無自覚でわかりにくいこと
2011年 05月 04日
そのなかで、高村さんが「原発の問題がイデオロギーの対立に使われた」ということをおっしゃっていました。そのことは、私も原爆の取材をしながら考えていたことだったのです。
高村さんのおっしゃっていることと、私が感じていることは、もしかしたら違うかもしれないけれど、この問題について自分なりに整理してみようと思いました。
福島原発事故……は、私たち日本人にとって四回目の被曝です。一回~二回は1945年、第二次世界大戦において広島、長崎への原爆投下による被曝、3回目は1999年の東海村におけるJOC臨界事故による被曝、そして4回目が今回です。
私は1999年の東海村の事故をきっかけに、核というテーマに興味をもって広島と長崎を取材してきました。そして、不思議に思ったことがありました。ほんとうに素朴な疑問でした。
日本は世界で唯一、原子爆弾を落とされた国です。しかも二回もです。一瞬にして十数万人の人が死に、その後に残された方も被曝によって命を失っていきました。この事実を私たちは教育され、脳にたたき込まれてきたはずです。
日本はアメリカとは同盟国です。でも、それはそれとして、どうして日本はアメリカに対して正式に「無警告原爆投下」という、戦争状況の中でも逸脱した非人間的な行為に対して、謝罪と反省を求めないのだろう、と思ったのです。
日本が真珠湾に奇襲攻撃をかけたことが引きがねだ、というアメリカ側の主張があります。私は奇襲攻撃と原爆投下は並列で語れない問題だと思っています。たとえ戦時中であったとしても「原爆投下」は住民に予告し、住民を避難させるべきでした。住民が従わなかったとしても、一般人の被害を最小限に食い止めるための努力をすべきでした。
アメリカの科学者の間でも「無警告原爆投下だけは止めるべき」という嘆願書まで上がっていたのに、合衆国政府はそれを無視しました。
原爆の記憶を伝承しろと国は言うけれども、なぜ、この出来事を「記憶」だけに留めて、国としては動かないのか。それに対してあまり疑問も起こらない。そのことが、ほんとうに自分でも不思議に思ったのです。反核行動をしている人たちは、圧倒的に少数でした。直接被害を受けていない人たちは「しかたがないこと」として受け止めているように感じました。
取材している私も、正直なところ「反核」には関わりたくありませんでした。なぜ? と、そういう自分自身に疑問が生じました。どうしても反核運動に対して積極的になれません、気が重いのです。
毎年八月が近くなると「核廃絶」というプラカードを持って、平和運動に参加している人たちがデモ行進を行ったりします。それは知っています。でも、私はその人たちに少し冷淡でした。
「あの人たちの運動は、なんだかダサい感じがする」という、妙な距離を置いて見ていました。その原因はどこにあったのか……と、自分の心を過去まで遡ってみますと、ある時期、大人から「あれはアカだから」「だってあの人、アカでしょう」と言われた記憶と結びつきました。
私は全共闘世代よりも下の世代で、ノンポリで政治にはまったく疎い、どこにでもいる知識のない若い女でしたが、そのぶんだけ人の陰口とか悪口、あるいはその人がなにを嫌っているか……というのには敏感でした。
どうやら私のなかには、いつのまにか無自覚に、社会主義系の人は苦手とか、平和運動をしている人は思想的に怪しいとか、思想に洗脳されているとか、そういう思い込みのようなものが巣くっていたと思います。そして、そのことにまったく無自覚だったのです。
戦後の歴史を勉強し直して驚きました。第二次世界大戦が終ってから、米ソの対立が起こります。冷たい戦争と言われていましたが、冷たくなんてありません。熱い戦争が繰り広げられました。アメリカにおいて、まるで不安によるヒステリーのような、ものすごい共産主義者の弾圧が起こりました。共産主義という疑いをかけられただけで、職を失った人がたくさんいるのです。
その弾圧の波は、当然ながらアメリカに占領されアメリカによって民主化を促された日本にも及んできました。それは当然でしょう。私はその時代を生きていないので、その時代の雰囲気がわかりませんでした。
でも、本を読んで史実を調べていくうちに、なぜか「反核」というものがうまく社会主義と結びつけられて、押さえ込まれていたのではないか……という疑問をもちました。
アメリカは日本に原爆を落としました。それはひどい行為です。だから日本人の怒りをなんとか核に向けたくない。できれば原爆とアメリカを関連づけたくなかったと思います。当然です。
日本の多くの国民は「反核」だったと思います。心は当然そうでしょう。でも、どうも「反核」を叫ぶと……主義っぽく見られる傾向があることを察知していたように思うのです。この私ですら、なんとなくそのイメージがあるのです。これはもしかしたら、戦後に仕組まれた巧妙な情報操作ではなかったか?と思いました。
社会主義の人たちが、アメリカを敵に回して反核を叫べば叫ぶほど、アメリカにとっても、アメリカを支持する政府にとっても好都合だったかもしれないと思うようになりました。そうすることで、反核=社会主義というイメージができれば、国民は無意識にそこから目をそらすと考えた……のではないかと。
その流れが、そのまま原子力の問題に引き継がれてきました。原子力は第二次世界大戦にユダヤ人亡命科学者たちによって生み出され、アメリカ合衆国によって育てられ、日本においてその威力が証明されました。
