わからないことが、答え。

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先日も「ランディさんは、佐藤初女さんと交流があったのですよね?」と声をかけられた。その方はうれしそうに「私も初女さんが亡くなる前年にお会いすることができて、その時のおむすびの味が忘れられません」と、思い出を語ってくれた。
「そうなんですね、それは良かったですねえ」と答えながら、内心は別のことを思っていた。
(初女さんは寝込むようになるまではずっと、訪ねて来る方と会い続けていたと聞く……。どうしてそこまで人に対して誠実に優しくなれるのだろうか……私にはさっぱりわからない……)
確かに、私は初女さんと交流があった。初女さんに「娘になりましょう」と言っていただき、かわいがっていただいた。だけど……私はずっと初女さんが理解できなかったし、今だって、まるで理解していないのに、あっちこっちのエッセイに、いかにも知った風なことを書いてきたんだよな。ほんとは、ぜんぜんわからないのに。
そういう自分って、お調子モノの偽善者なんじゃないかな……と感じていた。世間が望む初女さん像をふんわりと文章にしているだけなんじゃないか。これってもしかしてすげえ不誠実な行為なんじゃないか……と。
初女さんは幼い時に教会の鐘の音を聞き、その音に呼ばれた人だ。どんな音が初女さんの耳に聞こえたのかわからない。とにかくその鐘の音は特別で、初女さんはその音を目指して歩いた。そして教会の前に行き着いた。それからずっと……死ぬまで、初女さんは鐘の音を目指していたんだと思う。でも、その音がなんなのか私にはわからない。
それに、初女さんはなぜ、初対面の時に「私の娘になりましょう」なんて、言ってくれたんだろう。いきなり兄が餓死した話をしたからか。この子は傷ついていると思ったのか。救いを求めていると思ったのか。……別に私は何も求めてなんかいなかった。
あの時、初めて見た佐藤初女という人が、ものすごく凛として厳しそうで、この人の前に出て普通に挨拶とか、ずっとお会いしたかったですなんておべんちゃらを言ったら、あの沈黙の前に撃沈するって思った。
この人は真剣勝負の目をしているし、そういう佇まいだ。だからこちらも「私はどういう人間か」を真剣に伝えなきゃいけない。ただ、私にはいろんな側面がある。兄の死以外にだって、自分を真剣に語る術があるはずだった。
なのに、私はなぜあの時、場違いすぎる兄の死を初対面の挨拶に選んだんだろうか。
初女さんと出会ってから数年が過ぎた頃だ。
ちょうど私と出会う少し前に初女さんが息子さんを亡くしたことを知った。びっくりした。そんなこと初女さんは一度も私に言ったことがない。
長男が不慮の死を遂げる……という出来事が私と初女さんの間で暗黙の呼応をしてしまったのか? 
そういうことだったのか……。でも、私はそのことを初女さんに問うことはなかった。それは沈黙しなければいけないことだと思った。理由は……やっぱりわからない。
なんにせよ「私の娘になりましょう」……これは飛躍しすぎている。
困っている女性はみんな娘にしちゃうのか?それでは娘が多くなりすぎて大変じゃないか。
私はめちゃくちゃ戸惑っていたのだ。初女さんの申し出はあまりにも大き過ぎる愛だったし、私にそれを受ける資格があるとも思えなかった。だって、私は初女さんを知らない。知らな過ぎたし、知りたいと痛切に……思っていたわけでもないのだ……。
出会いの後、自分が劇的にていねいに暮すようになった……というわけでもない。料理を作るようになったというわけでもない。そもそも私は、亡くなる前に初女さんが分けてくれたぬか床だって、世話ができずに腐らせてしまうような、だらしない女なのだ。
解せない。さっぱりわからない。合理的な意味の回路では説明できない出来事だった。だから、なぜなんだろう?とずっと考え続けていた。
だって、私たちはふつう理由があるから親切にする。
必要とされるから応じる。
困っているから助ける。
そういう、交換可能な関係の中で生きているじゃないか。
でも初女さんは、理由もなく、役に立つからでもなく、さして助けを求めてもいない私にも、最大級の愛を差し出したわけで、それは何かを得ようとして関係することに慣れている私にはデカ過ぎた。
「これ、受け取る資格がないです」って感じだったのだ。
初女さんも、そのうち忘れてしまうだろうと思っていた。いろんな人が訪ねて来るわけだから……。
それなのに、初女さんは私が忘れていたときも「田口ランディさんはどうしているかしら?」と周りの人にもらしていたらしく、スタッフのお一人から「初女さんが会いたがっているので……」とお手紙をいただいた時は、ひっくり返りそうなほどびっくりして、飛んで行った。
わたしが忘れていたときも、遠く離れていたときも、初女さんのなかでは、わたしは“娘”だったのか? なぜだ?なにゆえだ?
内心(初女さんは何を思っているんだろう? なんで私のことを思い出してくれてるのかなあ?わからんなあ……)と、知りたくてしょうがないのだが、その理由を聞くのもなんだか照れ臭く、おこがましくて、黙って不可解に思い続けていたのだった。
わたしには、いまだによく初女さんの気持ちがわからない。
なぜわたしを娘と呼んだのか。
なぜ、静かに、強く、わたしを忘れなかったのか。何十年も、初女さんが亡くなってからもずっと、私は「わからないなあ……」と一人で思い考え続けていた。謎だった。
だが……。
6月9日、特別に初女さんとは何の関係もない、どういう記念日でもない今日。その答えが降りてきた。
長いので、続きはnoteに書きました。
有料コンテンツですが、今年10周年を迎えました。他にもたくさん作品をアップしているのでよかったら読んでください。



by flammableskirt | 2025-06-11 07:23 | ヌー!のお知らせ

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