対立について考えてみよう

先日、私が書いたブログを読んだ方が、「ランディさん、日本は4回目ではなく、5回目の被曝だよ。1954年に第五福竜丸が被曝しているのだから……」
と、おっしゃいました。

そうです。確かに、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験において、付近を操業中だった第五福竜丸の乗組員の方たちが被曝しました。

被曝した方の数は少ないけれど、この被曝は核の問題を考える上でものすごく重要な事件でした。そしてまた、私たちが対立の構図のなかで原発の問題を「考えさせられてしまう」きっかけでもありました。とても複雑な問題ですが、整理して考えてみたいと思います。ひとつの見方として読んでください。

戦後、米ソの対立が激しくなるなかでアメリカは秘密裏に水爆「ブラボー」の実験を行いました。ですが、第五福竜丸の乗組員が被曝したことで、この水爆実験が世界の知るところとなったのです。被曝したのがなぜ、たまたま日本の漁船だったのか……。運命にしても過酷です。

この第五福竜丸の事件から、およそ1年と3ヶ月後に日本は「日米原子力協定」をワシントンで仮調印しました。つまり、原子力の平和利用に向けて一歩を踏みだしたのです。

これはとても変なことだなあと、思いました。日本は1945年に原爆を落とされて無条件降伏をしました。わすか9年後、1954年にビキニ環礁で日本人船員が被曝しました。この時、日本には当然、反核の声が上がりました。怒りの声です。さらに、放射能でパニックになりました。マグロから放射能が検出されたからです。

それなのに、事故から1年3ヶ月しか経っていないのに、政府はアメリカと原子力の平和利用を決定しているのです。

日本人って、そんなに心がおおらかなんでしょうか? それほど恨みや憎しみを水に流せる民族なのでしょうか。それとも、もうみんな原爆のことなど忘れたかったのでしょうか。

第五福竜丸の事件のとき、ほんとうに日本の世論は「原爆反対、核反対」だったんです。それは、当然だと思うんです。一般の人たちは「アメリカは反省していない」と思い、アメリカに対して悪い感情をもっていました。

そのとき、反米を唱える(共産主義の)人たちは、ソ連に近い日本が共産化するチャンスだと考えて、猛烈に反米、反核運動を展開しました。ここで、原子力の問題は完全にイデオロギーの対立にすり変ってしまったと言えると思います。

アメリカ側は、アジアにおいてアメリカの重要戦闘拠点と考えていた日本人の間に反米感情が起こることはとても怖かったと思います。日本の位置を見てもわかるように、日本は極東の島国で陸続きではない。軍事拠点として非常に使い勝手がよいのです。

ですから、日本が自由主義であることはアメリカにとっては絶対に必要なことでした。ただ、原爆を落とされた日本人がアメリカに対して怒りをもっていることもわかっていました。その怒りが、第五福竜丸の事件で噴出することを恐れたアメリカは、日本のメディアを巻き込んだ情報操作を行うのです。

日本の経済人もまた、自由主義でいたかったのです。東西の対立と言われるなかで東側に位置する日本が自由主義を選んでアメリカ側についたのは、アメリカの強い支配もありますが、なにより日本国民の多くが自由を望んだからだと思います。豊かになりたいと望んだからだと思います。

日本は戦後に経済復興して豊かになりたかった。自由主義のなかで、商売をして、金もうけをして、戦後の焼け野原の生活から脱却したかった。私の父がそう言いました。母もそう言いました。ほんとうにそうだったんでしょう。

だから私が生まれた頃から高度経済成長が始まり、私の家は裕福ではなかったけれど食べるものがない……ということはありませんでした。当時の日本の経済人たちが「産業を発達させるには新しいエネルギーが必要だし、アメリカの関係を保たなければいけない」と考えたこともわかります。