原子炉の技術はアメリカがもっていました。戦後、アメリカは核の技術を平和利用という名目でビジネスにしたのです。いくら平和利用と言っても、その構造は原爆と同じです。安易に利益の手段とするよりも、もっと原子力の使用について制約を与える世界協定を作るべきでしたし、そういう声も科学者から上がりましたが、無視されました。
核拡散と原子力によって核燃料の争奪合戦が起こり、資源産国の人民を巻き込んでいきました。
驚くべき勢いで原子力工学が進み、原子力発電所は実用化されました。そしてアメリカの後押しがあって日本も原子力エネルギーの使用を国策としたのです。
原爆を落とされた、被爆国である日本が原子力に踏みだす時には、もっと国民からアレルギー的な反応が出ても良さそうなものだったと思います。しかし、原発にはもちろん反対意見もありましたが、それは、おおむね社会主義者の言い分であろうとやんわり封殺されて、経済のさらなる発展のために推奨されてきたのです。
原発に反対すると、それだけで「社会主義っぽい」と思われるような風潮が出来てしまいました。私はそれを意識したことはありませんが、でも、その雰囲気を薄々と感じ取っていました。だから……というわけではないけれど、あまり大きな声で反原発というと、なんだか政治的な偏りのある人間だと思われそうだな……と感じていたのです。
自分としては政治的な思想というのは特にありません。ただ素直に、原爆を落としたアメリカは反省してほしい。原子力も原発も原理は同じなのだから、平和利用と兵器に分けるのは無理があると思っていました。核の抑止には、原発の抑止も含まれるはずなのです。戦後にそれを叫んだ科学者もいたのです。
でも、それを言うと「あ、反原発なんだ? へー反核なんだ?」と、ちょっと引いた目で見られてしまうのを感じました。それは、雰囲気ですが、暗黙のうちにそのムードを察する私は、あまり大きな声で言うのは止めておこう……と、思っていました。
ほんとうに長いこと無自覚でした。意識したこともありませんでした。だけど、この10年、原爆の取材をしてきて、日本人が、あまりにアメリカに対して何も言わず、また、反核や反原発の運動にも、心では拍手を送っているのに、表だってそれに参加することを躊躇することの遠因に、戦後の「共産主義者への弾圧」という歴史が影を落としているんじゃないか……と思うようになりました。
そして、それはたぶん、アメリカにとってとても都合のよいことなのだろうなあと思えたのです。
チェルノブイリの事故が起こった時。まだウクライナはソ連でした。ソ連崩壊したのは、確か事故から五年後だったと思います。あのとき、私はもう二十代でしたので、東京では反原発の集会が開かれて私もそこに参加したことを覚えています。
あれだけの大きな事故が起こったのだから、人々が反原発に傾くのは当然です。広瀬隆さんの「東京に原発を」がベストセラーになり、私も買いました。反原発新聞も購読しました。
でも、あのとき盛り上がった反原発の波は、いつのまにか消えてしまったのです。ちょうど時代はバブル景気を迎えつつありました。ソ連は崩壊しました。やっぱり資本主義だ。日本は本当に景気がよくて、省エネなんて一時のこと。ビルがどんどん建って、みんな夜中まで踊って、一晩中電気が点いていました。消費社会はピークを迎え、そういう時代になかで反原発を唱える人は、資本主義に反論する人……、つまり、社会主義的な考えの人だと、また思われるようになった……と感じます。
でも、これって巧妙なトリックだったんじゃないか。反核や、反原発と社会主義を結びつけてしまうことで、人々の関心がアメリカ批判には向きませんでした。反対=社会主義 賛成=資本主義 そんな対立の構図のなかで原発は、圧倒的に優性な自民党支持とともにどんどん増えていきました。
私にとって決定的だったのは、小泉元総理が北朝鮮に行って、拉致被害者の方々を連れ戻して来たことです。この時、社会党も共産党もほんとうに無力に見えました。だらしないなあと思いました。その人たちがいくら「反核」「反原発」と言っても、ちっとも信頼できなくなってしまったのです。
私は完全に、作られた対立の構図のなかで問題を履き違えていました。
政治的な主義はいろんな場面で利用されます。でも、それは巧妙に操作されるので、なかなか気がつくことができません。私は無自覚に、ある部分に触るのを避けてきました。とても大事なこと。核の問題。そこに触ると思想がからんで、めんどくさいことになりそうだから、声に出しませんでした。だって、からまれるのなんかイヤです。私はノンポリなんです。
だけど、多くの人がきっと私と同じだったのかもしれないと思い、これを書いています。みんな自覚できないけれど、なんとなく触れたくないものがあった。だから、それをやんわりと避けた。その結果として、もしかしたら今の状況があるのかもしれないです。
これからのことは読んだ方が考えてください。これ以上、核や原発の問題に突っ込んでいくと、どうしてもまたイデオロギーの対立に引きずり込まれるのです。それはとても消耗することです。私は他者を変えようとは思っていません。自分がどうするか、だけを考えています。そして、自分の思いだけを書いています。
つづく
↓
さらに、対立について考えてみよう
平田オリザさんの発言について
アメリカの不安について

