言葉がわく

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友人の大学教授に今月号の「風の旅人」をお送りしたら、「とてつもなく暗くて重い雑誌ですね。私は好きですが……」という返事が来た。とてもつもなく暗くて重いものは、たぶんあまり必要とされていないのだろうか。むずかしいものや、過剰なものも排除されているような気がしないでもない。

このあいだ、ふと、こてこての全共闘世代だった友人を思いだした。彼はとうに酒を飲みすぎて半身不随になり死んだのだが、その彼のことを思いだして「そういえば、ああいう男は消えたな」と、ふと淋しくなった。

私は全共闘の次の世代であり、新人類になれなかった中途半端1959年生まれである。偏差値もセンター試験も知らない。だが、安田講堂も知らない。上と下に個性的な世代がいるため没個性と言われていた年代だ。

学生運動など全く理解できなかったし、いまもしていないが、なんだかあの世代の男を懐かしく思いだす。どうしてかな。理屈っぽくて、うっとおしくて、不器用で、バカだと思っていたが、そういう人間があまりに減ってしまうとどうにもバランスが悪い気がしてくる。

「風の旅人」はかなり異色の雑誌だと思う。私が雑誌で連載というものをもっているのは、唯一、この「風の旅人」だけだ。かれこれ4年になるだろうか。連載嫌いが続けている唯一の連載。なぜなら、「風の旅人」には、どんなテーマでも、書きたいだけ書けるのだ。いや、制限はあるにはあるが、でも、そうとうオーバーしてもなんとかしてくれるし、それに、この雑誌の他の執筆者の原稿を読むと「やられた……」と思う。それくらい、暗くて、重くて、真面目で、しかも新しい。見知らぬ若手の写真家の文章の瑞々しさにはっとする。

それに、写真だ。写真を見ていると言葉がわいてくる。不思議な感覚だ。
言葉がわく……という、この感覚を失ったら私は終わりだ。
言葉は、わくものだ。身体の奥底からわいてくるものだ。

写真でも、人物でも、風景でもいい。
言葉がわく対象と出会うことは喜びだ。

「二十世紀というどぶ河の淵に立って」という文章を書いた。
一人の写真家にインスパイアされた。森永純。
この人の写真を見ると、ぶくぶくと、わいてくる。
だが、その言葉は簡単に言葉にならない。
言葉以前のものとしてわいてくる。でもそれは確かに言葉の種子だ。
言葉の卵だ。
写真という射精により、なにかを受精し、言葉を産卵する。
そんな気持ちになる。

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by flammableskirt | 2011-02-18 14:17

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