Facebookのお友達のアカウント……亡くなった方がずいぶんいてなんだかとっても不思議な感じ。足元がすうすうする。
長く使っている住所録も二重線で消される連絡先が多くなり、古いページは真っ黒くなってきた。これが「生きる」ということなんだなあ。私が生きている限り人は死んでいく。あたりまえのことなのだけど、妙に生々しくて新鮮。実感を伴ってきたからだ。
現実……って、いくらわかっていても実感しない限り絵空事。世界が物質じゃないような量子で出来ていることも、知っていても実感が伴わなければ考えは古いままだし、地球温暖化が進んでいても、実感しない限り行動を変えない。
ひとつ確かなことがある。2年前に……生きる……人生の質を大事にする……という方向に行動を変えた。仕事を失う覚悟で、3年間の学校生活に舵を切ったってこと。
いまや東洋医学三昧の生活で、毎日、自分の脈を診る。他人の脈を診る。そして、四六時中身体のことを考えている。さまざまな病気の原因、リウマチ、糖尿病、整形外科的障害、内因外因、感染症とその予防。広く浅くではあるけれど、この1年半、身体のことしか考えていない。どうしたら免疫力は上がるのか。気力を保てるのか。
学校ってさ、閉鎖空間なんだ。徹底的に身体のことを詰め込んでくれる。他の情報は遮断される。こうでもしなければ、自分の身体と向き合わなかったと思う。
コロナがあって、目に見えない微小のウィルスに感染してものすごくたくさんの人が亡くなった。
あの、とんでもない大災害のとき、いろいろあった。「ワクチンは危険だから打たない」と言った人たちが非難された。SNSが炎上し、怪しげな言説が飛び交った。あの混乱の4年間が終ってみると、世界はまた元通りになって、人はどんどん移動し交流し、インバウンドとか、オーバーツーリズムとか、そんな話題がテレビニュースでずっと流れている。
もし、学校に行っていなかったら、忘れていたと思う。あのコロナの時混乱。そしてまた以前の生活になんとなく戻っていたと思う。同じように働いて、同じように移動して、食べたり飲んだりして、その合間にちょっとだけ体調のことを考える……。ずっとやってきたのと同じ生活。
なにかを変えようと思ったら、人生そのものをひっくり返すのがてっとり早い。持っているものを捨てて、新しい生活に飛び込んでいけば、変わらざるえない。ようするに自己洗脳だよね。強制的に脳をリセットして、新しい知識をぶち込んで、刷新する。
いま学んでいることは、必ず、これから先、たくさんの人の役に立つことだ。そう言い聞かせて、情報遮断。三年間は世間と隔絶。ガザも、ミャンマーも、ウクライナも、そして能登も……。ごめんなさい……一時停止。すべてが保留になって、ただ、身体のことを学んでいる。
また、新しい感染症が出てくるかもしれないし、何が起きるかわからないけれど、そして人は必ず死ぬし、それは避けられないことだけれど、どっかで突っ張って、ふんばって、強引に舵を切らないと、流されてしまう。元の流れに……。そんな感じだ。
三年も学校に行くなんて長いね、ってみんな言うけれど、短過ぎる。ボケた頭に新しい思想と知識を叩き込むは時間が足りない。もっと潜らなくちゃ。まだ浅い。もっと深いところまで。のめり込んでいく。自分から。もっともっと深みへ潜っていきたい。海面からの光が届かないような場所まで。命がやばいようなところまで潜っていって、浮上してみたい。