事件・土地の来歴(登戸児童殺傷事件)

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今朝、川崎市多摩区の登戸で事件があった。
ニュース速報で「登戸」という地名を聞いたとき、ぼんやりとそのあたりの地形が浮かんだ。
私は登戸に住んだことはないのだが、登戸は「多摩丘陵への登り口」という意味の地名だと記憶していた。

多摩丘陵はかつて自然豊かな森が広がる水源地帯だったが、住宅地としての開発が進み、著しく森が奪われてきた。このあたりは、近くに縄文時代低地遺跡があり、古代から人間が生活してきた場所。狩猟採集に適し、後には稲作が盛んに行われた田園でもあった。いまは、ほとんどが住宅地となっている。

登戸は、確か多摩川を挟んで東京都狛江市と向き合っていたなあ、とGoogle地図を立ち上げてみた。

事件の現場となったのは、登戸駅北側信号から多摩丘陵に上がっていく次の信号「登戸第一公園」付近だった。登戸駅は、小田急線と南武線が交差していおり、また登戸第一公園は2本の道路がX字に交差する道の俣の部分に位置する。

登戸第一公園前を北東方向に分岐する道路には長い駐輪場があって、その下はどうやら暗きょ。用水路か。現場は複数の道路と水脈の上に位置し、エネルギーが集まったり乱れたりしやすい場所だなと感じた。

私が登戸を知っていたのは、子どものころに観た山田太一脚本の「岸辺のアルバム」というドラマの印象が痛烈だったから。このドラマは高度成長が進むなかで変化する家族の在り方をテーマにした名作。ラストシーンに現実に起きた多摩川決壊の映像が使われており、一戸建ての家々が川に流されていく実録映像が目に焼きついた。

その後、この多摩川決壊はなぜ起きたのか? という疑問を持ち、自分なりに調べていくと、多摩川の水をめぐる東京、神奈川の熾烈な水争いの歴史が浮かび上がってきた。稲作農業が中心だった時代は田んぼのために水の争いが起き、その後、高度成長期に入ると人口が増えて飲料水としての水が必要になっていった。多摩川の水をめぐる歴史は関ヶ原の合戦の頃まで遡る。

「あばれ川」として名高い多摩川も堤防工事の技術革新によって氾濫することがなくなり、安定した水供給ができるようになった近代。なぜ、大規模な多摩川決壊が起きたのか。ちょうど登戸から見て多摩川の対岸に「多摩川決壊の碑」がある。

◎多摩川大水害

1974年、台風16号が降らせた大雨で多摩川が氾濫。しかし、この台風によりる洪水は堤防よりも低かったので市街地への浸水はなかった。
堤防より低い洪水なのに、どうして大水害に、と疑問に思う。この台風で、多摩川下流域にある二ヶ領宿河原堰(登戸の近く)わきの左岸堤防が決壊。狛江市の民家19棟が流出して、住民は家を失った。

なぜ、こんな大水害に至ったのか。

洪水による堤防の決壊は、二ヶ領宿河原堰の左岸取付部から始まった。取付部は本堤防よりもはるかに低い河川敷にあった。水が河川敷まで上がったとき、左岸取付部の小堤防が崩壊。この小堤防は水を堰に導流するためのもので、厚さが15cm程度しかなく、コンクリートの強度も弱すぎた。(小堤防が洪水の流水に対して十分な強度を持っていなかった)

崩壊した小堤防は遮蔽物となって水の流れを塞いだ。この遮蔽物によって強い迂回流が生じ、堰の左岸取付部をえぐりとってしまった。そこに水が流入、河川敷の方向発生した迂回流は勢いを増し、水は河川敷をえぐりとり、結果として本堤防を侵食。岸辺付近の民家19棟を押し流して、大水害となってしまった。

狛江市災害対策本部は、遮蔽物によって激しくなった水の勢いを止めるため、宿河原堰の固定部を爆破することを決定。陸上自衛隊と建設省(現・国土交通省)によって堰の爆破が行われ、迂回流は消失。水は「ふつうの洪水」に戻った。

