日々の悟り

一日のうちでも人間の心は揺れ動いているから、日々に悟りもあれば修羅もあるんだ。亡くなったトランスパーソナル心理学のカウンセラーである吉福伸逸先生がそんなふうにおっしゃっていた。

日々の悟り……。それは烏龍茶や珈琲をていねいにいれる時に感じる。烏龍茶はいれる時の作法のようなものがあり、それにのっとって器を暖めお茶を蒸し上げるようにする。いれかたで香りも味も変わってしまう。なにが違うのか自分でもわからないが味が違う。珈琲もそうだ。ハンドドリップでていねいにいれても、味が違う。なぜかその日の気持ちの静まりと関わっているような気がしてならない。無心でいれないと味が透明にならない、雑念が入ると雑味が出てしまう。いつも夫の分と二人分をいれて飲んでいただく。今日は集中できなかった、と思う日は夫もわかるらしく、今日はちょっと雑味が出ているね、と言う。

珈琲は午前中に一回。烏龍茶は午後に一回。どちらも一日一杯しか飲まない。私は外ではほとんど珈琲は飲まない。家で飲む一日一杯の珈琲を瞑想だと思い、丁寧に入れるようになったのは去年からだ。こんなささやかなことだが、すばらしくおいしくいれられた時は、なんとも不思議な幸せに満たされる。台所の風景され美しく見える。優しい気持ちになれる。それは一瞬のことだ。ほんとうに一瞬で、過ぎてしまう。あとはまたぐちゃぐちゃどうでもいいことを考え、悩み、仕事の雑事に追われているのだ。

ほんとうは、仕事の雑事と言ってしまうことだって、茶をいれるように向き合えば、きっとそこにもなにかの幸福が感じられるのだろうけれど、そうはいかない。気持ちをもっていくことが難しい。日々のことすべてに集中できることを、悟りをひらいた人と呼ぶのかもしれない。そういう人はどこにでもいるだろう。なにげなくいるだろう。そして、ささやかに世の中を照らしていると思う。その人を見れば、誰でも、気持ちよいはずだから。

そういう人になりたいなあと思うのだけれど、まったく、ぜんぜん遠くて、いつも焦っていてとにかく早くやらなくちゃ、そしてやりながらもう次のこと別のこと終ったことを考えていて、あっちこっち、物事をやり散らかしながら、時折ぼんやりし、ふてくされ、ささくれだち、淋しくなったり、うれしくなったりしながら、ああ、忙しいとか呟いているのが現状なのである。
by flammableskirt | 2014-03-14 08:51

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