新しい人よ眼ざめよ
2011年 08月 11日
「外国人献金問題」や「震災対応の失策」など、複数の要因が列挙されており、全体的な指導力のなさが問われているようでした。つまり、菅直人総理が退陣すべきだという方々は「この人物には総理としての適性がない」と考えていらっしゃるようです。「ひとつひとつの問題、どれをとっても退陣要求に値する」とおっしゃっている方もいらっしゃいました。「海外での存在感のなさ」や「いつも疲れた顏をしていて自分の体調管理ができていない」など、ほとんど憶測での意見も多かったです。
それに対して「脱原発を表明しているから」という答えもありました。脱原発をはっきりと打ち出している菅直人総理は、原発推進派にとって不都合なので早く退陣させたいのだ、ということでした。
広島の平和祈念式で「脱原発」を表明した総理に対して、広島市長が不快感を示した、という新聞記事を読みました。「政治的なアピール」だという理由でした。
私は広島を長く取材していますが、広島には二つの顏があると思いました。よく知られている広島は国際平和文化都市としての広島で、反核を訴えています。もう一つの広島は、映画「仁義なき戦い」「仁義なき戦い 広島死闘編」で描かれたような広島です。戦後焼け野原となった広島に土地利権をめぐるヤクザの激しい抗争が起こります。この二つの映画は戦後の広島を考えるうえで貴重な歴史的資料でもありますし、映画としてもとても面白いです。
原爆によって破壊された街の再開発だけでなく、広島はありとあらゆる場所が開発の対象となり、いまでは戦前の面影を残す町並みはほとんどありません。広島を歩きながら、なぜこれほどに街は「刷新」されてしまったのだろう?と不思議に思いました。戦災を免れた段原地区には昔ながらのいりくんだ路地に、骨董品展が軒を並べ独特の情緒ある景観を保っていました。この地区は最後まで残された古き広島でしたが、やはり大規模な再開発の対象となり、現在に至ります。被曝や反戦、反核とはまったく関係ない利権を巡る争いがこの街にはありました。この街のすべてを「新しく開発」することの意味はなんだったのでしょうか。復興や住民の利便性のためだけではないように思えました。
広島を取材しながら、広島の歴史を探りながら、広島から発せられる「平和」という言葉に、気持ちが苛立つようになったのは、広島が表明する「反核」も「平和」も、かっちりとした定型フレームのなかに収まってしまい、そこから脱することができない不自由さを感じたからです。
「原発」と「核兵器」は、いっしょに語ってはいけないものでした。それは、原発が導入された経緯、その歴史を見ればわかります。核兵器は危険だけれども、原発は未来のエネルギーで絶対に安全である……という触れ込みで、アメリカからすすめられて技術導入されました。一九五〇年代のことです。この時から、核と原発は分けなければいけなくなったのです。これは、国家とメディアとアメリカが三位一体となり、もちろん経済界も後押しして進めてきた国策で、原発は核の平和利用として「平和」の陣営に組み込まれました。いま、原発が決して「絶対安全」なものではないことが現実に証明されても、一度、枠におさまってしまったものから、容易に抜け出すことは困難なのです。
菅直人総理が「脱原発」を表明することに関して、私はそれを政治的アピールだとは考えていません。ただ、言葉は悪いですが「イタチの最後っ屁」のように、一発だけかまして、そのままどこかに行ってしまう……というのでは、なにかもう、それはあまりにむなしい。
当然ながら、現在も稼働している原子力発電にはたいへんに多くの人間がかかわり、原発関連事業が支えている雇用は、特に原発立地地域では大きいでしょう。いま原発がある地域の人たちは、原発導入時にもいろいろな混乱やストレスがあり、そして稼働時にも事故等の心配があり、それでも、地域ぐるみでそれを受け入れてきて現在に至るわけです。そういう長い時間をかけて受け入れてきたものを、いきなり「危険だからなくす」と言われても、とても困惑するでしょうし、これまでの苦労を、そしてこれからの不安をいったい誰にぶつけていいのやら、なんだか翻弄されっぱなしのような暗澹とした気持ちになるに違いありません。
