アール・ブリュットと時代
2017年 09月 11日
アール・ブリュット作品と初めて出逢ったのは2008年に開催された展覧会「アール・ブリュット 交差する魂」(ローザンヌのアール・ブリュットと日本のアウトサイダーアート)の時でした。この展覧会はNHK教育テレビの「新日曜美術館」で特集を組まれ、私は番組のナビゲーター役として北海道旭川の展示会場で初めて、スイスのローザンヌにあるアール・ブリュットコレクションと日本の作品の両方を観ました。
私にとっては日本のアウトサイダーアートのほうが、ヨーロッパの作品群よりも衝撃でした。……どこが違う……とうまく言えませんが日本の作品たちはチャーミングでした。ヨーロッパの作品が暗黒から生まれた怪物の様相だとしたら、日本の作品は人間に対して悪意がない精霊のような存在に感じました。私が慣れ親しんでいる妖怪や怪獣たちのような……。作品から愛おしさや、古い時代の信仰を感じとることができました。それは、私が日本人だから……かもしれません。
この展覧会を観てから、私はローザンヌのアール・ブリュット美術館に行ってみたくなり、イタリアの文学際の仕事のあとにイタリアからスイスに入りました。一緒にイタリア人の翻訳家の青年も同行してくれて、楽しい旅になりました。現地ではスイス在住の日本人宅に招待されて夕ご飯をご馳走になったりしました。
アール・ブリュットコレクションの作品群は、圧巻でした。ある作品の前から一歩も動けなくなりました。それはオーガスティン・ルサージュ(1876−1954)の大作で、その作品のポスターを買い、いまでも仕事場に貼ってあります。
この人の描く摩訶不思議な迷宮を観ているうちに、時空間が歪んでいくような錯覚を覚えます。この絵は特別な意識状態で描かれており、観る者の意識に影響を与えてくるのだと感じました。私は似たような絵を観たことがあります。それは、タイプは違うけれどメキシコのオイチョル族が幻覚キノコペヨーテを食べて描く神話「ネアリカ」や、バリ人が描く細密な森と精霊の絵です。
アール・ブリュット美術館の収蔵作品は多くが「トランスパーソナル」な意識状態と関わりがあるように感じました。それに比べると、日本のアウトサイダーアートはもっと安定していて、優しくて、自然に近い感じがしたし、実際に美術館に来ているヨーロッパの人たちも、同じような感想を述べていました。
その後、ルサージュについていろいろ調べると、彼のライフヒストリーがわかってきました。ルサージュはやはり神の啓示を聞いて創作を初めていました。
ヘンリー・ダーガーは熱烈なファンも多い作家で、愛らしい少女たちの壮大な叙事詩を描いた作品はどこか日本のアニメ文化と通じるような部分もあり、元祖オタク的な彼の作風に親近感を持ちました。作家という職業柄もあるのでしょうけれど、作品と同じくらい作家のライフヒストリーに興味をもっていきました。
描かれたもの、作られたもの、同時にそれらをどのように創造したか……も、表現の一部のように感じて、作家個人と作品を切り分けられないのです。アーティストというのは、職業ではなく、全身全霊で表現を続けることを指すのかな。アートする、なんていうちゃらいことじゃなく、そのようにしか生きられないという宿業のようなものかもしれない。
だとしたら、自分の生き様をあざとく「ふるまい」として見せる考えも余裕もない障害者の芸術は、宿業を背負って生きる者の全身全霊の叫びであり、その魂の叫びに人は戦慄してしまうのだと思いました。
これらの作品のなかに、呪術的な要素や、人類の普遍的なシンボルや、生命の起源のビジョンを感じて、感じることで内臓が喜ぶような気がしていました。体内の臓器が感応するのです。臓器が意識される……というほうがわかりやすいかもしれない。表層とか顔の見てくれではなく、臓器に響いてくる。顔面皮の下の筋肉や血管に響いてくる。この身体感覚はとても奇妙で心地よいものでした。そして、たぶん、なんらかの形で作り手は神秘体験をしているのだろうと予測しました。
そうでなければ、これらのビジョンが出てくるわけがない……と。
研究者ではないので、彼らがどういう神秘体験をしているかとか、創作のために自ら秘密に行っている儀式はどのようなものかとか、あるに違いないと感じていましたが、そこを積極的に調べたいという気持ちにはなりませんでした。
