みんなといっしょにゆるく原発について考える
2017年 02月 27日
高レベル放射性廃棄物について学ぶツアーを行いました
原発ってめんどっちいしややこしい
なによりじぶんたちが考えてどうにかなるんかい?
スケールデカすぎ、って感じてしまうけど
一緒に考えてみるとほら、そんなに背負い込まなくても
いろんな意見が出し合える
長い道のりです、あせらない、あせらない
2016年に、国の政策が「もんじゅ廃炉」の方向に転換し、それによって「高速増殖炉もんじゅ」を核とした核燃サイクル事業は、「夢のまた夢」くらいに遠のいています。もちろん、政府はいまでも「高速増殖炉の研究を続ける」と表明していますが、再び「もんじゅ」が稼働することはありえませんし、新たに「高速増殖炉の実験炉」をつくるという路線を、すぐに打ちだすことは不可能に思えます。
■日本のエネルギー政策ってどうなるの
現実的に「核燃サイクル事業」は縮小していかざるえないでしょう。再処理工場は来年には、国の安全審査をクリアして稼働するだろうと言われています。高速増殖炉で利用するためのプルトニウムを抽出するための再処理工場、ですが、高速増殖炉の実現が遠のいたいま、再処理が必要なのか。放射性廃棄物は直接処分でいいのではないか、という意見は当然、出てきます。
放射性廃棄物を最終処分するために再処理のメリットはあるのか、ないのか。そのことを考えるために訪ねた六ケ所村でした。「もんじゅ廃炉」の方針が出た今、六ケ所村の情況も変わらざるえないのではないか……。村のひとたちはどう感じているのか、と、六ヶ所村の方たちとのダイアローグも、午後6時〜9時近くまで、その後は夕食を食べながらのお酒の席で、と続きました。
「もんじゅってなに?」という方のために、ほんとうにざっくりと説明をします。もんじゅは、増殖炉っていう名前の通り、プルトニウムを増殖させてしまおうというすごい研究のためにつくられた実験炉です。だから国の管轄です。民間の電力会社が使っている原発というのは、濃縮ウランを原料にして、人工的に核分裂を起こし、そのとき発生する熱を電気エネルギーに変えて利用しています。
もんじゅは、構造はふつうの原発と同じなんだけれど、「高速」の中性子を利用して原発から出たプルトニウムを再利用し、さらに増殖させてエネルギーにしようという、一石二鳥のような夢の実験計画だったのです。だから、「もんじゅ」の中では、プルトニウム原料を囲うようにウラン238が置かれています。なぜかというと、ウラン238は中性子を吸収してウラン239に変わる性質があるから。
ふつうの原発は、ウランやプルトニウムの核分裂で飛び出した中性子(2~3個が出る)のうち1個だけが次のウランにぶつかって核分裂の連鎖が起こって熱が出る仕組み。「もんじゅ」は中性子の一つを連鎖に使い、もう一つの中性子を周りのウラン239に吸収させようってわけ。するとプルトニウム燃料が燃えているのと同時にさらに新しいプルトニウム239が生まれる。
■「夢のエネルギー」が失敗したのはヒューマンエラー
原発の冷却水っていうのは中性子のスピードを落とすために伝われるのね。だから「もんじゅ」は冷却水は使わず、高速のまま中性子を使うためにナトリウムを使い、プルトニウムを増殖させてしまう。日本は資源がないから「核燃料サイクル事業」の中核として、使用済み燃料を再処理して有効利用するためにプルトニウムを増やす「高速増殖炉」の研究が進められていたのですが、「もんじゅ」は事故続きで研究は進まなかった。
ナトリウムの扱いが難しかったこともあるけれど、多くはヒューマンエラー、つまり人的ミスだった。人間が扱うレベルを超えたエネルギーだったのかな。だけど、始めてしまったものを止めることができなくて、「もんじゅ」はまあ、言い方は悪いけれど植物状態のままずっと延命措置を受けていた感じです。これは国の研究事業だからたくさん税金がつぎ込まれた。国の税金を使った事業をやって失敗すると、責任問題が生じるわね。豊洲の移転だって、いま問題なってる。
「もんじゅ」も誰がここまで赤字を増やしたってことになるわけだね。当然、誰も責任を取りたくないから、逃げちゃうよね。なんとかうまく四方丸く収めて時間稼ぎをしていたところがある。それにね、もんじゅの地元の福井県の方たちは「夢の増殖炉」という危険を伴った実験を地元に受け入れて、それが社会の役に立つと考えて応援してきたわけだから、もんじゅの廃炉にはとても精神的な苦痛を感じています。国も県民に対して約束が果たせなかった責任があります。
こういうものにもけっこうお金がかかっているんだろうなあとため息
■原発関連機関を受け入れている住民の人たちの気持ち
六ケ所村の人たちは、もんじゅが廃炉になって「もしかしらた再処理工場もいらないってことになるんじゃないか」って、やっぱり少し不安を感じたと言っていた。六ヶ所村は、日本の原発関連地域の中でも、事業主である原燃との関係が比較的うまくいっていて、村民の方たちのほとんどは、村に中間貯蔵施設や再処理工場ができることを納得し、原発は社会にとって必要なエネルギーだし、その一翼を担うことに誇りをもっている。そういう村の人たちが時間をかけて原子力というものを受け入れてきて、現在に至ることはあまり知られていないです。
六ヶ所の人たちは、放射性物質を歓迎したわけではないけれど「時間をかけて納得して受け入れているし、自分たちも原発のことを勉強し続けている」と語っていた。海外の原発施設にも見学に行って、そのうえで原発関連施設を受け入れてきたと写真を見せてくれた。
