サンゴ礁のようなからだ

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今年中に十四経脈のすべてのツボを暗記し、その位置を指し示すこと……が、経絡経穴学の中間試験だ。
暗記することは時間をかければできる。
必要なのは、忘れないこと。記憶を定着させること。
試験勉強って、どれも暗記科目だから試験が終ると忘れる。
でも、それってなんかむなしい。暗記できることを目指したら、忘れてしまうのも早い。
物事を縁起で考える…のが好きだ。
一つの事象は単独では成立しない。必ずその事象をそこに在らしめているところの縁起がある。事象そのものの意味ではなくそれが成立しているところの関係性に着目する。
東洋医学の八網弁証も、チャートで空間的に位置を記憶したほうが応用できる。文字だけで記憶してしまうと、その症状が何と関連していてどこに向って変化しているのかを捉えられない。
だけど、ツボはどうなんだろうか。ツボを記憶するのは……鉄道マニアが路線図を記憶するようなことなので、そもそも路線図を覚えられない私にとってツボは難関だ。
ツボは、私にとって人格に近い。ツボにはそれぞれ個性がある。個性的な人の名前はすぐ覚えられるけれど、存在感が薄いツボも多くて、そういう人の名前はなかなか覚えられない。身体に400人の席があって、どこに誰が座っているのかを覚えていく感じだ。
仲のいい人とは顔なじみ。手や足にある要穴はいつもおしゃべりをしている友達って感じ。だけど、まったく会話したこともないツボもたくさんあって、この人たちとどう接したらいいのかわからない。
ツボの暗記はさせられるけど、じゃあ、ツボって何なのか?ということはほとんど説明されない。経穴の授業の場合、ツボを押してみて「ごりごりしたものがあったり、圧痛があったらビンゴ」みたいな教え方だ。なんで、生徒はやたら皮膚表面からツボをごりごりするようになる。
ツボが何かを理解するためには、「存在と意識」について東洋思想的な思惟に立たないと難しい。東洋思想的には万物は「気」から出来ている。量子論に近い。
身体は様々な位相と階層の気によって複雑に相対的に「存在させられている状態」であって、なにひとつ単独で成立しているものはないし、単独では成立のしようもない。そのおおもとは「太極」である。太極とは、大乗起信論的には真如と言い換えてもいい。東洋医学的には「生命現象」と今風に言ってもいいかもしれない。
ツボは東洋思想的身体上に存在する流動的で濃淡を持った気の出入り口のようなものだ。身体と外界は気の階層が異なり、その異なった階層を流動的に気が行ったり気たりしている。そこにもグラデーションが存在し、複合的で複雑だ。縁起という発想がないと、理解が難しい。
人間の意識は一度に一つのことにしか集中できない。2つのことを同時に考えることは不可能。それは言語を使って思考することの限界。だから、この複雑さを把握するために、東洋医学は直感を最も大事にする。言語以前の直感で縁起を把握しなければ、患者さまを「生命現象の顕現」=「大日如来」ようするに「太極」として捉えられないからだ。
なので、西洋医学的な身体論ではツボは理解できないのだが、学校には東洋思想の授業がない。なんで、東洋的身体の在りようが曖昧になったまま授業が進むので、生徒の頭はぐちゃぐちゃになってしまい、なにがなんだかわからないまま卒業することになるのだった。
ツボは意識とも深く関わっているようだ。東洋思想的には意識も気なのだ。ツボは意識で変化するし、意識もまた階層があり流動的で濃淡があり、物質化もする。七情と呼ばれる感情(意識)は身体に邪として沈着したりする。
身体の中、特に腹と背中の正中線上とその両脇、手の平や足の先はツボだらけだ。ツボは、サンゴ礁の浅瀬にいる海洋生物とちょっと似ている。気配を感じるとぴゅっと引っ込んだり、気温の変化で縮んだりする。イソギンチャクとか、そんな感じ?外界の変化に敏感で、元気がないとだらーっと広がっている。
私のイメージの中では、人の体表は衛気という薄い気の膜に覆われた「サンゴ礁」だ。たくさんのイソギンチャクやフジツボが(笑)潮の満ち引きや、気圧や気候の影響を受けながら閉じたり、開いたりしている。
ツボに触れ始めた頃は、熱いか、冷えているか、湿っているか……しか感じ取れなかった。それは軽く触れればわかる。虚しているツボは湿ってひんやり、ぶよっとしている。
逆に熱っぽくて張っているツボもある。これは実のツボだ。
温かいのに、冷えているツボというのがある。この冷えている感じは、たぶん温度ではないのだ。だけど、脳がこの直感を冷えとして変換するので、なんとなく冷たいように感じているだけなのだ。
温かいけど、なんだか手で触れているとこちらの下腹がひんやりしてくるような感じ……。とでも言えばいいのかな。言語化するとズレてしまうがしょうがない。非言語的な違和を表現するとこんな感じ。
まあ、とにかく、このイソギンチャクやフジツボのひとつひとつに名前をつけていった、過去の東洋医学の名医たちはすごいな、みんなサイキックなんじゃない?って思う。たぶん、大昔、何千年も前は人間はもっと直感を大事にしていて、直感でいろんなことを判断していたんだろう。
時代や文化と共に人間の身体も変化しているから、昔は使えたけどもう使えないツボもたくさんあるんだと思う。そして、新しいツボも生まれているに違いない。特に地球が温暖化する…なんて異常事態が起きている今は、きっとこの状態に則したツボっていうのがあるに違いない。
人間の生活スタイルはこの200年でとてつもなく変わってしまったから、これまで使わなかったツボが使えるようになったりするのかも。わからないけど、せっかくだから、ひとつひとつのツボに話しかけながら、自分に鍼を刺してみたりして、ツボを確認していこうと思っている。
……でも、そんなことをしていたら、年末までには覚えられないなあ。



by flammableskirt | 2024-09-22 09:52

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