元日から自意識に手を焼いている

元日から自意識に手を焼いている_c0082534_13030594.jpeg
今朝の日の出はすごかった。寒いし、真冬に日の出を見に行くのは元日くらい。本当は毎日こんなふうに陽は昇っているんだろう。当たり前のことにびっくりして、衝撃で、ひれ伏したくなった。太陽礼拝はこんな気持ちになった古代の人たちが始めたんだと思う。
でも……周りに、たくさん人がいたし、いきなり砂浜にひれ伏して拝んだりしたら変なヤツって思われるかもな……って思ってヤメちゃったんだよね。
その瞬間にいろんなことがよぎった。
……スリランカのキャンディという街を旅した。もう三〇年以上昔の話だ。今は世界遺産になっているとか。そこに仏歯寺という美しいお寺があってね、早朝に早起きをしてお参りに行ったんだ。朝からお寺で祈る人たちがたくさんいた。石の床はひんやり気持ちよかった。みんなが床に額をつけて祈っているから、同じようにした。額を床につけたことってある? 私は初めてだった。
すごく気持ちよかったんだ。目の前に何もなくなって目を閉じると磨かれたつるつるの石が額に当たる。ひやっとして、のぼせた頭がすっと醒める。こうして自分の意識を越えたものの前に降参してしまうのは、なんて楽で、なんて安心なことなんだろう……って思った。たくさんの花が床の上に散っていて、そこには静謐な祈りしかなくて、心地よかった。
神聖なものの前に全身でひれ伏すというのは、とても宗教的な体験だ。やってみて初めてわかった。
ああいう気持ちに、なれそうだったのに、人目があったから出来なかったんだよね……。
そして……、もう一つ、思い出したことがある。
私が長く交流していた、元オウム真理教信者で、死刑になった林泰男さん。彼がこんなことを言っていた。
「自意識というものをなくしてみたいと思ったんです。オウム真理教というのは、ほんとうにナンセンスでおかしな教団だったけれど……それは自分が自意識を捨てるために必要なことなんだと思えた。たとえば、成田空港のロビーで五体投地をしろと命じられたことがありましてね、でも、それを恥ずかしいと思う自分っていったい何なんだろう?って思ったんですよ。だから、恥ずかしいことをあえてやってみたかった……というのが、教団に興味をもった一つの理由かもしれないです」
ご来光に五体投地をしたいと思う……そういう気持ちが自分にはある。でも、それを恥ずかしいと思う自分は何なんだろう。
……林さんと同じことを考えている自分に気づいて可笑しかった。
林さんは、入信前にチベット密教最後の聖地と呼ばれるラダック地方を旅して、そこに暮す人たちの信仰に打ち抜かれた生活に深く共感したそうだ。私もラダックに行ったことがあり、初対面の時にラダックのことを語り合ったのが、長く交流するきっかけになった。
ラダックは富士山の八合目くらいの場所にあり、自然環境がとても厳しい。厳しい環境を生きるために信仰と瞑想が必要だと、地元に長い僧侶が言っていた。ラダックに暮す人たちは祈りが生活の一部で、そういう場所に行けば、祈ることは自然だ……。
日本に戻ると、祈りは生活から切り離されて、神社でおさい銭を上げたりしないとなかなか祈れない。なにか違う感じがした。たぶん、林さんももっと祈りを生活の一部としたくて、オウム真理教に入信したんだと思う。
この年になってもまだ、自分の自意識に手を焼いている。

by flammableskirt | 2025-01-01 13:03 | 日々雑感

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30