ただ「六ケ所村を最終処分地にはしない、というのは最初からの約束。再処理のための中間貯蔵も期限はしっかりと守ってほしい。ずっとここに置くことは、させない」と強く発言。とても毅然とした態度で「最終処分地の決定を急ぐように!」とNUMOに喝。脱原発の運動のために村に入ってくる外部の人たちに対しては「話しができる人もいるが、こちらの話を全く聞いてくれない人も多い」「対話ができない人もいる」と厳しい表情。
■最終処分の候補地はこの十年間まったく決まらない
高速増殖炉の建設が困難な現在、最終処分地の決定が急がれるのはいくつかの理由があります。まず、日本は「平和利用をしないプルトニウムを持てない」という事情がある。もともとプルトニウムは原爆の原料として使用されたもの。核を持たない日本が、原料を持っていることを世界は許さない。核の原料に関してはかなり厳しく監視されているのです。あんたたち、平和利用をしないなら、さっさと処分しなさいということになるわけです。
日本の技術力があれば現在持っているプルトニウムで一週間で原爆が作れると、物理学者は言います。
日本は世界で唯一の原爆による被爆国で、プルトニウムが核兵器に使われたら何が起こるかを体験している唯一の国。
世界のひとたちが、広島を訪れたときに資料館を見て受ける衝撃は凄い。あるアメリカの青年は「なんてひどいことをロシアはするんだ」と言った、この話は広島の語り部の人から聞いたけれど、加害当事者国の認識だってこの程度なのだから、ほんとうに原爆の被害って知られていない。
また、日本が軍隊を持っていないことや、非核宣言をしている国であることも、海外では知らない人が多いです。
(日本人も海外のことをあまり知らないのだから当然と言えば当然ですね)
■被爆国なのに原発を受け入れた日本
戦後に日本人が原爆に使った原料で、放射線を出す原発なんかイヤだ、と大反対していたのは当然なのだけれど、マスコミと政府とアメリカの共同戦線による大々的な「原発は夢のエネルギー、クリーンで安全」というPRを信じてしまったのは、当時の日本があまりに貧しかったからだと思う。みんな敗戦してお腹をすかせていて、豊かになりたかったんだ。詳しくは→「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ 原子力を受け入れた日本」ちくまプリマー新書をお読みください。
戦後の高度成長で都市部が豊かになっていくなか、東北地方は発展という意味では取り残されていきました。出稼ぎに行かないと家族を支えられなかった六ヶ所村の生活を、地元の人から聞きました。灯のない真っ暗な村。でもことばのなかにその生活をほほえましく思う暖さもありました。敗戦から一躍、経済大国へ。それは素晴らしことだけれど、極端な成長は歪みを生むよね。なにかを犠牲にしなければできないことを日本人は成し遂げたのでしょう。
その犠牲に対して償わなければならない時期なのかもしれない。原発は、こんなにたくさんつくるべきではなかった。歯止めが必要だった。放射性物質が出ることはわかっていたし、その怖さも知っていたのだから。
でも、成長とか、経済とか、そういうことが正義だった時代がずっとあったし、原発はいつもイデオロギーの対立の中で語られて、政治の道具みたいに議論に使われてきた。いま、政府が原発を推進しているのは、国民が原発推進の議員を選んでいるからで。民意です。いまや反原発の政党で力があるのは共産党のみ。
原燃PRセンターの前で。吹雪いてましたー。
■民意による原発推進は民意による処分が必要
同時に、いまほとんどの原発が止まっているのは、地震国にたくさんの原発をつくったら安全が確保できないことを自らが証明した結果だから。この矛盾した現実は「原発はいやだけけど、豊かでいたい」という私たちの心の現れそのものだと思う。
現実ってほんとに正直だ。いろんな意味で、いま、原発はターニングポイントに来ている。それは誰が仕組んだということではなく、自然の成り行きとしてそうなった。運命のようにそうなった。いまなら、冷静に考えられそう。チャンスだと思うから、ダイアローグのためのスタディツアーを続けている。
次の世代に渡す前に議論の土台だけでも作っておきたい。最終処分地をどこに決めるか、は、私が生きている間には無理な課題。どうやって決めるか、そのために何が必要か。どんな手順が必要か。それを提示したい。私と六ヶ所村の人たちとは、原発に対する意見は違う。でも、一点、合意できた。「ダイアローグしかない」と六ヶ所村の人たちは言った。
■学校をオープンなダイアローグの場にすることが未来を開く
ダイアローグが放射性廃棄物の最終処分実現への確かな道であることを、実感して戻って来た。
原発が放射性廃棄物を生むものであること、そしてその最終処分の問題が未解決であることは、学校の教科書に記載しなければいけないです。そして早い時期から現実を知り議論するような土台を作っていくことが、次の世代がこの問題と向き合うために必要。文科省は原発の問題をしっかりと教科書に取り上げて、利害関係のない学生時代に多様な考えを伝え合う場を作っていくこと、これは日本がどうしてもしなければならないこと。
↓女ばっかりのツアーも企画してみました。
男の人たちとは感じることが違うね。
女性の対話力がこれからの時代をひらいていくよ!