スピリチュアルをどう思うか


ときどき、「スピリチュアルですよね?」という質問を受けます
読み手の方がどのように私の作品を読むか、それを書き手がとやかく言うことはできない。
でも、私個人は「スピリチュアルではない」です。

スリピリチュアルというのは、たとえばオーラの泉に出ている江原さんは三輪さんのような方を言うのだと思います。私は生まれてから一度も霊を見たことがないし、いわゆる、霊的な人たちがするような、スピリチュアルな体験というのはしたことがありません。

「ドリームタイム」をエッセイだと思い、私が特別な体験をしていると思い込んでいる読者の方も多いのですが、あれは小説で、すべてフィクションです。本にも小説だと書いてあるのだけれど、誤解する方が多いのはそれだけリアリティがあるということなのかな。それはそれでうれしいことです。同じように「オカルト」もフィクションです。

見えない世界は存在すると思っています。この世界は人間が知覚し、意識できることだけがすべてではないと思っています。死後も魂は形を変えて存在すると思っています。

でも、この「現世」において、この「三次元空間」において、一番、エネルギーが強いのは生きている人間、生身の生命だと思っている。生きている人間のエネルギーはとてつもない。そう思っています。

正直に言いますと、私は六十年代頃、アメリカからやって来た「ニューエイジムーブメント」というものに影響を受けていますが、いまはあまりニューエイジが好きではありません。なんとなく乗れないのです。同じように「スピリチュアル」にも乗れません。それは私が、おばさんだからかもしれません。

「しゃらくせえ」と思うのです。

地べたはいずって生きている人間が一番強い、という泥くさいものの考え方が、私のなかの根底にあるからかもしれない。私が育った茨城や栃木の田舎の親戚のおじおばたちは、土着で、なにかえたいの知れないパワーをもっていました。そういうものがあまりにどろどろしていて、子どもの頃は怖かったから、都会に出てもっとおしゃれなものを目指してきたけれど、だんだん年をとるにしたがって、自分の原体験の方に惹かれていくのです。そして、外国語を駆使して語られる精神世界を「うさんくさい」と感じてしまうのです。

二十代の頃に好きだった作家は、深沢七郎と石牟礼道子でした。
いま、この二人の作家を読んでいる若い読者なんているのでしょうか? この人たちの作品はすごいです。でも、これが、スピリチュアルの神髄だ、と私には思えるほどの霊的な力をもっています。ここでは、生きている人間が主役です。
霊や、前世が生きている人間に与える影響など、ほとんどないと、思っています。主役はいつも生きている人間です。それが生きているってことです。
生きている人間の、圧倒的な霊的パワーを描いているのが、深沢七郎と石牟礼道子だと思っていました。それはいまも変りません。

ただ、私にはこの二人のような土着性をもちあわせていないので、どこかで自分の表現はうすっぺらいな、と感じていました。だけど、それはもちあわせているとかいないとか、ではないのかもしれない……と、このごろは考え方を変えつつあります。
これは、私のなかにあらかじめあるものではないか。深い沼の底に降りていけば、きっと、あの人たちと同じような恐ろしいものを引っぱり上げることが可能なのではないか。

ただ降りていけばいい。死ぬまで降りていけばいい。
どこまで降りられるか。
興味があるのは、自分がどこまで降りられるか、そういうことになってきました。
深い深い深い、沼の底まで、たどりつきたい。
そしてそこに眠っている、得たいの知れない、人間性にたどり着きたい。
by flammableskirt | 2008-02-19 11:12

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