自己正当化
2008年 04月 08日
週末はいろいろあった。
土曜日は、東京から友人が子連れで遊びに来た。三家族でイタ飯屋に行って食べたり飲んだりした。子どもが小さい頃からずっといっしょに遊ばせて来たけれど、いまや子どもたちも小学校六年になり、それぞれの違う人生を歩き始めている。
一人はバレリーナ目指して、猛レッスン中。バレエ漬けの毎日。一人は有名私立中学を目指して猛勉強中。今年は最後の追い込みで受験勉強漬けの毎日。
うちの娘は……、なにもしていないというと子どもに悪いが、近所の公立中学に進学するので勉強もふつうだし、習い事も一切していない。いまどきなにも習い事をしていない子どもは珍しいくらいかもしれない……。
親子でバレエ道を突き進む友人も、親子で受験に望む友人も、迫力があり、すごいなあ……と思う。正直、自分はこれでいいのかなあ……と、ちょっと不安になる。話題も子どもの将来のことがかなり。
私は、子どもの将来にあまり関心がない。それは親としてどうなのだろう、と二人と会うとちょっと不安になったりする。だけど、娘も私も、特にいま躍起になるべきことが見当たらないし、中学はそこらでいいと思っているし、高校のことはそのとき考えようと思っているし、ようするに未来の展望がそんなにないのである。
ときどき、未来に向かって突き進んでいる人たちを見て、自分の現在に不安になり、不安を隠すために自己正当化したくなるときがある。そういう理屈をこねて自分を安心させたい気分になることがある。「私は子どもの将来のことは、子どもに選択させようと思うのよね。親の意志で子どもをスポイルしたくないわけ……」みたいな、しゃらくせえことを言ってみようかな、って気になるときがあるが、なんだか、それもバカみたいだと思い、黙る。
私が自分を正当化すれば、他の二人を否定することになるし、そうされたらやっぱり、自分は正しいのかなって、相手も不安になるだろう。私は、子どもの将来にさほどの期待もなく、けっこう安穏でそれに甘えている。これはこれなのであって、 それだけのはずなのに、自分がちょっと不安になると、自分を正当化して、逆に相手を不安にさせるような、そういう微妙な気持ちの揺れが起こるのが、おもしろいなあと思う。
自己正当化する人がいっぱいいる社会だったら、そこはきっと、みんなが不安な社会なんだろう。
土曜日は、東京から友人が子連れで遊びに来た。三家族でイタ飯屋に行って食べたり飲んだりした。子どもが小さい頃からずっといっしょに遊ばせて来たけれど、いまや子どもたちも小学校六年になり、それぞれの違う人生を歩き始めている。
一人はバレリーナ目指して、猛レッスン中。バレエ漬けの毎日。一人は有名私立中学を目指して猛勉強中。今年は最後の追い込みで受験勉強漬けの毎日。
うちの娘は……、なにもしていないというと子どもに悪いが、近所の公立中学に進学するので勉強もふつうだし、習い事も一切していない。いまどきなにも習い事をしていない子どもは珍しいくらいかもしれない……。
親子でバレエ道を突き進む友人も、親子で受験に望む友人も、迫力があり、すごいなあ……と思う。正直、自分はこれでいいのかなあ……と、ちょっと不安になる。話題も子どもの将来のことがかなり。
私は、子どもの将来にあまり関心がない。それは親としてどうなのだろう、と二人と会うとちょっと不安になったりする。だけど、娘も私も、特にいま躍起になるべきことが見当たらないし、中学はそこらでいいと思っているし、高校のことはそのとき考えようと思っているし、ようするに未来の展望がそんなにないのである。
ときどき、未来に向かって突き進んでいる人たちを見て、自分の現在に不安になり、不安を隠すために自己正当化したくなるときがある。そういう理屈をこねて自分を安心させたい気分になることがある。「私は子どもの将来のことは、子どもに選択させようと思うのよね。親の意志で子どもをスポイルしたくないわけ……」みたいな、しゃらくせえことを言ってみようかな、って気になるときがあるが、なんだか、それもバカみたいだと思い、黙る。
私が自分を正当化すれば、他の二人を否定することになるし、そうされたらやっぱり、自分は正しいのかなって、相手も不安になるだろう。私は、子どもの将来にさほどの期待もなく、けっこう安穏でそれに甘えている。これはこれなのであって、 それだけのはずなのに、自分がちょっと不安になると、自分を正当化して、逆に相手を不安にさせるような、そういう微妙な気持ちの揺れが起こるのが、おもしろいなあと思う。
自己正当化する人がいっぱいいる社会だったら、そこはきっと、みんなが不安な社会なんだろう。
by flammableskirt
| 2008-04-08 09:37

