東へ、西へ。
2011年 10月 31日
十月の中盤からシンガポールに行き、そこでも福島原発事故に関しての講演を行ったのだが、西と東の温度差にとまどいを感じた。シンガポールはASEANの優等生であり、いままさに成長している国。国内は活気がありイケイケどんどんな雰囲気だ。外は熱帯だが一歩室内にはいるとまるで北極圏。ものすごい冷房で寒くてたまらない。ベイエリアには奇抜なビルが建ち並びすさまじいほどのイルミネーションだ。シンガポールは原発建設を検討していたが日本の事故を受けて中止したと聞いていた。そのことを、シンガポール人に質問すると「ああ、でもそれはまだ決定ではない……」と言葉を濁す。どこかで「原発は必要」と考えている雰囲気だし、日本の事故への関心はイタリアよりも遥かに薄い。
「こんな冷房は無駄じゃないの?」というと「シンガポール人にとって冷房をきかせるのはおもてなしなんです」との答え。なんとなく日本のバブル期を思い出す。そして、バブル期を経験している自分としては、たとえばあの時期に外国人がやってきて「日本人は電気を使いすぎだ」と言っても、そんな言葉に耳を貸さなかったろうと思う。たぶん、いや、絶対に貸さなかったろう……。アジアの新興国は、エネルギーは必要だと思っている。ベトナムも原子力をすすめるつもりのようだ。中国も、もちろん。
アジアに対して、私はなにができるのだろうか……と考えた。シンガポールで原発の話が伝わらないと感じるのは、シンガポールは豊かさの先になにがあるのかをまだ見たくないからだと感じた。
私たちの社会が直面している問題に、きっとこの不思議な近未来国家もいつか直面するのではないか。それともしないのか? ……わからない。しかしとにかく、淡路島に匹敵する国土しかない国が原発を必要とするほどの電力を使うのか……。あまりにも大きなリスクを背負うことを、私は訴えたつもりだが、伝わったという実感がもてない……。
イタリアではシンポジウムの席上で、男性の論客たちがあまりに「政治論」や「技術論」に終始し、論だけが舞い上がり、福島で暮らしている人たちの心情がないがしろにされた気がして、つい感情的になってしまった。だが、私が福島で人々の生活にどんな変化が起こっているのか、母親の不安、子どもたちの不安、そして土地を追われ、結婚の問題や未来に悲観する少女たちの話をすると、会場はしんとなり、そっと目頭を押さえている婦人もいた。終ってから何人かの女性たち、みな、母親であったり、祖母であったり、そういう人たちが「あなたの言うことがとてもわかる、がんばってください」と声をかけ、肩を抱きしめてくれた。傷ついているのは私ではない。でも、私が受けたこの優しさを、私はどうやってか本当に必要な人に届けなければいけないだろうと思う。
言葉が論理や整合性だけで一人歩きし始めるとき、いつも自分がゆっくりと巨大なローラーで押しつぶされているような圧迫感を感じて苦しくなる。方法論や解決方法を人間を無視して合理的に語ることによって、問題をほどくことは絶対にできない。すべての問題は人間の問題であり、人間とは矛盾を含んだ存在なのだ。そのことを忘れてしまうと、たくさんの人を傷つけることになる。だが、そのような言説は、正論で強い。いまその正論の嵐のなかで、ただぼう然と言葉を失っている人たちに、語りかけるための言葉が失われていることを、感じる。
※本場シンガポール「ラッフルズホテル」の「シンガポールスリング」の感想は……甘いっ!