アメリカの不安について

第二次世界大戦で、一般人の頭上に無警告で原子爆弾を投下したことは、加害者であるアメリカにとっても痛手になっています。それは「人間としてやってはいけないこと」であることは当然で、どのような立場、視点に立って見ても理不尽で、身勝手な行為だったからです。その歴史的な事実の前でアメリカもまた思考停止をしています。

無警告原爆投下……という歴史的事実は、多くの歴史的事実がそうであるように誰か一人の責任ではなく、複雑な因果のなかで発生し実現されてしまった「現象」でもありますから、もはやその全貌解明は難しいでしょう。しかし、実行したことは事実です。それは永遠に人類史に事実として残ります。

核を行使してしまったアメリカは、抑止力としての核をもつ以外の選択肢がなかった。それはたぶん潜在的な恐怖と不安のためではないかと思います。それゆえ誰の批判も受けない正義の言い訳が必要であったし、過剰とも思える他国への内政干渉や情報操作が行われた。特にキューバ危機の時など、アメリカは自国内が分裂し、完全にコントロール能力を失っていました。

あのとき、核戦争が回避できたのは、ソ連のフルシチョフが冷静な人間だったからだと思います。しかし、このような発言すらも、かつてはするのが怖いような時代がありました。イデオロギーで対立をする人たちがたくさんいたからです。異常な時代でした。

対立的にものを考える人はとても単純です。自分と意見が違うというだけで、相手がどんな人間かなど考えもせずに、すぐに全面批判に転じます。

そういう脳の回路を常に鍛えているのです。反射的に嫌悪感をもち反論し、軽蔑します。本人は無自覚です。

そして、自己を疑うことはしません。そういう迷いのない人たちによって、有益な議論や意見は封殺されてきました。議論とは《違う意見を戦わせること》です。しかし、多くの場合、議論以前に、相手の人格批判に移ってしまうのです。そして、一度思い込んだら自分を正当化するための勉強しかしません。

冷静な議論ができなかったので、原発は「安全」か「危険」かのどちらかの極論でしか語れなくなり、お互いに聞く耳をもたず、着地点を見つけて問題解決をすることができずに突っ走って来ました。しかし、それは仕組まれた構造です。情報操作によって対立を作って、そこに人々を誘導したのです。

民主党政権になって、鳩山前首相が沖縄の基地問題に踏み込んだ時の、アメリカの怒りはすさまじいものでした。たぶん、アメリカにとってはあってはならないことだったのでしょう。
 
私はアメリカの日本に対する態度のなかにも、このごろ「恐怖」のようなものが見てとれるのです。思い込みかもしれません。でも、もしかしたらアメリカは日本人が怖いんじゃないか……と感じる時があります。

もし、日本人が一斉に、あの原爆投下の現実を、夢から覚めて認識し、なんてひどいことをしたんだ、という世論がわきあがったら……、アメリカはそれに対してどういう言い逃れができるんでしょうか。

長崎においての原爆投下は、必要ありませんでした。広島に落とされた原爆のダメージだけで十分、日本は全面降伏したはずです。しかし、長崎にも落とした。しかも、長崎の原爆は教会の真上に落ちたのです。アメリカ国民の多くは敬虔なプロテスタントです。キリスト教徒です。アメリカは長崎に落ちた原爆が教会を破壊し、たくさんのキリスト教信者の命を奪った事実を隠ぺいしました。

破壊された教会は、原爆ドームのように遺産として残そうと考えられていました。ですが、戦後に長崎市長をアメリカに招待し、市長を説得することによって破壊された教会の瓦礫を撤去させてしまい、新たな教会の建築のためにとある財団から寄付をさせ、破壊の事実を過去に残させないように画策したのです。ですから、長崎には原爆ドームのような世界遺産は生まれませんでした。

常に原爆の罪を隠してきました。そのために原子力という虚構の夢まで作り上げました。しかし、それが崩壊しました。アメリカは自分に矛先が向かない方向を必死で考えています。怖いからです。

アメリカは日本の同盟国です。日本にはアメリカ軍の基地があり、安全保障条約によってアメリカの傘下に入ることで、日本の安全を保障されていることになっています。その安全とは、近隣の他国からの侵入や攻撃に備えた安全です。

私には、自分がアメリカによってどういう安全を保障され、いま生きているのかがよくわかりません。国防の専門家の方たちは「アメリカ軍が撤退したら大変だ!」と言います。そうなのかもしれません。

ただ、これまでの日本における「核」にまつわる歴史的な出来事を追っていくと、いつもアメリカという国の影がついてまわり、そして、アメリカはなんとか「原爆を落とした罪」を日本人から問われないようにするために、必死になって情報を操作し続けてきたように見えます。

それは、一つには恐怖。もう一つは国益のためです。日本人がアメリカに対して「悪意」をもつことは、アメリカにとってほんとうに都合が悪いことだったのです。だから限りなく内政干渉を続け、脅しながら日本の政治を操作し続けてきました。そして、それはわりあいと、奇跡的に、うまくいっていたのです。

うまくいっていた……というのは、その関係が日本にとっても国益に結びつくものだったからだと思います。アメリカ側に立つ人たちは多くの利益を得ていたでしょうし、日本は朝鮮戦争やベトナム戦争など、アメリカがアジアで戦争するたびに内需拡大して、豊かになっていったからです。

