12万年ローン
2026年 02月 06日
エネルギー政策について。
原発というハイリスクな設備を作ってしまった時点で、私たちは12万年のローンを組んだようなものだ。
廃止になったところで、高レベル放射性廃棄物はずっとずっと先の世代にまでツケとして残る。いま生きている誰も、その責任を取れない。フィンランドのように、最終処分の方針を決め、実行段階にまで進んでいる国は、世界でもほとんど例がない。
10年ほど、原発問題の研究会を主宰し、廃棄物処理をめぐる対話の場づくりや、さまざまなシンポジウムに関わってきた。その頃に知り合った研究者や、反原発運動に身を投じていた人たちが、少しずつ亡くなっていくなかで、私は、何もできず、ことばもなくなった。正直に言えば、年をとって気力も減り、考え続けることから降りた。
福島第一原発事故以降、止まっていた原発のメンテナンスは、想像以上に大変そうだった。事故後、原発部門は人気がなくなり、人が集まらない。休眠していても、原発は生き物のように手がかかる。お金ばかりがかかる「原発介護」の現場で、人材は削られ続けた。
原発は、自分の葬式費用、つまり廃炉費用を、稼働中に積み立てるという仕組みを前提にしている。制度上はそうなっているが、現実には不足が慢性化している。古い原発にはある程度の蓄えがあるが、新しい原発は、再稼働の遅れもあって十分な引当ができていない。介護費用だけがかさみ、収入がない。だから、せめて動かして、葬式代くらいは稼いでくれよ、と思ってしまう企業側の気持ちも、わからなくはない。
介護する側の人材不足は深刻だ。古い原発を扱えた技術者は定年退職し、この10年で中堅層の多くが別部署に移った。経験の継承が途切れたまま、原発をゆり起こすことになる。再稼働と簡単に言うけれど、現場は三交替勤務でも追いつかない。原発は、人が動かしている。
原発問題は、関わると地獄だ。出口がない。知れば知るほど絶望感が増す。イヤだけれど、どこかで見ないふりをしないと身動きが取れなくなる。考え続けるほど、無力感が蓄積される。いま、私の立場は原発廃止だ。以前は中立の立場で、廃棄物処理問題の対話に関わってきたが、再稼働が始まり、年もとり、状況も変わった。反対の側に立つと決めた。
原発に代わる技術として、核融合が語られている。研究は進んでいるが、商業化はまだ見通しが立っていない。しかも、この分野に巨額の投資をしているのは、AIで利益を上げているIT財閥だ。このエネルギーが、平等に使われる未来になるかどうかは、正直あやしい。
怖いのは、技術そのものではなく、ヒューマンエラーだ。ミスするのは機械よりも人間のほう。ブランクがあり、現場が慣れておらず、ヒューマンエラーの確率は?たぶん上がっていると思うよ。
進むのも、やめるのも、同じくらいリスキー。それなら、期限を決めてやめたほうが、まだ打つ手があるかもしれない、と思うに至る。事故ったら責任を取るのは現場。それも辛い。
放射性廃棄物は、出した国で処理するというのが国際原則だ。原発をやめれば、それはゴミになるが、動かし続けていれば「また使う資源」という建前が成り立つ。日本は、エネルギー目的以外でプルトニウムを保有してはならない国だ。ちょっとややこしいけど、
核不拡散条約のに加盟している日本はプルトニウムを軍事保有できない。さらに、国内の原子力基本法でも兵器利用はNG。核の国際監視機関が日本に目を光らせてる。こんな三重の縛りがあるからプラトニウムを置いておくために、原発動かしていないと平和利用の体裁がつかない、と政府は言う。事実だけどね。やめるならちゃんと処分する場所決めろよ!って、国際的に突っ込まれちゃう状況は、ある。
日本が今、大量のプルトニウムを保有できているのは、日米原子力協定という、きわめて政治的な枠組みの中でのみ許されている例外事例なんだ。かろうじて原発を動かしていることで、「核兵器には使いません」という言い訳が成立してきた。
やめれば正当性が揺らぎ、動かせばリスクが増える。あちらを立てればこちらが立たず。八方塞がり。それが原発問題。まさにとほほ。
国内事情と、国際政治と、エネルギー政策が絡み合った三すくみの状態で身動きが取れない。ああ、それが、原発。
私なんぞには手も足も出ませんが、原発は廃止に賛成。
生い先が見えてきた。自分のわがままを許す。じゃあエネルギーどーするんだ?って言われても、考えてきましたがわかりません。
何かを諦めないと決められないから、無責任かもしれませんが、原発は廃止に挙手。
by flammableskirt
| 2026-02-06 11:30

