田口ランディ Official Blog runday.exblog.jp

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
プロフィールを見る
画像一覧

3月11日が過ぎて

 2011年4月11日から始まった「アノニマス・エイド東京慰霊祭」は今年で4回目。なぜか今年がいちばん気持ちがざわざわして落ち着かず、どうにも足下が揺れているような不思議な感覚に陥った。イベントのあいだも床がぐらぐらしているように思えた。第一回目の時は読経の最中に大きな余震があった。あの時は本当に揺れていた。
 三年目となる今年は私の気持ちが揺れているのだろうか。
 若松英輔さんとの対談のなかで、若松さんが「使命」というお話しをされた。「だれか」が「あなた」の存在によって「なにか」を感じているはずだ。必ず「あなた」は「だれか」にとって「なにか」の働きをしている。それが
使命だ……と。
 私も私のはかりしれないところで「なにか」の働きをしているのだろうか、しかし、私にはその実感が湧いてこず「使命」という言葉の前に途方に暮れていた。正直なところ「なにもできていない」自分を責めるような思いがあり「なにもできない」のではなく「なにもしない」ということだろうと、これまたいじわるな自分が言い、その通りだなとうなだれる自分がおり、それをまた「猿芝居だ」と冷めて見ている自分がおり、複数の自分に分裂したまま、まとまりを失っているような感じだった。
 いろいろなことをやったような気がするが、そのどれもが中途半端な自己満足に過ぎなかったのではないか、とか、いま自分のやっていることも、単に自己満足なのじゃないか、などと、考えるようになっている。
 そういう、少しささくれた思考に入ってしまうのはなぜだろうか。きっと疲弊しているのだなと思った。端的にいえば自分の当時者性がどんどん薄れてきて、そのことにとまどいつつ、内心はほっともしていて、心が矛盾を起こしているのだと思う。
 こういう時、なにか強い信念とか、わかりやすい答えを求めているのがわかる。答えをお水のようにごくごく飲み干して身体を潤したい。そう感じる。
 空中の存在しない椅子に腰掛けているような状態で、姿勢を維持することができないのだ。思考の筋力が弱い。ピンと立つなり、どかっと座るなり、はっきりできたらいいのだが、それもできない。
「ダイアローグ研究会」も4月から再開するのだが、どうにも気が重いのである。原発の問題からも気持ちが逃げてしまっている。考えたくないなあという積極的な逃げではなく「考えなくちゃいけないけどぐずぐず」という感じだ。以前のようにそこにすぐ気持ちを持っていけないでいる。
 2010年から始めたダイアローグ研究会は4年目に入るのだから、そろそろ中だるみ的に疲れが出てしまうのかもしれない。安倍政権になってから特に、原発問題に関して場を立ち上げていく気力が落ちているのは、話の方向が多岐にわたり拡散してしまうからだろうか……。どこかで「こんなこと続けても無駄なんじゃないか」という、魔の声が響いている。なんのために、誰のために、場を創ろうとしているのか。自分のなかの軸がわからなくなっている。
 一緒に動いてくれる仲間がいるので、なんとか続けているが、一人では到底、無理だろう。私は焦っていると思う。とても強く、苛立っている。この状況に。たぶん。そして怒っている。対話なんかすっとばして、力と数でこの状況を変えたいと願う自分もいるのだ。そのほうがてっとり早いし、すかっとする。そういう自分の中の衝動を抑えつけて「対話」などと言っても、自分に自分が食われていく。だから、仏教に静けさを求めているのだろう。自分の修羅を静めたいからだ。
 そんな時、いつも思い出すのは気功の師である新渡戸道子先生の言葉だ。
「田口さん、ゆっくりは怖くない。怖いのは止めてしまうことよ」
 ゆっくりは怖くない。
 呪文のように繰り返している。
 ゆっくりは怖くない。
 怖いのは止めてしまうこと。
by flammableskirt | 2014-03-13 11:20