そして豊かになればなるほど、反米思想は「社会主義思想」と結びついて、イデオロギーの対立構造に単純化することで封殺されてきました。

「アメリカに刃向かう奴は、みんなアカだ」みたいな風潮はずいぶん長いこと日本人を洗脳してきました。これでは、アメリカ批判がまったくできません。メディアも人民も完全な思考停止状態に置かれたのです。

私は、高度成長期に育ち、バブル経済を経験した世代です。資本主義が大好きで、おいしい生活が大好きで、贅沢を夢見て育ち、アメリカンドリームという言葉に憧れた世代です。ですから、自分のことを振り返れば単純なアメリカ批判はできません。私は経済成長のなかで裕福さを得られることを目的に働いてきたのです。

でも50歳を過ぎて、この50年の歴史を自分の体験と照らし合わせながら振り返ることができるようになったとき、いままで見えていなかったことが、見えるようになってきました。だからそのことを若い世代の人たちには、率直に伝えなければいけないだろうと思っています。

単純な善悪では語れない。それが歴史です。だから新しい事実を知ったとしても、すぐに極端な考えに走らないでください。過去に起こったことはなにが本当でなにが嘘かわからないのです。

いま真実と言われていることも、百年後には嘘になっているかもしれません。

ですが、ぼんやりと、大ざっぱにでよいから「戦後から今までに何が起こったのか?」について考えてみることは大切です。いま、よじれてしまっているその原因の大もとがなんなのか、考えてみることはとても興味深いです。

キューバ危機、この歴史的な大事件の時に、ほんとうに世界は核戦争の恐怖に陥ったんです。そのリアリティは失われましたが、関連する本を読めば、どいう不可思議な出来事がその時に起こっていたかわかるでしょう。それを、たぶん若い人たちは「信じられない、ばかばかしい、漫画みたいだ」と思うのではないでしょうか。

世界がものすごく核に対してヒステリックになり、アメリカが核実験を繰り返しいた時代に、日本は原発を作り続けていました。

アメリカの原子力使節団の「全く安全で人畜無害なクリーンエネルギー」という大宣伝によって、原子力政策は実行されてきたのです。

でも、経済復興は潜在的に日本人が望んでいたことだったら、あっさりと洗脳されたのだと思います。どんな人間も深く傷つき悲しみのなかで永遠に生き続けることは望みません。豊かで幸せになりたいのはあたりまえの心情です。敗戦後の日本人がそこにつけこまれたのは悲しいことですが、それほど人々は傷ついていたのです。そして戦争や原爆の悪夢から目覚め、未来に向いたいと願ったと思います。

いま、また同じ状況にあります。深く傷つき悲しみを経験した人は、立ち上がり新しい夢をもちたい。当然です。そのとき、夢を提供しようとして、甘い言葉で寄ってくる「親善使節」には注意しなければならないのです。

私はいまも、学校教育で「現代史」が、あまりきっちりと教えられてないことに危機感を覚えます。すでに21世紀です。米ソの対立から、世界は多極化に向っています。だからこそ、鳩山総理が掲げた日本がアジア諸国と共栄圏を作るような構想はアメリカにとっては驚異でした。

アメリカには、ずっと戦争をし、核を作り、人を殺してきた歴史があります。最近も大統領の命で暗殺が行われました。強さを売りにしていたのですから、それを失うことがいかに恐ろしいことか、それは日本のような弱い辺境の民族には想像できないかもしれません。

しかし、いま、まさにアメリカ人の精神病理を理解して、適切に距離を取りつつ対応しなければいけない時期なのでしょう。反発したり、恐れるばかりではなく理解することが必要かもしれません。

地球規模での民族問題、環境問題に、先進国は対立を越えて協力しあわなければ人類の存続が危ぶまれるような時代になりました。日本はこの度の事故により、放射能汚染という意味で地球規模の汚染の責任を担う立場になりました。

そのような中にあって、日本という枠組みだけではなく、世界のなかの一人として、歴史の問題を高い視点から見つめ、物事を発想していく教育が必要だと思うのですが、それが行われていないことは、私のような大人の責任であります。

私は日本人や国家という意識をもつことを否定しません。でも、それだけでは足りないと思っています。自分が何者かは、関係性のなかで流動的に変化します。それを理解しないと、常に善悪という対立構造に巻き込まれ、気がつかないうちに己の首を絞めていることになりかねないからです。

個人が複雑な国際情勢を分析することは難しい。私にもできません。でも、一つの道筋として、これまで何が起こってきたのかを知ることは、自分で考えていく指針になると思います。なぜなら、歴史には善悪がありません。因果があるだけなのです。

原因があるから今がある。だから、今を生きるためには、歴史を知ることがとても大切だと思っているのです。行動がどんな結果をもたらすのかということも、時を経てみなければわからない。その、歴史という時の流れの前に立つと、どうしようもなく謙虚になれると思うのです。

この大転換の時代、極端で扇情的な意見を述べる人に対しては、やや距離を置いて聞いてみることが大切だと思います。極論に走ることで私たちが歴史的にどのような選択をしてきたかを、私も日々、本を読み、考えています。

以下の文章も参考にしてください。

平田オリザさんの発言について

対立について考えてみよう
無自覚だけどわかりにくいこと
by flammableskirt | 2011-05-22 14:29

作家 田口ランディの新刊・イベント情報・近況をお知らせします。 


by flammableskirt
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31