日本の美しい福祉の姿
2008年 04月 17日
今日のニュースで、看護や福祉の現場に、インドネシアからの外国人労働者が参入することを知った。政府がずいぶん前からこの計画を進めていたのは知っていた。今回、いよいよ具体化することになったわけだ。
スウェーデンでは、高福祉を支えているのは外国人労働者だった。ジョークだけど「24時間訪問介護が必要な婦人の家には、一日で18人種が出入りする」と笑っていた。
スウェーデン人は「老人介護なんて、あれは成人男性の仕事ではない」と言いきっていた。老人介護の仕事に就くのは、移民か、女性であって、男の職場じゃないのだそうだ。つまり、職業的にはかなり下に見られていた。
日本に戻って、介護の仕事に男性が就いているのを見て、意識がずいぶん違うなあと思っていたが、けっきょくこの数年で、状況が変化した。介護職の男性の職場慣れが目立つようになった。ある程度、働いても、先が見えない。給料が上がらない。この先、結婚して生活していくのに不安だ……。その気持ちは十分すぎるほどわかる。
介護保険によるお金で運営している介護事業者は、保険というみんなのお金を受け取るから、他の業種のようなお金儲けはできないのだ。コムスンのような問題が起こったのは、この制約のなかで事業を拡大したために利潤を追求しなければいけなくなったから……とも言えると思う。
日本では介護の仕事は「人間性を必要とされる尊い仕事」というイメージがあった。でも、この数年でそのイメージは残念なことに壊れ初めているような気がする。なんだか、スウェーデンと近づきつつあるなあ、と思うのだ。
福祉先進国のスウェーデンがすごいのは、外国人労働者を使ってかなり高水準の老人介護を実践していたことだ。この人たちには、人間に対する確固とした共通理念がある。それは「人間はだれでもみな十分な介護をうけ、尊厳をもって扱われる権利がある」という、これはもう日本人にはたちうちできない鉄のような信念なのだった。
そして行政に対しても、その信念で政策を徹底させるように監視し、文句を言い、指導してきたのである。すごいなあ……と思った。この国の人たちは、国を信頼しているし、国に対して不満があれば変えられると信じている。私は、そんなこと信じていない。ぜんぜん信じていなかった。国は、もうとてつもなく国民から遠くて、しょせん、国会議員は派閥争いや勢力争いに明け暮れて、国民のことは後回しなんだ……と、そう思っていたし、いまもそういう気分でいる。
スウェーデンじゃあ、外国人労働者が福祉を支えていた。日本もそうなるのかな。でも、日本の人口は1億2千万人だけど、スウェーデンの人口は900万人くらいなんだよなあ。だから、この二つの国はあまりに人口が違いすぎて、とても比べることなんてできないと思う。どうなんだろう、日本はこれほど人口がいるのに、ほんとうに外国から労働力を買わなければ介護の人材をまかなえないのかな。
日本のお役人は、メイドを雇うような気持ちで、海外から介護者を連れてきているんじゃないだろうか。なんだか、そんな気がしてならない。「東南アジアの女性は老人を大切にするから」的な発想が見え隠れして、すごくいやなんだ。そして介護という仕事は、やはり「外人の仕事」みたいな見方をするようになるのが嫌なんだなあ。
日本において介護職が「よい仕事である」というイメージがあったのは、日本人の心のなかに他人のお世話をするのは美徳である、という意識が残っていたからだと思うのだ。だから「僕は福祉の仕事に就きたい、老人介護したい」と言えば、まあ、偉いわねえお若いのに立派ね、ということになっていたと思う。でも、その価値観はどんどん変ってしまうかもしれないと思う。
いまのような福祉政策では、きっと、この仕事はいつか「ぜんぜんかっこわるいダサい仕事」になってしまうかもしれない。
日本には、日本にあった介護があり、福祉政策があると思うんだけど、なんだか外国の真似ばかりしていて、残念でならない。日本は日本型の福祉というものを目指せばいいのに。
私が取材を始めた4年前は、若いイケメンの介護者がいて、初々しくて、こんなかっこいい若者に爪を切ってもらえたらおばあちゃんになってもうれしいな、なんて思ったりもした。だけど、その子たちはどんどん職場を離れている。そうならないための施策も考えずに、労働力がないといって海外から連れて来るのって、なんか変じゃないかなあ……と思う。
若い人たちが意欲をもって働ける職場が作られれば、それは世界がびっくりするほどすごい福祉政策を確立したことになるし、成人男性がバリバリ介護の現場で働いていたら、スウェーデン人はきっとカルチャーショックを受けるだろう。そういう国になりたいと思うんだけどなあ。