でも、アメリカにはもっと大きな「世界の覇権を取る」というもくろみがあり、日本もその目的のためのひとつの駒に過ぎなかったと思うし、今もそうでありましょう。

日本に原子力発電を作ったのは、正力松太郎という政治家で、彼はもともと讀売新聞の社長でした。この人は、日本で初めて民営のテレビ局を作った人でもありました。正力さんは、第五福竜丸が水爆実験によって被曝したとき、日本が反米に傾くことを危惧しました。アメリカと仲良くしなければ経済的な繁栄はありえないと考えたのです。それは正しい判断だったと思います。

そして、日本がもっと成長するためにエネルギーが必要だとして、日本政府の後ろ盾のもとにテレビと新聞を使った一大キャンペーンを展開します。

何度も、繰り返し、新聞で原子力の必要性を訴え続けます。同時に、原子力に反対している著名人、学者の思想の傾向を調べ、さまざまな方法で、反米の人たちにプレッシャーを加えます。いわゆるパワーハラスメントが暗黙裏で行われたのです。

ちょうどあさってにあたる1955年の5月8日、アメリカから「原子力平和使節団」が来日し、この官民米が一体となった「原子力平和利用の推進運動」によって、「原子力反対」の世論はみるみる小さくなっていきます。

激しい核アレルギーが、一転して、原子力平和利用万歳……という世論に、わずか1年でひっくり返ったことを、私たちはよく知っておかなければいけないと思います。今の私たちには信じられませんが、興奮していると人間は思考機能が低下するのです。(だから私たちは最悪の時期に統一地方選挙をしたと思います)

一斉に皆が動くとき、多くの人は考えをもっていません。先導する誰かにくっついているのです。そして、それを自分の正義と勘違いしてしまいます。考えるとは、悩むことです。悩まないで結論が出せる簡単な問題ではないのです。

エネルギーは必要でした。日本には資源がありません。それを指摘され、原子力への不安と反発が、エネルギーと平和と安全という言葉によって逆方向へジャンプする。さらに反対する人たちを反米と位置づけ、対立の構造を作ったことで、人々は考えを停止して感情論で意見を決めたのです。そこに、多様な議論は生まれ難くなります。

原子力の安全性の問題を議論しようとしても、それを発言すると「オマエは反対なのだな、じゃあ反米だ」というふうに、レッテルを貼られてしまうのです。

対立の構造には、漁夫の利を狙っている誰かがいるかもしれない、と考えた人はいませんでした。いたとしても国とメディアの共同戦線の前に黙るしかなかったと思います。

当時の讀売新聞には「明日では遅すぎる原子力平和利用」「謎も不安もない」
「野獣も飼いならせば家畜」という見出しが躍りました。なかなかすごいコピーです。でもまあ、いまでもスポーツ紙ならこれくらいの過激なコピーが出ますよね。

こんなふうにして、原子力は日本に導入されましたから「平和で安全」でなければ困るので、危険性の検証はされにくくなりました。問題が発生するたびに「おいおい、安全だって言ったじゃないか!」と避難の声が上がるので、危険を公表しない隠ぺい体質ができ上がりました。

原発で事故が起こるたびに、政府は電力会社を叱っていました。
「困るじゃないか、なんとかしろ」そして、対策と称して膨大な報告書が、行政から現場に課せられ、それによって事務処理の作業量が増し、現場の作業員の方にプレッシャーがかかっていきました。

最初が間違っていたのです。安全か危険か、どんなリスクがあるのかの議論が不十分でした。それは対立構造を作って、強引に推進したことの代償です。

リスクのあることを合意の上で導入していたら、危機管理はもっともっと徹底されたかもしれません。仮定なので、なんともいえませんが、私はそう思います。

メディアの「野獣も飼いならせば家畜」という言葉を、信じてはいけなかったのです。だからと言って、むやみに反対し、反核を叫びアメリカとの関係を悪くしても日本は苦しんだでしょう。

冷静な議論が足りませんでした。

これらの出来事は私が生まれる前に起こりました。私は1959年生まれです。
東海村の原子炉が出来たのが1957年ですから、生まれた時にすでに原子力がありました。そういう世代です。