私たちが生命の安全を守るためには、原子力の技術は必要です。現在稼働しているものが、解体され、最終的に放射能廃棄物の処分が決まるまで何十年もの長い時間が必要です。もし、この大事な専門分野に信頼できる技術者が研究者がいなくなってしまったら誰が安全を管理するのでしょうか。
原子力は存在します。いま現実に。日本がもし脱原発へと舵をとったとしても、この技術は必要になります。これから廃炉に向けて、膨大な税金が投入されていくとしたら、それはまさに国家事業であり、その経験を極め、蓄積しつつ、廃炉工学や廃炉事業を世界に輸出できるほどの水準まで高め、全世界の脱原発を牽引していくような、そんなビジョンが必要ではないでしょうか。原発の解体処理や、放射性物質の除染、処理に関して世界最高水準の国になることが、私たちの子どもたちにとって最も安全な道であろうと考えます。
物事が大きく変革するときは、たくさんの人が傷を負い、その人生を大きな流れのなかに巻き込まれ、苦渋の思いを味わうことになります。その余波がいったいどこまで及ぶのかは、誰も想像もつきません。蝶の羽ばたきが嵐を起すかもしれない、そういうつながりあった世界に生きている以上、なんらかの形で誰もが影響を受けるでしょうけれど、その影響の大小ははかり知ることができない。はかり知ることができない……という点においてのみ、人生は平等であります。
もう同じ状況を続けたい人はいないはずなのです。もとより、続けられるわけもないのです。いやおうもなく大きな変化が起きつつあります。そんななかで、本来は社会を変革していかなければならない政治的な人たちが、もっとも保守的で保身に走っているように見えます。たぶん彼らが人生の目的としてきた「政治的な権力」というものは、優先順位としては「命」よりもプライオリティが上なのでしょう。そういうことはままあることです。
原発推進にしても、反対にしても目指しているのは「政治的な優位」であることが見てとれるとき、なにかとても不思議な気分になるのです。人は自分が見たいように世界を見るんだな。そして、考えて見れば政治という狹い世界で何十年も生きてきたような人たちは、反対だろうと賛成だろうと、時にはくっついたり離れたりして、ゲームのようなことを、国会議事堂という狹い教室で繰り返しているわけです。そもそも顔見知りで、会社の同僚のようなものです。あんがい私たちが思っているほど敵対なんてしていないんだろうな……。もっと、陰湿な心理ゲーム……、中学校のいじめのようなものが行われているのかもしれないな……などと空想したりもします。
私は、いま、次に総理になってほしい人なんて、いないんです……。総理候補……という方々をニュースで見ましたが、なんだかげんなりしてしまいました。もう、ほんとうにうんざりした気分になりつつ、三陸海岸や福島で出会った若い議員の方たちのことを思い出しました。30代の議員の方たち、ほんとうに毎週、福島に通い、あるいは何ヶ月もホテルに泊まり込みになって、現地復興のために働いていました。現場から見ていたら歯がゆい気持ちでしょうね。
できれば、若い方たちが中心になって、第三のまったく違う政党を立ち上げてほしいなあと思ったりします。若手の人たちが超党派で集まってほしいという気持ちが強くあります。いまは、そういう時期なんじゃないでしょうか。
この文章のタイトルの「新しい人よ眼ざめよ」は、大江健三郎さんの短編のタイトルからとっています。この短編集は、ウィリアム・ブレイクへのオマージュとして創作されたもので、絶望からの再生を予感させてくれるものとして若い頃に読みました。当時、あまりよく理解できなかったのですが、ウィリアム・ブレイクを読んでのち、今読み返すと、祈りにも似た、不思議な読後感がありました。