
直感で受け取ったものは、五感に互換しないと他者に伝えられない。
人にはそれぞれ自分が得意とする感覚があるので、第六感で受け取ったものを映像で見る人もいれば、聴覚で聞く人もいるし、触覚と視覚や、聴覚と嗅覚を組み合わせて感じる人もいる。なんにしても他者に伝えるためには、さらに感じたものを言語化する。
直感は、感覚以前のひらめきなので、それを脳はどうにか五感に翻訳するんだろう。さらに、それを言語というコミュニケーションツールでもって翻訳するわけだから、最初の直感からズレていくのは仕方ない。見えたものをそのまま絵にする人もいれば、曲にする人もいる。アートはそのように生まれてくるのかもしれない。
……言語化は、難しい。言語はかなり未熟なツールだし、人間はまだ言葉を使いこなしているとは言い難い。文字の歴史は短く、脳は文字を扱うことが下手だ。言語でニュアンスを伝えることは非常に困難で、さまざまな誤解を生む。SNSは未熟な言語を使ったコミュニケーションツールなので、炎上したり混乱したりするのは仕方がないのかなあと思う。
鍼灸は「気」という目には見えず、いまだ科学でも証明されていない怪しい物質……物質なのかどうかも定かではないが、を扱う東洋医学の技法なので、まず前提として東洋思想がベースにあることを納得してもらわないと、議論すらできない。
思想……とは、価値観であるから、その価値観そのものを否定されては議論は一歩も前に進まないのだけれど、いま、私が通っている鍼灸学校を例に取れば「東洋思想」を教えながら、東洋思想を否定して教育をしている……という現状だ。価値観に絶対はない、という前提に立って、他の文化の価値観を認めるということが、日本ではとても困難らしい。たぶん、それは日本が東洋でありながら、どこかで東洋的な価値観を見下してきた明治以降の歴史にあるのかもしれないなあと思う。
だから、学校では「気」というものは「東洋思想が定義したものだが、それは迷信に近い」くらいの認識で授業が行われるし、それを施術で使うことは教えない。このよじれの中で1年半、勉強してきて、自分は相当にアウェイだなあと(笑)感じている。
こういう現状なのだな、ということは理解できた。鍼灸師が国家資格になったのは昭和のことで、そのために命がけで東洋医学を護ってきた明治以降の先達たちがいたことを改めて思う。針の穴に駱駝を通すようなことをされてきたんだな……。
ただ、それが可能になったのは、市井の人たちが鍼灸や漢方を見捨てなかったからだ。人を救ってきたからなのだと思う。結局、受け継がれていく……というのは、患者さんあってのことなんだよなあ。そういうことなんだよなあ。
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