生まれた時にすでにあるものを、疑わないで大きくなりました。私が中学校の頃、歴史の授業は縄文時代から始り、現代史はものすごい勢いで駆け抜けていき、明治維新以降、特に第一次世界大戦以降、どんなことが起こったのか、学校の授業で議論した記憶がありません。

小学生の頃に、全学連という人たちが機動隊と衝突している映像をテレビで何度も見ました。でも、なぜあの学生さんたちが安保に反対してあんなに怒っているのかわからなかったし、赤軍派という人たちがどうして爆弾を作ったり、お互いを殺し合ったりしているのかもぜんぜんわかりませんでした。

私の親もそれを説明するほど学がありませんでした。

高校生の時に、日本が北朝鮮と国交がないということを知り、それはなぜだろう?と疑問に思い、調べたことがあります。そのときに初めて、日本と韓国の歴史について知り、ものすごくびっくりしたのでした。

でも、歴史など学ばなくても生きるには困りませんでした。日本はすばらしい成長を遂げていて、世界でも有数の経済大国に成長していましたし、疑問などもたなくても全く問題なかったんです。

私が問題意識……というものをもったのは、バブル崩壊と兄の自殺と阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件がほぼ同時に起こった頃からでしょうか。その後、子どもを生み、水俣病と関わるようになり、さらに2001年の9.11事件があって、いったい世の中はどうしてこうなったのか……と、自分から考えるようになった。まったく、お恥ずかしいですが、そういう程度です。

ですから若い方々が、歴史や社会問題に興味がもてない、ましてや政治や国際情勢など、どうも苦手というのはとてもよくわかります。自分がそうでしたから、人をとやかくいう気にはなれません。

でも、先に生きている大人として、わかっていることは伝えなくてはいけないなあ、それも、なるべく偏りのない言葉で、伝えていかなくてはいけないと思って、3.11以降、ブログを「伝えたいこと」というタイトルに変えました。

いまや、ソ連も崩壊し、世界は多極化しているといいます。東西の対立の時代は終わりました。そして、次の世界情勢はとても不確定です。中東では民衆による革命が次々と起こりました。

人々が変わりたいのは、貧しさから抜けたいがためです。勉学の機会を平等に与えられ、働いて、一家が暮らしていける、そういう人間としてあたりまえの生活を望むからです。それが民主化、自由化への希望になります。

日本はもうすでにそれを成し遂げた国です。アジアの敗戦国でしたが先進国として世界経済をリードしてきました。そして、人口の減少と少子化という、先進国が直面する黄昏の時期を迎えています。

たぶん、いまもこの日本の災害によって日本がどう動くかをじっと眺め、それを操作しようとしている誰かがいるかもしれません。日本人が、目的はなんであれ、使命を与えられたらそれに一生懸命になることが美徳だと考える民族であることを、世界は知っています。

対立の構図が出来たら、疑うほうがいい。その対立を仕組んでいる人がいるはかもしれません。対立しなくても、物事を解決できる。その方法を自分たちで見つけださない限り、仕組まれたシナリオに騙されて、また思考停止のままに新しい選択を、させられてしまうかもしれません。

対立は楽なのです。自分の言いたいことだけ言って相手の意見には耳を塞げばいいのですから。そして最後は数で押し通せばいいのです。議論は時間がかかるし、ややこしいし、めんどくさいし、なにより他人に説得されなければなりません。正しいと思っている人にとって、これほどの苦痛はないのです。

平和も正義も安全も、必ず宣伝に使われる言葉です。
そこに実態はありません。抽象的な名詞です。実態のない言葉はどのようにも利用されがちです。言葉がいつもなにかの目的や文脈によって歪められていることを、知ることはとても大切です。そしてまた、自分が自分の使う言葉によって「コントロール」されていることも自覚する必要があります。自分の使う言葉が自分の考えとなっていくのです。はじめに言葉ありき、なのです。

つづく

平田オリザさんの発言について
アメリカの不安について
by flammableskirt | 2011-05-06 16:24

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