。これは迷惑なときがある。
そっと支払いをすませてしまいたいような時もあるのだ。特に先に席を立つ場合などだ。
全体に西洋銀座は部屋数が少なく「隠れ家的なホテル」であり、お値段もそこそこお高く、お金持ちがご贔屓にして使うようなホテルである。よって喫茶室のソファの座り心地はとてもよいが、ホテルの従業員の対応がなんとなく窮屈だ。
昔はそうでもなかったのだが、いまはいささか感じが悪い。もしかしたらあまり流行っていないので従業員に余裕がないのか。西洋銀座のやり方は西洋銀座風ではあるが、絶対ではないので、いつも自分のやり方が絶対ではないという、謙虚ないいかげんさが必要だよな、と思ったりした。まあ、私は仕事の待ち合わせ以外でなければめったに行かないからいいが……。
居心地のいい喫茶ルームは高輪プリンスの桜タワーだな。窓からの景観がすばらしいく、桜の頃は最高だしてきとうにのんびりと過せる。ソファもてきとうに座り心地がいし。
で、そのインタビューが終わってから丸ビルにある居酒屋に向かったのだが、丸ビルのなかの居酒屋というのも、なんだかさっぱりパッとしないね。なにより料理がまずい。そしてネタが悪い。対応が一本調子である。サービスしなくてもお客がくるのだろうな。天下の丸ビルだから。
……というようなことは、どうでもよく、昨日は「キュア」の取材で御世話になった、お医者さま方との会食で、三人の先生と当然ながら医療の話になり、特にがんの代替医療ってどうよ、という意見を聞かせてもらってたいへんおもしろかった。いまずーっと考えているエリザベス・キューブラー・ロスのことが、あっちにいったりこっちにいったりしている。
ぼんやりとさせておくことが大切だ。つかまえたいが焦らずに、もう少し考えを自由にさせておくこと。しかし、考えを自由にさせておくというのはあんがいと難しい。
行き帰りの電車のなかで、中井久夫先生の「最終講義」を読んだ。中井さんの本はなぜかときどき読み返したくなる。この最終講義は分裂病の治療に関する中井先生の考え方のダイジェストで、なぜかそれが普遍性を帯びていて面白い。治療というものの根本を考えるうえでとても役に立つと思う。
分裂病の患者さんは「一から10までの数字をでたらめに並べてみて」と言われても、それができないそうだ。乱数というものを作れない。しかし、それは健常者が雪山で遭難したときも同じ状態になるのだそうだ。この乱数を作れない……というのは、心が制約され、ある秩序にがんじがらめになっている状態、つまり心に自由がまったくない状態にそうなる。よゆうがなくなれば誰でもそうなる可能性をもっている。
雪山で遭難していれば、私も「1から10まででたらめに数字を並べる」ことが困難になる。どうがんばっても出てくるのは「12345……」の配列なのだそうだ。……となれば、でたらめということがいかに難しいことがわかる。でたらめで、ちゃらんぽらん、というのはよく言えば、心がとっても自由で余裕があるということだ。いいかげんもそうだし、てきとうも、ゆとりがなければ不可能な行為なのである。
新人のバイトに「てきとうにやっといて」というのが、いかに困難を強いていることか。緊張している人間には「てきとう」は無理だ。
犯罪というものに関わる人は、たぶんこのような状態、雪山で遭難しているような心理状態なのだろう。だから乱数が作れない。心の自由が全くなく、「もうこうなったら殺すしかない」と思うのだ。
そのように考えていくと、分裂病のみならず、人間の心というのがせっぱつまったときどういう状況になるのかわかりやすい。中井先生の本はたいへん応用範囲の広い内容が書かれており、中井先生という人が、いかに心の自由を保ち続けた人かがそれだけでわかる。

