
やりたいことをやる時間だけはある!と言っているうちに、9月も終わっていく。やりたいことをやっていると、人生はものすごく短い。人生の前半は「やりたいこと=お金儲け」だった。人生の中盤は「やりたいこと=自己実現」だった。60を過ぎると「いまやりたいこと」が「やりたいこと」であり、未来という時制が消えていく。つまり人生には終わりがあることを認めてきたので、目標を未来に置かなくなった。
たいへん楽になった。地球が崩壊しようが、第3次世界大戦が勃発しようが、私はしょせん死ぬのだから、今できることをしようという……。こういう発想は刹那的だと若い頃は思ってきた。違うね。刹那も脱色される年になると、今にフォーカスするのは刹那どころか地道であると気づく。今ってのは、今ここなので、これ以上でもこれ以下でもなく、単純に今なのだった。あー、若い頃からこういう気分で生きられていたらどんなに楽だったか。そしてどんなにいろんなことにチャレンジできたか。そう気づくのがこの年なのか。
未来なんか設定してもしょうがない……というあきらめに達する昨今、やりたい時がやる時で、やりたくない時がやめる時という、たいへんわかりやすい人生になってきた。終活とか、エンディングノートとか、そういうことやっぱあんまりピンとこない。もっと年をとると「明日死ぬかもしれないからいちおう書き残しておくか」という気になるのかもしれない。まだ、そこまで死ぬ気はないようだ。
うちの父は、末期ガンで余命宣告をされたのに翌日、それを忘れてしまった。亡くなる1週間前になって急に私に「おい、どうやらオレは死ぬらしい……」と真顔で言った。うわー「この人は死ぬ時は自分で決めるんだな」という父に対するリスペクトが芽生えた。こういう死に方ができるってすげーな、って思った。誰がなんと言おうが「オレは死ぬみたいだ……」と自分が感じるまでは生きる姿勢がすばらしい。
特効の生き残り、お国のために死んでこいと言われた父は、他人の言うことは信じるものか!と心に決めたのかもしれない。
晩年の父は、畑仕事と干物作りと酒を飲むしかしなかった。ふと気づけば、自分のやっていることも似たようなもんだ(笑) 笑える。ともあれ、得意なことはたくさんあるので、能力は活用できたら楽しいし幸せだが、仕事にはあまりしたくない。止めたい時に止めたい。金にはならないが、自由だ。今朝はこんなことを書きたくなったので書いた。
熱いお茶がうまい。ピーマンがまた実った。海がきれい。終わりは始まり。間違いは糺す。やれることはやる。思いついたことはやれるように考える。できなくてもくよくよしない。成果は問わない。天気がいいな。生きているな。犬がかわいい。カラスが鳴いた。鈴虫死んだ。
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