スウェーデンでは、高福祉を支えているのは外国人労働者だった。ジョークだけど「24時間訪問介護が必要な婦人の家には、一日で18人種が出入りする」と笑っていた。
スウェーデン人は「老人介護なんて、あれは成人男性の仕事ではない」と言いきっていた。老人介護の仕事に就くのは、移民か、女性であって、男の職場じゃないのだそうだ。つまり、職業的にはかなり下に見られていた。
日本に戻って、介護の仕事に男性が就いているのを見て、意識がずいぶん違うなあと思っていたが、けっきょくこの数年で、状況が変化した。介護職の男性の職場慣れが目立つようになった。ある程度、働いても、先が見えない。給料が上がらない。この先、結婚して生活していくのに不安だ……。その気持ちは十分すぎるほどわかる。
介護保険によるお金で運営している介護事業者は、保険というみんなのお金を受け取るから、他の業種のようなお金儲けはできないのだ。コムスンのような問題が起こったのは、この制約のなかで事業を拡大したために利潤を追求しなければいけなくなったから……とも言えると思う。
日本では介護の仕事は「人間性を必要とされる尊い仕事」というイメージがあった。でも、この数年でそのイメージは残念なことに壊れ初めているような気がする。なんだか、スウェーデンと近づきつつあるなあ、と思うのだ。
福祉先進国のスウェーデンがすごいのは、外国人労働者を使ってかなり高水準の老人介護を実践していたことだ。この人たちには、人間に対する確固とした共通理念がある。それは「人間はだれでもみな十分な介護をうけ、尊厳をもって扱われる権利がある」という、これはもう日本人にはたちうちできない鉄のような信念なのだった。
そして行政に対しても、その信念で政策を徹底させるように監視し、文句を言い、指導してきたのである。すごいなあ……と思った。この国の人たちは、国を信頼しているし、国に対して不満があれば変えられると信じている。私は、そんなこと信じていない。ぜんぜん信じていなかった。国は、もうとてつもなく国民から遠くて、しょせん、国会議員は派閥争いや勢力争いに明け暮れて、国民のことは後回しなんだ……と、そう思っていたし、いまもそういう気分でいる。
スウェーデンじゃあ、外国人労働者が福祉を支えていた。日本もそうなるのかな。でも、日本の人口は1億2千万人だけど、スウェーデンの人口は900万人くらいなんだよなあ。だから、この二つの国はあまりに人口が違いすぎて、とても比べることなんてできないと思う。どうなんだろう、日本はこれほど人口がいるのに、ほんとうに外国から労働力を買わなければ介護の人材をまかなえないのかな。
日本のお役人は、メイドを雇うような気持ちで、海外から介護者を連れてきているんじゃないだろうか。なんだか、そんな気がしてならない。「東南アジアの女性は老人を大切にするから」的な発想が見え隠れして、すごくいやなんだ。そして介護という仕事は、やはり「外人の仕事」みたいな見方をするようになるのが嫌なんだなあ。
日本において介護職が「よい仕事である」というイメージがあったのは、日本人の心のなかに他人のお世話をするのは美徳である、という意識が残っていたからだと思うのだ。だから「僕は福祉の仕事に就きたい、老人介護したい」と言えば、まあ、偉いわねえお若いのに立派ね、ということになっていたと思う。でも、その価値観はどんどん変ってしまうかもしれないと思う。
いまのような福祉政策では、きっと、この仕事はいつか「ぜんぜんかっこわるいダサい仕事」になってしまうかもしれない。
日本には、日本にあった介護があり、福祉政策があると思うんだけど、なんだか外国の真似ばかりしていて、残念でならない。日本は日本型の福祉というものを目指せばいいのに。
私が取材を始めた4年前は、若いイケメンの介護者がいて、初々しくて、こんなかっこいい若者に爪を切ってもらえたらおばあちゃんになってもうれしいな、なんて思ったりもした。だけど、その子たちはどんどん職場を離れている。そうならないための施策も考えずに、労働力がないといって海外から連れて来るのって、なんか変じゃないかなあ……と思う。
若い人たちが意欲をもって働ける職場が作られれば、それは世界がびっくりするほどすごい福祉政策を確立したことになるし、成人男性がバリバリ介護の現場で働いていたら、スウェーデン人はきっとカルチャーショックを受けるだろう。そういう国になりたいと思うんだけどなあ。
by flammableskirt
| 2008-04-17 16:01