拘置所の不透明さ

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コンビニの向こうにある東京拘置所


平成最後の7月、オウム元死刑囚13名の大量処刑があった。この歴史的出来事の背後にある「拘置所」の存在を多くの人は知らない。14年間、元死刑囚・林泰男さんの外部交流者として拘置所に通い、体験してきたことをまずここに記したい。


・面会時間11分は違法?


 林さんは、1996年に逮捕されて以降、20年以上を拘置所で過ごした。私は死刑確定後から拘置所が認めた外部交流者として面会、文通を続けた。


東京拘置所での面会時間は約11分~20分。面会は一日一回(3名まで)。法的には「30分以上」と定められている。実際、仙台拘置所では面会は30分だった。面会時間は事件の事実解明に重要だ。明確に制度化し統一すべきではないのか。


 死刑囚に対する拘置所が個別に定めた規則は非常に細かく、しかも各拘置所ごとに違う。また、その規則は告知なく変わり、突然に変更される細かな規則は、変更前も後も情報公開されず、交流者も死刑囚も規則の変更を知る手だてがなかった。


面会を拘置所側から拒否されたこともあるが、理由は説明されない。「


拘置所」の権力はいつも圧倒的だが、交流者は無力で、それに慣れていくしかなかった。


・組織の中で人は麻痺していく


オウム真理教とはなんだったか? という問いを立てながら面会を続けているうちに、次第にオウム真理教と拘置所という、二つの組織が重なって見えるようになった。


拘置所とは社会から隔絶された不可侵領域であり、不条理に充ちていた。刑務官の一人ひとりは懸命に職務をまっとうしている。だが、組織のなかで実に無力に見えた。自浄力のある健全な組織とは思えなかった。


例えば手紙に「◎◎さんがこう言っていました」と書くと、伝言だとして黒塗りにされた。


面会時のメモは、口頭での伝達が禁じられ、遮へい板越しに文字を見せるよう指示された。面会には必ず刑務官が同席し隣で記録を取る。それも、レコーダーではなくメモだ。


その主観的なメモを元に、たとえば麻原彰晃に関して私が質問し、林さんがそれに応えると「麻原への信仰心がある」と報告された。これでは取材すらできない。


拘置が長くなれば交流者も年を取り抜けていく。新たに若い交流者の申請をしたが、許可されなかった。理由は不明だ。


・心の安定とはなにか?


拘置所は「死刑囚の心の安定」のために制限を設けていると常に主張してきた。にもかかわらず、林さんは処刑のニュースをラジオで知っていた。


翌日の新聞記事も普通に読めたという。一回目の処刑の後は監視がさらに厳しくなり、食事中も見つめられ強い圧迫を感じたと語った。


拘置所は公共倫理を軽視している。拘置所を知らずして死刑制度は語れない。現在の日本の拘置所は国際社会の常識から逸脱している。


これまで、林さんに影響が及ぶことを怖れ(林さんの刑務官への気遣いも配慮し)、拘置所の問題に言及ができなかった。


いま、この大量処刑をきっかけに拘置所にも関心を寄せてもらうためにこれを書いている。具体的には、本の執筆に準備をしている。これまでの証拠と資料を提示するつもりだ。英語版に翻訳し海外での出版も考えている。


拘置所内の極めて不合理で非人間的なシステムを平成で終焉させたい。情報を公開し、規則を明瞭化し、人権を重視し、再犯防止のための、社会にとって有益かつ開かれた場所としての再生を心から願う。




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元死刑囚林泰男さんの執行は7月26日だった。

オウム事件や林さんに関しては、昨年出版した小説「逆さに吊るされた男」に詳しい。機会があればお読みください。

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by flammableskirt | 2018-07-29 00:25 | 日々雑感

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