罪と罰と許し

わけあって、最近、遠藤周作さんの本を読み返している。
ここ数日で、五冊ほど読んだが、なかでも印象に残ったのがこの二冊。
そして、この本のテーマは、先日紹介した森達也さんの「死刑」ともつながっている気がした。
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「イエスの生涯」は評伝であり、「死海のほとり」は長編小説だが、この二冊は対をなしている。同じ主題の変奏曲というのか……、こういう書き方もあるのだなと興味深く読んだ。
遠藤周作さんは、キリスト教徒であったけれど、日本人としてキリスト教をどう理解するかを、ご自身の生涯のテーマとして描いた方ではないだろうか。たんなる読者である私が、口はばったいことを知ったかぶりで語るのは、とても気がひける。どうか、これは一読者のたわ言として読んでもらいたい。
遠藤周作さんが描く「イエス・キリスト像」は、菩薩のようだ。それゆえ、この二冊を読んで最初に思い出したのは、法然がひらいた「本願念仏」の思想であり、イエスと阿弥陀仏の姿がぼんやりと重なった。

私は阿満利麿先生の勉強会で、少しずつ法然について勉強しているところなのだが、どうしても「阿弥陀仏の名を呼べば誰でも浄土に行ける」という、本願念仏の思想が腑に落ちない。そもそも阿弥陀仏とはどういう存在なのかがイメージできない。頭では理解できるが、心で納得できない。そのようなジレンマを感じていた。しかし、遠藤周作さんの「イエスの生涯」を読むと、もしかしたら阿弥陀仏とは、ここに描かれているような存在ではなかったか……と、あるリアリティをもって感じることができたのだ。物語を作る作家の筆力というのは、やはり鬼気迫るものがあるし、いったい、いかなる理由で、遠藤周作という人は、これほどの救済を求めていたのか、その人となりにも興味をひかれるに至った。

「死刑」という制度と向き合うとき、私のなかにはいつも「許していいのか」「許せない」という思いが立ち上がる。身勝手な理由で無差別に人間を殺すような凶悪殺人など、いかなる理由をもってしても容認できぬし、許し難い。それはもう、ごく一般的なあたりまえの人間の心情である。だが、あらゆる人間の罪を哀しみ、共に罪を背負うという「超越的な存在」を、物語としてリアルに想定されたとき、自分のなかのなにかが壊れ、別の感情がわきあがってくるのを、感じずにはおれない。なぜだろうか……。この読書体験は。不思議なのだ。たかだか小説なのに、私を根底からひっくり返す力をもっている。たぶん、いまの私の問題意識と作品のテーマが共鳴しているから、このようなことが起こるのだろう。

なので、この三冊をセットで読んだ、という事実は、私にとって偶然とは思えず、なにか必然を感じる。本がテーマによって引き合ってしまったのだろう。
by flammableskirt | 2008-02-10 12:43

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