生命と放射性物質

フジテレビの報道番組を観ていたら、コメンテーターとして東工大の澤田さんが出演していた。原子力円卓会議を企画なさっている。何度かお会いして意見交換をさせてもらった。わかりやすい説明を歯に衣着せずに率直に答えてくれる方だ。

福島原発の一号機に続き三号機の内部の温度が上昇。それを受けて再び枝野官房長官が会見を開いた。被曝の問題が改めて話題になっていた。日本は「被爆国」であると言われてきたが、被曝について一般の人はほとんど知らないだろう。被曝というとイメージ先行、恐怖とおどろおどろしいイメージが浮かぶのではないか。「被曝」はまだわからないことが多い。どのような影響を生物に与えるのか、わかっている人はいない。わからないこととどう向き合っていくのか、それが私たち現代人はとても下手だ。科学でなんでも説明できると思い込まされているからだと思う。
原爆や原発の構造は科学で説明できる。

問題は被曝は人間という生命体にかかわっているということだ。

生命は謎なのである。人間の人体を腑分けして区分することはできた。だが、それらが細胞レベル、遺伝子レベルまでどのようにかかわりあって人間という生命体を構成して「生きている」という神秘の状態を維持し続けているのかはまだ謎なのである。生命というのは、自己創造し与えられた情報を選択しながら生きている。不確定であり、個別である。その生命体に放射性物質がどう影響するかは、機械の構造を分析するように説明できないのである。そんなことはあたりまえなのだが、このあたりまえのことが、あたりまえと思えないのは、私たちが生命を機械のように考える癖をつけてしまったかもしれない。

それゆえ放射能が生命に与える影響も、単純には説明できない。しかし、影響はある。ただ、証明というような科学的考え方でそこにアプローチしようとすると、どうしても「ここからが被曝」というふうに、どこかで線引きし、生命を生命として見ない方向での問題解決に向かってしまう。
それが被曝や水俣病の問題を長引かせ、被害者救済を遅らせてしまった要因のひとつだと思う。

だがやはり、その言語パターン、ステレオタイプの発想から抜けるのはほんとうに難しいことなのだと、テレビを観ていて感じるのだった。
by flammableskirt | 2011-03-13 16:27

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