「恋空」を観た娘たちへ
2008年 03月 14日
イタリアからの帰りの飛行機で、映画「恋空」を観た。
わたくし48歳ですが、不覚にも泣いた。基本的に涙もろいのである。うちの娘はまだ11歳だが、あと5年もすれば主人公と同じ年。今だって、ホワイトデーのお返しが来るかとわくわくしている。ああ、うちの子もそのうち男に夢中になる年齢になるのだな。
生まれて初めて男子にチョコをあげたのは小学校五年の時だった。初恋と言えるものは十三歳で体験した。ちなみに初キスは14歳だった。「恋空」に描かれていた女子の気持ちは、年増になった今でも十分理解できる。心のなかにはまだ十代の記憶が生き生きしている。
もちろん、私はその後、人生の紆余曲折を経て今にいたる。男にふられた数も半端じゃねえし、結婚して、子どもも生んで、亭主の親といっしょに地味に暮らしている。恋に終わりがあることも知ったし、終わりがなければ始まりがないことも、永遠に持続する恋愛感情などありえないことも、経験的にわかってしまったが、経験でわかったことが人生の真実ではない。恋を体験するのはすてきなことだ。だからこの映画がヒットし、携帯小説が読まれることは十分に理解できた。
ただ、この映画には、ちょっと足りない部分があるなあと思ったので、おせっかいだが補足しておく。注釈的に読んでもらえたら十分である。こういうのを老婆心と言うのだろう。
主人公の美嘉が、ヒロの家に行き、いきなりヒロとエッチをする。これは唐突ではないだろうか。少なくとも美嘉は初めてのエッチなわけだし、こんなに簡単に男を受け入れるのは設定としておかしいのではないか。ふつうは「えっ?」とか「マジ?」とか「ちょっと待ってください、私はまだ気持ちの準備が……」となるだろう。ここで美嘉がすんなりヒロとやっちゃうのは、あまりに美嘉が軽すぎないか? おいおい娘、こんなに簡単にやらせちゃったら男からなめられるぞ、と私は思う。それに、最初から気持ちいいってことあるだろうか。タンポンすら入れるのが痛かった私としては、初体験で最初から気持ちいいという設定は「絶対にありえない!」と異を唱えたい。
娘たち、初セックスはけっこう苦痛だし、みじめなものだ。お互い場数を踏みながら上達していくものである。この映画は初体験を美化しすぎている。だいたいこんなに簡単に男にやらせてはいかん。
そしてまた、このヒロという男はすごく優しくていい奴なのだが、全く避妊する気がない。でもまあいいか、赤ちゃん出来たら生む気満々だったからそれは許そう。しかしながら、こんな少年はいないぞと思う。男というのは結婚していたって、子どもができたときは「え?子ども!」とショックを受けたりする。子どもっていうのは男にとって脅威であり、自分の自由を束縛する異物。あるいは自分の妻を奪う敵でもある。だから、最初からすんなり子どもを受け入れて、やったあ!などと喜ぶ青少年など、ありえないと思うし、もし本気でそう思っているなら現実感覚のない相当なロマンチストである。子どもできたらもっと苦悩しろよ、おい!おめえは安易すぎるぞ。だいたい、ここまでステレオタイプの優しい男はヒロかヨン様だろう。こんな男がいたらほんとに凄いと思うけど、絶対にいねーよ。だが絶対にいないから憧れの対象にもなるのだろう。私も憧れるちゃうよ、でもいないということを知っている。おばさんだから。
ヒロの家庭はやんきーな感じで、家族全員がジャージをはいていた。素晴らしい。私も家ではジャージをはいている。そんなことはどうでもいいが、やんきーなヒロの元カノもやんきーで、手下に指示して美嘉をレイプさせる。犯罪だろう?それは。ここで、この映画はレイプは犯罪である、ということが十分描かれていないのは憤慨だ。これは刑事事件で警察が介入していよい犯罪なのだ。そのことをちゃんとわかってるのか? 何度でも言うがレイプは重大犯罪だ。
そしてこの映画においては、レイプシーンがきれいすぎる。レイプというのは、あんなあっさりしたもんじゃない。レイプというのはどこの誰かもわからない薄汚い男にごりごり突っ込まれて、しかも映画ではマワされている。複数の男にじゅうりんされるのだ。こんな屈辱的なことはない。優しくやられるんじゃない、殴られて乱暴されてマワされるのだ。性器は傷つくし、バイキンは入る。もちろん妊娠の危険もあるし、なにより、複数の男に強姦されるとそれだけで将来、子宮ガンになる確率がものすごく上がるのだ。
子宮ガンだぞ。そんなリスクを負わされて、しかも精神的にもものすごく傷つく。レイプされた女子は、自分が汚されたという気持ちになり、自分を大切に思えなくなる。ショックは無意識下に影を落とし、その傷をなんとか克服しようとして、同じ状況を無自覚に作り出す。レイプされた女子がまたレイプされる確率が高くなるのはそのためだ。また初体験がレイプ体験である場合、男性に対して自信がもてなくなり、DV、つまり自分に暴力をふるう男を無意識に選んでしまったりする。ほんとうに、女子にとってこんなひどい行為はないのだ。身体も心も傷つきまくる。だが「恋空」では、あまりにあっさりとレイプ体験が描かれている。こんなにあっさりレイプがはびこっては困る、冗談じゃない。大事な娘をやんきーの女の指示でレイプされてたまるか、おまえら全部刑務所に送ってやるぞ、と母は決意せんでどうするか!レイプは犯罪だし、絶対にやってはいけないことだ。