こういう人たちがいるんだ。そして今日もなにかを感じて表現せざるえなくて、黙々と描いたり、作ったりしているんだなあ。
作品と出逢うことで、無数の無名の作り手たちとつながっていくような広がりを感じました。だから、観るだけでよかったし、もう観なくたってよかったんです。なにかしら手応えのようなものがありました。全世界で行われている、かすかな自己犠牲をともなった、小さな宗教的な祭司として、創作者の存在を感じることで、とても心が落ち着くと同時に、そのつながりのなかにいる自分というものが、確認できました。
誰かが一本の線を描いている。その無為な行為のなかに神は宿っている、という確信でした。そして描かれた線は、誰に発見されることなくとも、線としての形と力をもち、この世界の一部として書き加えられることで、世界を毎日創造しているのだ、という奇妙な安心でした。だから……大丈夫なんだ……と。
そういう人たちが、絶対的なロジックの対立の世界からなにかを守っているのかもしれない。単なる妄想でしかないけれど、私はその無記名性の無為な創作行為こそ人類の神聖さであると感じて、畏敬の念をもつのでした。
その思いは、毎日、日が昇り日が沈む太陽の運行を信仰し感謝する少数民族の祈りとどこか通じるところがあるかもしれないです。
ですが、こんな馬鹿馬鹿しい話は、もちろん「障害者芸術支援フォーラム」ですることではなく、作品の聖なる力……など、私の個人的な感傷に過ぎないことは重々承知しています。表現が、個人を超越したような大きな存在に対しての帰依であり、個を通して現われる神や自然の意志であるように感じることは、妄想に過ぎません。なにが降りてきて創作をしているのかは作者自身にしか(自信にすら)わからないと思います。
表現されたものの価値は、思考・ロジックが決めていることで絶対的なものではなく、常に相対的なものです。もし、作品に多くの人が共鳴するのであれば、その表現には強靱さがあるのでしょう。表現するだけの肉体の精度や、そのビジョンの強さに耐えるだけの精神力もあるのでしょう。心の強さというよりも、霊的な強さ、に守られて、アール・ブリュットの作家たちは創作を続けたのだと感じます。でも、自我が少しでも疑問をはさんだら、たぶん発狂してしまうのではないかと。健常者にはとても難しいことを彼らはやっているのでしょう。
「霊性」が市民権を得るようになり、スピリチュアリティ、霊魂の存在、見えないエネルギー、そういうものがしだいに肯定されるようになってきました。アール・ブリュットはそういう時代に日本に受け入れられ、作品のもつ霊的な側面に観客は魅力を感じたと思います。
しきりと近代文明の批判が行われる21世紀、神仏や自然や精霊、気やプラーナ、そういった見えないものとのコミュニケーションの回路を、開きたいと願う若い方たちは決して少なくないです。そういうニーズもあって、アール・ブリュットは日本で一気に花開きました。
これは、民衆の潜在意識が働かなければ起きえないことです。以前に国鉄が民営化するとき「E電」という言葉を定着させようとしたのに、結局誰も使わずに消えてしまいました。言葉は大衆が選んでいます。大衆にとってフィット感があったからこそアール・ブリュットは受け入れられたのだと思います。作為が働く余地はあまりないだろうし、大衆はイヤなものはイヤとはっきりしています。
この社会で無為であることはたいへん難しい。マインドフルネスや坐禅で心を静めてみてもエゴが落ちるような体験はめったにすることができない。障害者の可能性は最初から社会的な自我が淡いところにありました。だからと言って、障害によって誰もが深い潜在意識からビジョンを汲み出せわけではなく、障害者の芸術だからアール・ブリュットというわけでもなく、アール・ブリュットは、アール・ブリュットなのでしょう。それはアートよりもむしろ、信仰に近いのかもしれないと、感じてしまいます。だから、アートじゃなくたっていいじゃないか……と。もちろん、これも個人の雑感の域に過ぎません。私はアートにそれほど関心がないのです。テーマや、表現される題材、社会性があるかどうかにも関心がないのです。むしろ誰にも影響を与えそうにない無為の「行為」と「営み」に畏敬を覚えます。そこに共に立ちたいし、そのいとなみに感謝し手を合せます。