ぼんやりの先

 先日、仏教関係の対談で「なぜ仏教に関わりをもったか?」という質問をされて、困った。
 いろんな細い水脈が集まるようにして、大きな川になった。……そんな感じだから「これだきっかけ!」と言うと、なんだか自分で話していて嘘っぽいなあと感じてしまう。

 私が仏教に興味をもつようになった、水脈のひとつに、ユング心理学がある。

 亡くなられた河合隼雄先生の名著「ユング心理学入門」を二十代の初めに読み、自分の知らない世界の見方に触れ、衝撃を受けた。
 以来、先生の著作、講演録、対談などのほとんどを読んできた。いわば、熱烈な河合ファンだった。河合先生は仏教にも造詣が深く、「ユング心理学と仏教」や、宗教学者中沢新一氏との「仏教が好き!」という対談など、仏教関係の著作も多い。

 だから私は仏教書ではなく、ユング心理学という西洋の学問領域から、河合先生の道案内で仏教に近づいてきたのであり、仏教書や教典を読むようになったのは、ここ数年のことだ。

 まったく話は飛んでしまうのだが、私が小説家としてデビューしたのは四十歳の時だった。二〇〇〇年六月に初めての小説を出版し、その本がよく売れた。文学新人賞をとったわけでもない新人の本が十万部を越えて、第一作にして「流行作家」というものになる。びっくりだ。ドリームジャンボ宝くじを当てたような気分だった。

 問題は作家で在り続けるということだ。
 作品を書かなければすぐに忘れられてしまう。年間何百人もの新人がデビューするらしい。しかも本屋の書棚は、百年前の作家たち、夏目漱石や太宰治と陣地争いをする激戦場である。正直なところ、作家として書き続けることのプレッシャーにかなりまいってしまった。野球選手ではないが、ヒットを出し続けなければ二軍落ち……という、焦りをもっていたと思う。

 私が、河合隼雄先生と対談をしたのは二〇〇三年のことだ。その年「富士山」という短編集を出版した。同じ時期に河合先生は「神話と日本人の心」を出版され、ある雑誌から「神話についての対談をしませんか?」と、もちかれられたのである。

 尊敬する河合先生にお会いできる、それだけで嬉しくて、私は二つ返事でお受けした。その当時、先生は文化庁長官として多忙を極めていらしたのに、なんと、対談を受けてくださった。感激と緊張で、私は地面から十センチくらい浮いていたと思う。

 しかしながら、この対談は私の人生において最も辛い、最悪の対談になってしまった。
 対談の最初に司会者が河合先生にこう質問した。
「先生、ランディさんの新作はお読みになりましたか?」
 先生は黙って頷いた。
「いかがでしたか?」
 すると先生は、無表情に答えた。
「ぜんぜん、ダメだね」

 場が凍りついたのは言うまでもない。司会者も私も言葉を失った。その瞬間に私は頭が真っ白になった。なんとか場を取り繕おうと必死になったが、どんな話題を振っても先生は乗って来ない。「うん」とか「そういうこともあるね」などと気のない返事をするばっかりで、対話が続かないのだ。しまいには目の前で大きなあくびなどしている。

 泣きたいような気持ちであった。どうしていいのかわからない。「神話」の話など、まるで立ち上がって来ない。

 途方に暮れた私は、なにがきっかけでか忘れたが、自分の話を始めた。父親がアルコール依存症でたいへん苦労している。父は飲むと酒乱となり、兄は自殺し、母も心労で兄を追うように亡くなった。

 酒乱の父の話題にだけ、河合先生の目がキラリと光った。やっと身を乗りだして来て、お話を始めた。そして、こんなことをおっしゃった。
「私の知る限り、アルコール依存症の人は宗教的な問題を抱えていますね」
 宗教的な問題? 父がそんなものを抱えているのだろうか。
「なるほど、あなたは、お父さんのおかげで作家になったのだね」

 それは、その通りかもしれないが、当時の私には受け入れ難い言葉だった。
 あの頃、まだ父は生きており、父の起こすトラブルに振り回されていたからだ。居酒屋で暴れたり、失禁したり、泥酔して転んで救急車で運ばれるなど、日常茶飯事。専門家に相談しても「底つきが起こるまでは治療できない」と言われた。
 まことに、アルコール依存症は恐ろしい病気である。

 小一時間ほどで対談が終わり、別れぎわに河合先生が私に不思議なアドバイスをくれた。
「あなたは、もっと諸国漫遊しなさい。あっちこっち行っていろんな経験をしなさい。ですが、そのとき、ぼんやりしていなさい。ありのままの自分でぼんやりとしていなさい」
 ぼんやりしろ。結局、それが河合先生からの遺言となった。

 あれから十数年経つが、私はこの時の対談のこと、そして、河合先生の言葉を忘れることができない。いきなり「ダメだ」と言われたことはショックであり、しばらくは先生に恨みがましい気持ちを持っていた。

 そのうち、父が死に、夫の義父母が死に、三人を看取り、北に南に諸国漫遊しながら、現在に至る。
 アルコール依存症の父の看取りは、いい体験だった。末期がんで、次第に現実から遠ざかっていく父を見ながら、確かに父の内面には宗教的な何かがあるように感じた。ホスピスに入り酒が抜けていくと、父の顔は菩薩のようになった。

 依存症の親の家庭に育った子供は「ぼんやり」が苦手だ。常に親の顔色を読み、家族の中の調停役をするのが末っ子の私の役目だった。ぼんやりする余裕のない家庭だったのだ。

 その私に「ぼんやりしろ」と言い残した河合先生は、凄い方だと思う。ぼんやりしては死ぬ、というような家庭に育ってきたのだからなあ。

 ある時、文化庁で河合先生の側近だったという方にお会いした。私が対談の苦い顛末を話すと「河合先生は、興味がない方に会うような時間はありませんでした。そこまではっきりおっしゃるなら、田口さんは見込まれたのでしょう」と、慰めてくださった。

 いやーでも、あれはメゲるよ。

 この十年間、どんな場所に行って、誰と会っても「ぼんやり」という声が響いてきた。
だから「ぼんやり」を心がけてきた。目的意識を持たず、がつがつ漁らず、何かを成そうとせず、求めようとせず、ただぼんやりそこにいること。
取材をするというわけでもないので、結果としてぜんぜん作品にならない。これでいいんだろうか。
でも、いろんな仕事が来る。じぶんの居場所がある。毎日、忙しい。ありがたいことだ。
ぼんやりしていたのが、良かったのだろうか?

 ぼんやりしていていいんですか? 
 先生、ぼんやりしている場合じゃないんですけど。
 地震が起きて、原発も事故っていますけど、それでも、ぼんやりですか?
 わたしはよく、そうやって語りかけた。
 すると「ぼんやりです」という、厳しい声が返って来る。
 「はあ……」

 ぼんやりしていると、周りから助けられることが多く、優しくされることが多く、どちらかと言えば、施される人になってしまう。作家という肩書きを取ってしまえば、私はさして何の役にも立たないオバサンで、特技もなく、運転免許もなく、誰かの助けがなければどこにも行けない。

  そうこうするうちに、ほっておいても、年をとってぼんやりするようになってきた。
  そんなに上を見なくても、下には頼ってくる若い子たちもたくさんいるのだから、子どもや若い子たちを育てながら、じぶんも支えてもらって生きていけばいいか。

  「ぼんやり」の先に、なぜか……仏教があった。
by flammableskirt | 2015-07-24 17:40

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