政治家がわかりやすいスローガンを掲げることはこれまでもあった。例えば田中角栄の「日本列島改造論」は、書籍のタイトルだったけれどこのインパクとは強かった。実際、田中角栄は公共交通網を整備して、持論を実行した。賛否両論あるが、今思うと優れた政治家だったと思う。
今朝、高市早苗議員が「サナエノミクス」というスローガンを掲げて堂々と出馬表明をしているのを見た。正直、唖然とした。彼女は安倍前総理のバックアップで出馬しているが、ここまで露骨に「安倍さんの路線を引き継ぎます」と押しだすとは……。
「アベノミクス」の完全なコピーだ。これを打ちだすということは、つまり私は安倍さんと一心同体ですと宣言していることではないか。そういう使われ方をしても全く気にならないというなら、この人は安倍さんが言うことはどんな理不尽でも平気で実行するのかも、と。彼女の顔が仮面のように見えた。他者に価値観を預けてしまう人が、私はこの世で最も恐ろしい。
このような、スローガンやわかりやすいコピーを打ちだすのが安倍さん独特の言葉の使い方だ。昔は政治家の政策理念はもう少し具体的に表現されてきた。「一億総活躍」はバブル期に竹下元総理によって打ち出されたスローガンで、地域振興のために一億円を交付した政策。これも賛否両論あるが、実に時代感が出ている。ほんと、バブルだ。
世界がCovid-19でカオス状態となり、20世紀のツケの内紛や難民問題、環境汚染や自然災害とも向きあわなければならないこの時期に「サナエノミクス」を掲げて与党総裁選に出馬するのは、あまりにも内向きで、見ていて照れる。どうにも、恥ずかしいのだ。この恥ずかしさをどう言ったらいいだろうか。
あからさまに「個人的な関係」を見せつけられて、目のやり場に困る時があるでしょ、あんな感じで公共の場に「安倍と早苗」として出てこられたようで、うつむきたい気持ちになった。
本当に、こういう女性の登用の仕方が、女性にウケると思っているのか、もしそうだとしたら自民党の連中は「もうどうしようもないじじいだな」と思う。
安倍前総理の意思を継いで、スローガンまで同じにするのだから、この方は安倍さんの政治手法が正しいと信じているのだろう。なので、たぶん記者会見では「わかりやすい言葉で無責任なことを断言する」というあの手法をとる。断言したことはすぐ忘れるだろう。その後始末で官僚は右往左往しなければならなくなるだろう。都合の悪いことは逃げるだろう。説明責任は放棄するだろう。マスコミには脅しをかけて黙らせるだろう。与党の悪しき部分を変える気はないだろう。以上すべて推測。
「私は現在の政治の在り方を貫きます」という宣言が「サナエノミクス」なのだろうから、よくここまで堂々とわかりやすく本音を打ちだしてくれたものだ、つまりはそれが受け入れられると感じているのだ。この感覚のズレが、政治と私のズレだ。
Covid-19対策や、オリンピック延期など、どれほど無責任な政策を取って危機管理ができていないのかが露呈しているいま、もし「サナエノミクス」に再び期待する人がいると思っているなら、もうそれはエヴァンゲリオン的自己中の妄想の中で生きているとしか思えない。
わかりやすい短い言葉で断言してリーダーシップを強調する……というのは小泉純一郎元総理が使って国民を煙に巻いた手法だ。小泉さんの時の総選挙はひどかった。あんな茶番にまんまと国民が乗せられた。あの後、小泉チルドレンはどうなった? 小泉さんが政権をとった4年間で日本は自由資本主義の方向に進み、ものすごく地方が疲弊して暮らし難くなったと思っている。郵政民営化がそんなに必要だったのか? 公共サービスを民営化することで何か良くなったか?
国民生活を支える公共サービスは民営化せずに、改革していく道を進んだほうが社会にとって良かった。ずっと右肩上がりの経済を目指す資本主義を、老齢化社会が担っていけるのか。
だけど、あの時代、小泉さんの存在は、それまで「あーうー」とまわりくどい説明をしていた政治家のイメージをこわし、目新しかったんだ。
小泉さんは短い言葉でキャッチーに断言するが、内容は郵政民営化の一点張りで、いったい何がしたかったのかは国民は理解できたんだろうか?わからないまま、見た目がいいのであの変人につき合ってしまった……という感じなんじゃないのかな。
しっかりと、わかる言葉で説明する大人の政治家が必要だ。政治家が国民に説明をしないでどうする。雰囲気だけの言葉で口先三寸で語ってどうにかなる時代ではない。
私も、しっかりと聞くよ。努力する。政治から逃げないよ。めんどうがらずに政治家が何を伝えてくるのか精査し、自分の頭で考える。
次世代に大人が政治的な議論をまともに、冷静に、建設的にする姿を伝えられるようにがんばるよ。