感じる言葉
2011年 05月 17日
夕食をごいっしょして、いろいろ被災地で感じたことなどお聞きしました。藤原さんの目に見えている世界はいつも新鮮です。写真家の人たちは、言葉にとらわれない自由な目をもっているのだなと感じます。
お話を聞いていて印象に残ったことがありました。東北の話ではありません。ネットの話です。twitterの話題になったのです。藤原さんは十代の若者をたくさん取材しています。そして、こんなことをおっしゃいました。
「twitterってのは30代、40代とわりと年齢層の高い人間がやってるんだよね。若い子たちはしない。なぜかっていうと、若い子たちはネットの学校裏サイトや、携帯の掲示板でもういやってほど辛い目にあってるんだ。だから、ネットの怖さをよく知っているので、あんなに無防備にtwitterに呟いたりしないんだよ。ネットの本当の怖さを知らない世代がやっているんだ」
私は、それは、かなりズキュンときました。というのも、私が震災以降一切読むことだけに徹してブログでしか情報公開をしないのも、ネットの怖さを知っている……というのが一番の理由でした。こんな大変な時期に、うっかりしたことを、無防備に、あるい勢いで呟いたら、作家というだけで「作家ともあろう者が」とか「あなたはそれでも作家ですか」というRTがくるのはわかっていたし、それ以外にも、気力を奪われる揚げ足取りに感覚を逆なでされることも予想できたからでした。
「あなたはそれでも●●ですか?」という揶揄の仕方は、ネットではよく見かけます。「あなたはそれでも政治家ですか?」「あなたはそれでもジャーナリストですか?」。この言葉を相手に向けるとき、発している自分自身は問われません。なぜならこれは、自分が正義であることが前提の言い分なのです。そして自分が正義であると思っている人に対してもし反論すれば、対立しか起こりません。この対立はたいへん消耗します。正義はどこまでも貫けるからです。対話というのは「お互いに絶対に正しいということはない」という認識を共有していないと、議論し着地点を見つけることがなかなか困難です。
内実の伴わない虚構であっても、言葉にリアリティを感じてしまう脳を、人間は有している。それは人間の凄さであると同時に弱みにもなっているのです。
でも、十代の子たちが、そういう体験にすでにリアルにさらされている……ということは、どれほど傷ついたろうと思ったのです。五十を過ぎた人間でもそれなりのダメージを受けます。若ければ……恐怖でしょう。しかし、同時にその子たちには「言葉は虚構である」というブッダの教えを伝えてみたいとも思いました。あんがいと彼らならそれを受け入れられるかもしれない……と、思ったのでした。
世界には「言葉で語られた世界」と「言葉で語られない世界」のふたつの世界があります。それらは重なって同時に存在しています。そのことを案外と、いまの十代の子たちなら理解できるのかもしれない。そんな気がしたのでした。
今日は朝、友人の鬼丸昌也さんと電話でお話をさせていただきました。現在、陸前高田で活動している鬼丸さんが、先日、瀬戸内寂聴さんの言葉で印象に残ったことがある……と言っていました。震災前からずっと東北を回っていた瀬戸内さんは、こんなことをおっしゃっていたそうです。また聞きなので正確ではありませんが、
「東北を復興したいという願いはもちろんありますが、でも、東北はただ震災前に戻っていいものでしょうか。男の人が出稼ぎに行き、家を留守にして年に数回しか戻って来れなかった、そういう東北に戻すということが復興なんでしょうか……」
明治維新以降、東北の歴史は苦難の歴史でありました。地租改正から始まって、度重なる冷害、災害によってひたすら苦渋を強いられてきた歴史でした。中央集権体制のなかで東北は切り捨てられてきた過去があり、それが2.26事件の遠因とも言われています。
明治維新は近代国家に向けての第一歩でした。政府は日本史上始めて地税を制定しました。土地に所有権が認められ税金がかけられたのです。それによって、それまで現物支給されていた年貢は、税金として現金で収めなければならなくなりました。その税率が、非常に高かったのです。そのため税金を払えない農民が続出し、土地を手放さざるえなくなりました。そこに、冷害が襲いました。
江戸時代までは、冷害で米がとれなければ年貢は収められません。ですから、自然現象によるリスクは幕府が負っていました。そのリスクを国民が負うようになったのが、地租改正とも言えます。その変化に農家はついていけなかったのです。
だから、東北出身の宮澤賢治は農民の救済に命をかけたのです。それにはそれなりの理由があったのです。餓死したり、子どもが女の子の場合は女郎部屋に売ったりという、たいへんな時代だったのです。私はそれを調べていましたが、あまりにも東北の飢饉に関する資料が少なくて驚きました。資料がないので詳しい実態がなかなかわからない。たぶん、当時の東北の方たちは自分の生活を記述する余裕もなかったのでありましょう。この事実を知りつつ、賢治の「おっぺると像」などの童話を読むと、背筋が冷たくなるのです。
たぶん、瀬戸内寂聴さんの発言は、いろんな深い意味を含んでいるのだろうな……と思いました。