ジャンルという呪縛

「サンカーラ」の連載を始めたとき、まず問われたのが「これはエッセイですか? それとも小説ですか?」ということだった。いま、文章は細かくジャンルに分けられてしまう。かつてはそうでもなかった。もっとあいまいなゆるいくくりしかなかった……。文壇という場を離れてしまえば、実際のところジャンルという線引きは無意味化し、コンテンツは自由に創造の庭に繁茂している。文壇という場は「花壇」のようなもので、自由な繁茂に対して囲いのある人工的な場所だと思える。そこでは、何科に属する花であるかが重要らしい。

私はもともと、インターネットという、コンテンツのジャングルのような場所から飛び出して来た書き手であるので、ジャンルというものがよくわからない。一番最初についた名前は「ネットコラムニスト」だった。小説を書くまえ……、メールマガジンを出していたころそういう肩書きで紹介されるようになった……。小説だろうと、エッセイだろうと、コラムだろうと、私から出てきたものだから、私の作品であるという以外に私の中ではくくりがなく、書きたいことを書きたいように書いてきた。

小説が売れてからは、「小説を書いてください」と言われることが多くなった。「エッセイは売れないんですよ」とはっきり言う人もいる。
エッセイを書いているつもりはなかったが、自分の身辺のことを書くとエッセイと呼ばれるらしい。それで、時々肩書きに「エッセイスト」と書かれていることもあり、そうなのか、私ってエッセイストなのか? と、最初の頃は思ったりしたのだが、どうにもこの呼び名は居心地が悪い。

かといって、小説家……というのも、なんだか違う気がする。なので、いまは「作家」と名乗っている。アーティストも作家だし、陶芸家も作家だし、作家は間口の広い言葉だ。ものを創造する人間はみんな作家だろう。私が文章を書けば、書いたものが作品である。それが、小説なのか、エッセイなのか決めるのは、いつも外側の人たちだった。

「サンカーラ」は、エッセイ集ではない。連載は小説というくくりの中でしていた。どちらかと言えば私小説に近いような感じで書いている。でも、読者は「自分のことを書いているし、事実みたいだからこれはエッセイだろう」と思うだろうし、それはそれでいいのかもしれない。

ジャンルに分けられてしまう……ことの窮屈さは、作家になって初めて体験したことだ。そして、きっと、私より先に作家として生きている人たちみんなが、なにかしら感じていることかもしれない。自由な文章表現をしようと思えば、ボーダレスにならざるえない。詩とはなにか、小説とはなにか、エッセイとはなにか……というような、明確な線引きをすることになにか意味と価値があるのだろうか。

先日、詩人の吉増剛造さんと、青森県の三内丸山遺跡にある大型竪穴式縄文住居で対談をさせていただいた。吉増さんは、大きなスケッチブックのような冊子を携えて現われた。それはひと抱えもあり、重かった。しかも、それを肩身離さず持ち歩いている。
「これはなんですか?」と聞くと、作品だ……と言う。

吉増さんは、毎日なにかを書いている。朝起きて、午前中が執筆に集中する時間らしく、午前中は誰とも会わない。そしてこの緑色の大きなバインダーのなかには、特注の用紙に書きつけられた吉増さんの作品が、たくさんはさまっていた。
「ぼくはね、これはぜったい、編集者にはわたさないの。一部くらい原寸で印刷してもいいかなと思うけどね」
書いたものを編集者に渡さない……ということは、誰も読めないじゃないかと思う。商業作品を書いている私から見れば驚くべきことだ……。
「誰にも読ませない、自分のための作品を書き続けるようなことができなければ、表現は死んでしまいますよ。自分だけのために毎日書くの。そういうことを習慣にしてしまうんです。ジャンルだとか、なんだとか、そういうことはほんとうにくだらないつまらないことだね。どうでもいいんですよ……、それが、まったくわかっていないね」

そして、吉増さんは「今日はランディが、雷の話しをしたので、ぼくは雷の詩を書いたことがあるから、それを朗読してみようと思う……」とおっしゃり、バインダーを開くと、ぶわっと手品のように手書きの作品が溢れ出してきた。吉増さんの文字や、詩に塗られた色や、汚れや、皺や、そういうものもすべてひっくるめて、それは「吉増剛造」という作品で、存在の一部で、まるで魔法がかかった書物のように、はらはらと紙がめくれていった。

取り出した一枚を、「あった、あったこれだ……」と指先でつまみ出した吉増さんは、魔法学校の先生のようだった……。ああ、わたしはいま魔法を見ているんだと思った。そして、吉増さんは、雷の詩を読んだ。たぶん、この世界でこの詩を聞いたのは、そこに居た者だけであり、これからも永遠に、バインダーの中に閉ざされるかもしれない言葉。奇蹟の言葉……。それは、雷の親子の詩だった……。とてもせつない詩だった。

その時、私は自分と吉増さんのどこが決定的に違うのかをはっきりと意識した。私は雷について語ったが、それは私が雷を対象化し、分析し、ジャンルに分けて説明したにすぎない。それは作家のやることではない。吉増さんは違ったのだ。吉増さんは、雷の中に入っていき、自らが雷となろうとし、雷に寄り添い、雷の視点で世界を感じとろうとしていた……。いや、感じとっていたんだ……。

私は、魔法使いの足下にひざまづき、弟子になることを誓った。
そのとき、ジャンルという呪縛は、解かれた……。


サンカーラ: この世の断片をたぐり寄せて

田口 ランディ / 新潮社


by flammableskirt | 2012-10-23 09:12

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