田淵睦深写真展 「空気」を体験する
2012年 11月 22日
〜12月2に日まで/吉祥寺ベースカフェにて
「つつましく美しいもの」
古い友人である田淵陸深さんの写真展を観てきた。
わたしは彼女といっしょにいろんな場所を旅してきて、彼女がつかまえようとしているものがなんとなくわかる。たぶん、彼女はこの空気のなかに満ちている〈ひかりの粒子〉のようななにかが見えるのだ。
ときどき「ちいさくて、ぴかぴかしたものが、動き回っているのが見えるんです」と言って目を細めていた。じつは、わたしにもそれが見える。晴れた日はとくに、とても小さな光のつぶつぶが震えて飛び回っている。ずっと目の錯覚だと思ってきたし、たぶん目の錯覚だろうと思っている。でも、彼女が「見える」と言うので、ああそうかこの人はわたしと同じ錯覚が見えるんだ……とうれしくなった。
おしなべて、わたしと彼女はとてもとるにたらないものが好きだ。なにもないことが好きだ。なにもなくとるにたらない……それはまさに空気だけれど、このとるにたらないものがないとわたしたちは生きていけない。
空気はタダである。すばらしい。空気は空気がない場所に……たとえばスキューバダイビングで海に潜ったような時にだけ意識されるけれど、ほとんど意識されない。でもこの空気があるから、音楽や、小鳥の鳴き声も聞こえるし、走ったり、笑ったり、愛を語ったりするためのエネルギーも作れるし、美しい光、虹の色も見ることができる。
なにもないけれども、でもそこにあり、不思議な光にみちていて、世界を伝えてくれるもの……それが、空気。
彼女はいつも空気のなかのいのちの気配を感じ取り、それをあまりに愛おしく思うのでなんとか写真に表現しようとしてもがいている。
その営みは、写真に撮って自分の作品にしてやろう……というエゴというよりも、この、目に見えず、意識もされず、それでもわたしたちをみたしている優しさ、美しさへの感謝……祈りのように思う。
ありがとうございます、ありがとうございます。
そう呟きながら、彼女はシャッターを切っているんじゃないかな。
だから、彼女の写真もまたつつましく、とても謙虚だ。
でも、つつましく謙虚であることにかけて抜きんでている。それは弱さという個性であり、わたしは彼女にこのつつましさを極限までつきつめてもらいたいと思っているのだ。
押しつけがましさはみじんもない。だから、彼女の写真は少し弱っている人、辛い人を包み込む包帯のようだと思う。
個展のオープニング、たくさんの人がつめかけた会場のなかで、彼女の写真たちはあまりにつつましく謙虚で、存在を消して、風景と一体化していた。だから誰も写真についてはあまり語らず、おいしい料理の話題で場は盛り上がっていた。そんななかで彼女は主役であるのに、りんごの皮を剥き、友人たちに気づかってせわしなく働いていた。挨拶もなく、称賛もなく、ふわっとした和気あいあいとした空気が場を占めていた。
翌々日、ひっそりとしたギャラリーに再び出かけて、ほうじ茶を飲みながらじっと写真たちと向き合ったとき、やっと彼女の写真たちはそれぞれの淡い光を投げ返してきた。なにもない空のなんという暖かさ。なにもないことの、自由さよ。そこにとらえられた見えない空気は愛しくせつなく、このようなつつましい祈りこそが、わたしたちの日々の生活をそっと支えてくれているのだと感じた。
なにもない……ということの、なんという安らぎだろう。
わたしたちの日常にはなにかが多すぎるかもしれない。
透けるような紙にプリントされた写真たちは窓とひとつになり、外の光を通してその色合いを刻々と変化させる。移ろい変化する写真たち。それをじっと見つめるには、人はあまりに忙しすぎるのかもしれない。
自然であることに限りなくこだわる彼女の意図は、足早に通り過ぎる人には理解されないかもしれないが、それでも、空気を撮り続けてほしいと願う。
12月2日〈日〉まで、吉祥寺のベースカフェで開催しています。
このカフェのお茶もランチもとてもおいしいです。
ゆったりした時間を過ごすにはとてもよい場所です。
詳しくはこちらをご覧下さい。
http://www.organic-base.com/topic/exh04/
写真はオープニング・パーティで大評判だったベースカフェのマクロビ料理。