1976年、家を流された住民をはじめとする30世帯が、国に国家賠償を求めて提訴。この「多摩川水害訴訟」の裁判は結審までに十六年を要した。
この堤防の決壊は「天災なのか人災なのか」が問われた裁判。
裁判の結果、一審は原告の住民が勝訴。二審の控訴審では国が勝訴。これを不服として原告側が上告した上告審では二審の判決が破棄差戻しとなり、平成4年(1992年)、差戻控訴審で住民が勝訴して判決が確定。
多摩川水害は、国の瑕疵責任を認めた「人災」との結論が法廷によって示された。

ちょうど私が生まれた頃、1950年代後半から、日本経済は右肩上がりの高度成長期突入。 かつて田畑が広がっていた土地にも、道路や住宅が次々と建設され、風景が変わっていったことを記憶している。多摩川の風景も変化し、かつては篭を使っていた堰もコンクリートになっていくなかで、この「人災事故」が起きたのは象徴的だなと思った。

◎平成ぽんぽこ合戦の舞台、多摩丘陵

かつては多摩丘陵の登り口だった登戸。多摩丘陵と言えば思いだすのが映画「平成ぽんぽこ合戦」だ。開発が進む多摩ニュータウンを舞台に、人間たちを相手にして狸が戦いを挑むアニメ映画。私にとって、多摩丘陵は、かつて「もののけ」が棲んだ場所であり、彼らの居住地区に人間がかなり無謀に礼儀のない開発を挑んだ場所だ。

その土地の来歴、土地の地形を見ていると、ここは明らかに神聖な場所だ、とか、なにかを封じている場所だな、とか、その土地の特異性がぼんやりと見えてくる。川も、土地も、海も、人間が、感性を使わずに頭だけで開発したところは無理があり、いつかその場所を元の持ち主が取り返しに来るだろうし、人間はそれを覚悟して、注意深く過去に起きた出来事から、何が起きるかを予見しないといけないよな、と思うようになった。

なにかの事件が起きたとき、原因を加害者の人格や犯行動機に求めるのは一般的で常識的なアプローチだと思う。私もそうだったが、年を経たいま興味をもつのは、どちらかといえば「どこで(どんな場所で)それが起きたか」「いつ起きたか」といったことだ。なんの役にも立ちそうにないが……。

昨夜のトランプ大統領の宮中晩餐会の様子が報じられていた。皇居に招かれたトランプ氏の赤い大きなネクタイが印象的だった。
そのネクタイは背広からはみだして、赤フンドシように見えた。
トランプ報道の最中にニュース速報が入った。
ちなみに今日、5月28日は「花火の日」。隅田川で慰霊のために花火があげられたことを記念しての日。隅田川の花火は1732年に、八代将軍徳川吉宗が開催した「川施餓鬼」が始まり。大飢饉によるコレラで江戸の住民がたくさん亡くなった、その供養のために、両国の川開きの時に水神祭を行い花火を捧げた。川にたむけた火の大輪の火の花。慰霊と思うと花火の美しさがせつない。どのような心地で江戸時代の人は花火を眺めたのかと思う。

結論もなく、論点もなく「なにが言いたいんだ」と思われたかも。
登戸という地名を見て、思いだしたことを書いてみた。ぼんやりとだが、メモのかわりに。
こういうことが、核になってなにかしらが、生まれてくるかもと感じつつ。
ただ、ぼんやりと書いてみた。

ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛しています

じぶんの人生に起きること
いいことも、そうでないことも
なんであれ、じぶんが引き寄せているとしたら
引き寄せたことを抱きしめる
いま目の前の人生に現われていることは
私に責任があるとする

だからってなにもできないけれど
責任はとれないけれど
無関係でいない道がある

なにもできないけれど
唱えるだけでいいから
それで引き受けることができるから

ホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

クレンズしよう
中心に戻って ゼロに戻って
気分が悪い
悲しい
辛い
気にくわない
イライラする

なにがこうさせてしまったんだろうか
原因探しをしても、むなしい
外に答えがあるとしたら、あなたは永遠に関係ない人
いま目の前に起きていることは
私と関わりがあるはず

ホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

だんだん気持ちが鎮まってくる
だんだん気持ちが鎮まってくる
起きてしまったことに
人ができる唯一のこと

無関係にならないように

ホ・オポノポノ
ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています








by flammableskirt | 2019-05-28 12:18 | 日々雑感

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