写真集「Asakusa Portraits」鬼海弘雄
2012年 11月 09日
「鏡の国への鏡」
田口ランディ
父がまだ生きていたころ、私は父とよく浅草に行った。
その当時、父は茨城の実家に住んでおり、神奈川のはずれに住む私は孫を連れて父と一緒に浅草のホテルに泊り、浅草寺の辺りのもんじゃ焼の店などで三人でご飯を食べて別れた。なぜか父は、浅草にくると穏やかになり、顔を和らげるのだった。若い頃からずっと、遠洋マグロ漁船の乗組員をしてきた父にとって、浅草は「自分と同じ匂いのする人々」のいる町であり、ここで出会う人びととは旧知のように言葉を交わしていたものだ。
私は父の生きがたさを知っているゆえに、あえて夫のいる自宅には呼ばず、まだ幼かった娘を連れて父と浅草で会ったのだ。そして花屋敷に行き娘を遊ばせた。父は缶チューハイを片手にほろ酔いで孫が遊ぶ様子を眺めていた。それからゆっさゆっさと肩で風を切るように歩き、てんぷら屋などに入って、少ない年金を大盤振る舞いして私たちにごちそうしてくれた。浅草という町にいるときの父の姿が私は好きだったので、この写真集をもらった時も、まず心に浮かんできたのはアルコール依存症で死んでいった父の、在りし日の笑顔だった。
そんなことを思いながら、この写真集のページをめくっていると、そこには、父と同じ匂いのする人たちがいた。たぶん、父と同じ時代を生きてきたのであろう男たち、女たちがいた。まさに私の父であり母であった。また父の親戚であり、母の親戚であった。
戦後の苦しい時代を生き抜いてきた人々……という陳腐な言葉は、このポートレイトの前で呟くとあまりに空疎だ。他者の存在をたった一つのありきたりな単語で表現しようとすることの暴力性の前に沈黙するしかない。人生とは……豪華絢爛なのだ。人生の質をはかるどのような尺度もないし、どのような単位もない。ただ、命とは溢れ満たし尽くす豊穰なのだ。そう思う。
人は誰も生きたように老いる。一瞬一瞬の時が、感情という小刀で生身の肉体を刻んでいく。老いとは我が身としての肉体の創造であり、身体をもっているというだけで、人はどうしようもなく、激しく、自己表現してしまうのだ。ただ……、私は私の肉体を見ることができない。もちろん、鏡を見れば私はそこに映っているが……私が私としての意味を読むことは困難だ。
鬼海さんという写真家は、彼らの姿からなにかしらのコードを読み取っている。読み取るとは、呼び出すことであり、同時に新たな意味を与えることだ。鬼海さんに撮られたことで、写真の人々の命の豊穰がむせかえる匂いとともに立ち上がり、まことに見事に花開いているのである。それは奇蹟のごとく美しい開花の瞬間であり、私もまた、ページを括り、彼らのポートレイトを見ることによって、敏感で弱い部分に触れられ、それぞれの被写体の人生の豊穰を読み取り、私という内部に花開かせているのだと感じた。それは、まぎれもなく出会いである。命と出会ってしまいっているから、このポートレイトを前にして泪が語るのだろう。
鬼海弘雄さんという写真家が、人間という暗号を読むその確かな直感は、ただありのままを写しとる写真という技法を通して、見える姿の背後にある見えない特殊な情報を伝えてしまうのだ。それはデータ換算することが不可能な「命の豊穰」である。それを小説で表現しようとしたら、何千ページを費やしても難しいかもしれない。いや、あるいは才能ある詩人なら数行の隠喩で表現してしまうのだろうか……。
ポートレイトの目が、じっと私を見ている。一つひとつの目と目を合せながら、ゆっくりとページをめくる。それは、不思議な時間。あえて言葉にせず、目をそらさずにじっと感覚だけを味わう……。すると、だんだんわたしがだれであったのか、わからなくなってくる。私は写真の外にいるのか、裡にいるのか、わからなくなってくる。あなたとわたしの境が消えていくときに立ち現れるのは、犬のぬくもりのような懐かしさだった。
この写真集は、そういう。鏡の国への鏡のような、写真集である。