女子は、レイプがあんなものだと思ったら大間違いだ。もっと汚くて、痛くて、ひどくて、後々まで自分の人生に影を落とす最低な事態であり、そのような状況からは必死で回避しなければならないし、もし、レイプされたとしたら、申し訳ないが映画の美嘉のように簡単には立ち直れない。
もっと怒って怒って怒って、自分がされたことへの怒りをぶちまけて、自分は悪くない、悪いのは男どもだ、と自分に言い聞かせ、納得し、自分を許し、自分を愛さなければ、とうてい立ち直れないようなことなのだ。そのときに必要なのは男の愛じゃない。自分を愛する自分への愛が必要なんだ。
映画では、美嘉はレイプの傷をヒロの支えで乗り越えて、図書館でエッチして妊娠する。レイプされてすぐにエッチができるようになるというのが、考えにくい。レイプされた直後は男性との接触は、イヤな記憶を思い起こさせるのでなかなかできなくなることが多い。愛の力でそれを乗り越えたとしても、すぐに妊娠するなんて子宮の状態からして考えにくい。まあいい、奇跡が起きて、美嘉は図書館のエッチで妊娠してしまった。しかし、またやんきーの元カノが現われて、妊娠中の美嘉を階段から突き落とし、流産させてしまう。
この場合は死産だったので、気を失っている間に麻酔をかけられて子どもはそうはされたのだろう。だから主人公は記憶がない。気がついたら赤ちゃんはいなくなっていた。でも、これはラッキーだったね、と私は思った。赤ちゃん生まれていたら大変なことだったよ。なにしろヒロはがんで、すぐ死んでしまうのだから、赤ちゃんが無事生まれていたら主人公は17歳の子持ちとして、一人で育てていかなければならなくなる。たぶん、主人公の母親がまだ若かったから、母親が自分の子どもとして孫を育てる……というようなことになるんだろう。などと、勝手に想像してしまった。
若い二人が死んだ赤ちゃんを悼む姿には心打たれた。なんて優しい子たちなんだろうか。赤ちゃんには罪はない。
ここで都合よく流産したが、現実はなかなかそうはいかない。たいがい堕胎ということになるが、堕胎もまたひたすら女子だけの身体に負担をかけるものだ。セックスは気持ちいいが、女子にはリスクもともなう。男子とは違う。女子はそのことを十分自覚してほしい。避妊しない男は信じないほうがいい。コンドームなんかヒロがつけたら、この物語はちっともロマンチックじゃなくなってしまうが、私は娘の母親としてヒロに言いたい。私の大事な娘とセックスするなら、絶対に避妊してくれ。頼む。コンドーム代くらいけちるな。コンドームつけない男子はクズだ。たとえあんたがどんなに優しい男だろうと、母さんは許さん。避妊しろボケ。
娘よ、おまえも簡単にエッチさせるな。もう少し気をもたせたり、いやがったりしろ。そして男にちゃんと避妊させるくらいの、智恵をもて。それもできない子どもな女子は、最後までヤルな!途中でストップして、家に戻ってマスターベーションでもしていなさい。
堕胎は子宮が傷つくし、金はかかるし、子どもは殺すし、百害あって一利なし。こんなリスクを女子だけが背負う。その意味を考えてくれない男に愛はない。美嘉の母親はなんで娘にちゃんとセックス教育しないのか。この母親もまったく気がしれない。娘がこんな大変なことになってるのに、ぼんやりしすぎている。もっと怒れ母親。レイプされたんだぞ娘が!私は怒っているぞ。だって、自分の大事な娘がこの男子をつきあったためにボロボロになってんだぞ。そりゃあ二人が愛しあってるのだから、周りがどうこう言っても無駄かもしれないが、夫婦喧嘩なんかしてる場合か。まったく腹が立つ。
なんだか、お互い甘い甘い甘やかしの関係のなかで、ちゃんと腹を立てる大人もなく、でれでれと若者を包んでいるこの不気味な家庭の空気に、私は親として堪え難い窒息感を感じた。なんじゃいこの家族、それで最後に笑ってハッピーエンドかよ。ふざけんな。なんてふぬけた両親なんだ。こんなぼんやりした両親の元で、娘がまともに育ったことが奇跡だ。
ところで、私は今年に入って父をがんで亡くし、また続けざまに友人も二人がんで亡くなった。なかなかすさまじい死に様だった。がりがりに痩せて、顔に黄疸が出て目まで黄色くなった。映画だから……ということもあるが、ヒロは死ぬまで美しかった。
それでも、どんなにリアリティがなくても、最後に携帯で美嘉の姿を見ているヒロの臨終場面には泣いた。二人が結婚式をするところも泣いた。ようするに人間というものは、お涙ちょうだいを見たら素直に泣けるのである。メロドラマで感動することと、現実を知っていることは矛盾しない。暗い機内の中で私は涙を拭いていたが、だからと言って、この映画がまったくリアルでないことも、レイプや妊娠やセックスを美化しすぎていることも十分わかっている。わかっていても、映画は映画としてちゃんと楽しめる。現実を知ったおばさんになったからと言って心まで鉄面皮になってしまうわけではないのだ。
だから、映画を映画として楽しむと同時に、この映画がいかに現実を美化しているかについても、認識してほしいと思う。まったく矛盾しない。シビアになったから泣けないなんてことはないのである。
娘とは、この映画をいっしょに見て泣きたい。それから、鼻をかんでいろいろネタにして話しあいたいと思う。