雪の金澤



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仕事で金澤に行って来ました。友人のカメラマンの桝野さんが東山で写真を撮ってくれました。金澤に行く前に、髪を切った。この人生で最も短くした……という感じ。父の四十九日が終って一区切りつけたかったのかもしれない。写真を見て「うわっ。髪が短い!」と改めてショック。

翌日は近江町市場に買い物に。市場のなかでお寿司を食べた。「シラエビちょうだい!」と言ったら、寿司屋のおじさんに「シロエビだよ。日本語は正確に!」と注意を受ける。とほほ……。
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金澤での仕事
北國新聞に掲載された講演要旨
「がんと生きる智恵・小説「キュア」の取材を通して学んだこと」

北國新聞政経懇話会二月例会は二十五日、金沢市の金沢エクセルホテル東急で開かれ、作家の田口ランディ氏が「がんと付き合う知恵〜小説『キュアcure』の取材を通して学んだこと」と題して講演した。肺がんで余命半年といわれ今年一月に死去した父の介護体験を紹介した田口さんは「日本の医療はがん患者にも生きる希望を与える取り組みが必要。治るか治らないかにこだわり過ぎず、どう闘い、どう生きるかという視点がこれから大切だ」と強調した。講演要旨は次の通り。
 日本では、がんが絶望の代名詞になっている。そう思わせる構造があるからだ。昨年六月、骨折で整形外科病院に入院した父を例に指摘したい。入院して肺に影があると分かったため、私が近くの県立がんセンターへ行き写真を見せると、肺がんだろうと言われた。治療を依頼すると、「骨折の治療ができないから」と転院を断られた。

 実は私も知らなかったが、父はアルコール依存症だった。幻覚症状が出始め、退院を通告された。三十以上の病院に当たったが、受け入れ先はなし。ある人の助言を受け、退院した上で救急車で救急病院に入ったが、そこでも退院か、家族が二十四時間付き添うかだと言われた。

 家族でもそれは無理だ。何とかお願いすると、雇った付き添いを病院は認められないが、家族だと申告すれば可能で、そうした。ここで初めて検診を受けることができた。医師から余命半年と言われた。それも、七十八歳、精神的障害もあるし、もういいのでは、といった感じで。

 ショックだった。余命をどう過ごすかを考えた方がいいと言われても、病院は何も相談に乗ってくれない。どうしたらいいのか。何かしらの代替医療の話でもしてもらえば、まだ頑張れる。しかし、科学的根拠がないから言えないのだ。これが不幸を招いている原因の一つになっていることも分かってほしい。

 病院探しを手伝ってくれる協会の存在を知り、相談し精神病院に転院。アルコール依存症と、それによる認知症は幸いにも一週間ほどで治った。この時点で父はまだがんであることを知らない。悩んだ末、私から告げた。二日後、父に会うと、告知は記憶から欠落していた。絶望に等しく意識が拒否したのだ。

 このころ激痛が始まった。実は日本の医療には痛み止めのモルヒネを適切に扱える麻酔科の医師が不足している問題点がある。私は医師を探し、行き着いたホスピスに父を入れた。そこは末期患者に対して緩和処置はするが、それ以外は患者自身がやるのが原則で何もしない。

 食事が取れなくなり、寝た状態が多くなった父は、ある日、「そろそろお迎えが来たようだ」と体を起こし、遺言を私たちに伝えた。末期患者はいろんな機器につながれ、ぜぇぜぇ言っているイメージがあったが、父は何か植物がゆっくり枯れていくような感じだった。

 ホスピスには随分感謝している。最後の最後には必要だろう。しかし、父のように生きようと思う人が入るのはつらすぎる点も否めない。医者側から何かしら希望の持てるような手助けがあってもよいのでないか。

 科学的根拠はないが、米国で、祈る人の多い患者の治癒率が高いという統計がある。免疫力も治るかもしれないと信じれば高まる可能性があり、そんな話一つで、がんとの付き合い方が違うように思う。末期でも余命何年と見放すのでなく、ケアを考える医療を患者や家族は望んでいるはずだ。
by flammableskirt | 2008-02-27 11:31

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