オープンダイアローグを広めたい!これはとても大事なものだから、なるべく多くの人に伝えたいと思ってる。
オープンダイアローグを言葉で伝えるのはすごく難しい。
たとえば、一時期「傾聴」ってのが流行ったでしょう?でも「傾聴」という言葉が「聞くこと」のすべてを言い表しているわけじゃない。誰かの話を聞く……ことには、技法以前の「なにか」が必要なんだけど、それを「心」とか「共感力」なんて言葉に置き換えると、これまたどっかズレちゃう。
とっても大切なことって言葉にしたとたん、なんか薄っぺらくなるし、本質からズレていく。それがすんげえむずむずして気持ち悪いから、ついあまのじゃくになっちゃうだよなあ……。
誰かが「傾聴が大事だ」と言うと「それはそうなんだけど、でも傾聴が振り落としてしまうものもあるから……」と言いたくなる。反論しているんじゃないんだ。何かを言葉で指し示したら、その時点で、もうズレている。そのズレに気づいてしまうと、なんだか居心地が悪くて、「これだ!」って言えなくて、もぞもぞしちゃうんだ。
オープンダイアローグは、対話の一つのかたちなんだけど、かたち通りにやれるものじゃないんだ。だって、対話って、生き物みたいに、うにょうにょしてつかまえどころがない。
なんていうかなあ……、その場にいた人たちが、周りの人たちの顔をしみじみと見て、あーみんなそれぞれの人生を生きているんだなあ、かけがえながないなあ……みたいに思える瞬間があったら、それでいいんじゃないかって思ったりもする。
みんな一人だけど、でもちょっとだけつながりあっているよね。違うけど、少しならわかりあえるかも。すごく遠いけど、手が届かなくはない。ああ、なんだかその感じは自分にもあるよな。関係ないことかもしれないけれど、いますごく伝えたくなってる。
……そんな気持ちになれたらいいんじゃないかと思う。
ああでもないし、こうでもない。解決策は見えないけど、なんかさ、少しだけわかりあえた感じするよね。そんなんでいいんだと思う。
だって、ちゃんと解決策を提示できる人が有能って、世の中は思っているじゃん。でも、アドバイスとか、方法とか、最高のアンサーじゃなくていいから、もっとなんかこうしみじみとしたため息みたいなのがほしい。「ああ、そうだんたんだね……、あなたの気持ちはそうだったんだね、知らなかった」みたいな、そんなことが感じられたらいいんじゃないかって思う。
オープンダイアローグって、キャンプ場で数人だけ起きていて、深夜に囲んでいるたき火みたいな感じだと思うんだよね。
関西でオープンダイアローグを開催します。興味のありそうな方がいたら、シェアをお願いします。いっしょにたき火を囲もう(笑)