小さなゆらぎ

 ゆうべ、NHKの「清算の行方〜諌早湾開拓事業の軌跡」を見た。
 日本列島改造論の時代に再浮上じた開拓事業は漁民の反対を押し切る形で実行されたけれども、開拓事業の後に付近の海に出る影響は科学者たちによって指摘されていたことを知った。
 その調査報告書を改ざんし「影響は少なく被害は出ない」として漁協を説得し、事業を決行した当時の行政の強気と傲慢。
 時代は高度成長のまっただ中。行政側は話しあう気もなければ、計画を止める気もない。開拓事業のシナリオは出来ており、一度決められたことは覆らない。国はお金をばらまいて住民を賛成派と反対派に二分し、住民同士を対立に追い込み疲弊させる。そういうことが、日本中で起こってきた。そして、民主党政権になって公共事業見直しの公約が掲げられたものの、ねじれきってしまった現実は元には戻らない。
 海を失った漁民の方たち、そしてもし水門が開かれれば今度は開拓地に入植して耕した農地を失うかもしれない農民の方たち。両者が真っ向から対立している映像は、やるせなかった。なぜこんな対立が生まれるのか。一人の男性の言葉が印象的だった。「自民党とか社民党とか、そんなこと関係ないんだ。俺達はここで生きているんだ。そのことを考えてくれ」

 対話の研究会をしている。まだやっと三回目、始まったばかりだが、きっかけは「原子力」と「水俣病」に関わったことだった。新しい技術、社会にとって有益で、経済を潤すとされる新技術は「それが国益となる」という理由で行政から保護され、地域住民の反対を押しつぶして遂行されてきた。
 その構造は諌早湾の開拓事情と相似形だ。原子力は業者の言うところの「クリーンエネルギー」を。水俣病は高度成長に不可欠だったプラスチックなどの化学製品を生みだして社会に貢献したが、その一方で地域住民、生物つまり生命に関わる大問題が起こった。
 その解決をめぐって地元住民だけでなく、外部の支援者も加わっての賛成派と反対派が対立し、長い年月のなかで地域に深い亀裂が生まれ、人は年をとり人間関係や家や仕事を失っていく。
 こうした問題のための「対話」の場はどのように作ることが可能か。それを若い人たちと考えていきたいと思って始めたのだが、ゆうべの番組を観るとその難しさにがく然とする。

 一方でエジプトへ、北米へと革命の波が広がっている。アメリカの覇権によって指示されていた政府が壊れ、民主主義という名の内政干渉がどんどん暴露され、世界が変ろうとしていることを感じる。

 そして鳥インフルエンザは猛威をふるう。大規模養鶏によって効率的に生産されていた卵は、いつも安価で手に入った。それはほんとうに一般家庭にとってはありがたいことだった。私も、卵は生命そのものであるのにどうしてこんなに安いんだろう……と、買い物をするときに不思議に思うことがあった。それは「養鶏」という事業をシステム化し効率化することによって得られた恩恵だったのだということを、鳥インフルエンザが発生すると痛感するのだ。小規模の養鶏が多数あれば、被害はこれほど甚大にはならない。大規模化し、一括管理すれば効率はいいけれどリスクも生じる。問題が起こった時のリスクは甚大となる。

 日本の農業が衰退したのは、大規模農業に移行できなかったからだという説を聞いたことがあった。ずいぶん前にとある政治家と話をしていた時だ。農業を救うには大規模農業へと移行させるべきだと彼は言った。
 日本の農業が小規模なのは、明治維新まで遡る。
 明治政府は地租改正を行い、それまで農家が年貢をして収めていたものを「税金」つまり現金で収めさせるようにした。資本主義の始まりである。土地も個人が所有しそこに税金がかかるようになったのだが、その土地への税金が驚くべく高かった。もちろんそんな高い税金をいきなり農家は払えないゆえ、土地を手放し小作人となった。
 徳川幕府の時代は年貢だから気象変動が起これば収められない。つまり自然がもたらすリスクは幕府が負担したが、税金となれば米が取れようが取れまいが政府は税金をもらうだけ。リスクは国民負担となったのだ。
 それゆえ不作が続けば農民は困窮し子供を売り、飢えて死んでいった。それに対して無策だった政府への憤懣が、農家の次男、三男といった青年将校たちが中心になって起こした2.26事件である。
 第二次世界大戦の後、GHQはあまりの地税の高さに驚き改正するとともに、農地を農民に解放した。再び農地を手にした農家は当然ながら二度と農地を手放したいとは思わない。日本の農村地帯で米国の資本主義政策を真似て遂行する自民党が強かったのはそうした背景があってのことだ。
 そういう歴史的背景があって、日本の農家は小規模農家である。農地を細かく農家に分散したからだ。それが日本の農業の衰退のひとつの原因となったとも言われている。
 だが、長い歴史から見れば、有機農法が叫ばれる時代になって、そのような自然農法、農薬や肥料を大量投入せずに自然の力を利用して食物を栽培する方法は小規模農業のほうが向いている。日本で独自の自然農法を目指す若い農業者が生まれていることは、日本の土地がもっている潜在的なパワーの復活のように感じた。食糧危機に日本が生き残るという発想ではなく、いま日本で起こっている新しい農業の方法が、異常気象に強い作物の育成とリンクしていく、世界に貢献する技術となっていくのではないかと……。
 水俣病を原因企業であるチッソは、もともと化学肥料の会社だった。農業政策が転換し、肥料を大量に投入して多くの作物を育てるようになった明治の日本で、急成長していったのである。

 だが、それを失敗と見て、失敗をしないということが正しい道だとは思わない。生命は選択し、ダメなら別の選択をし、失敗を繰り返しながらそれによってどんどん新しく自己創造してきた存在だ。失敗をする、誤るというのは創造の原点であり、それは生命に与えられた能力である。

 五〇年、六〇年という時間の経過で見つめてみると、物事にはそう簡単に良い悪いという判断ができないことがわかる。だからと言って、今を生きている以上は、今をなんとかしたいのだが、それはそれとして、いくつかの視点をもつことは対話をすすめる上で必要だと思うようになり、いまさらのように歴史を勉強するようになったのだ。歴史的な視点というのは、対話の上で不可欠のように思えたからだ。

 殺人事件には必ず犯人がいる。でも、原発や、水俣病、諌早湾といった社会的な問題には犯人はいない。とてつもなく多くの人間が関わり、入り乱れて予測不可能な状態となって動いていく。次第にある大きな流れとなって止めることが不可能となる。私たちはみんな同じ時代を生きている。この時代にこの国に生きているというだけで、好むと好まざるとに関わらず同じ舟を動かしているのだろう。
 賛成、反対と言っても、同じようなスーパーで買ったものを食べ、電気を使い、集会に行くときは飛行機や新幹線を使い、病気になれば病院に行き、公共事業で作った施設で会議をするのだ。この滑稽で悲しくもあるような「生きている」という状況を、俯瞰する目がなければ対話は不可能だろう……。相手が自分と違うと思う以上、同じ話しあいのためのテーブルに着くことすらできない。
 だが、日々を生きるために人はみな必死で働かなければならないし、歴史を学ぶ暇もなければ、ふと自分を遠くから見る余裕すらないのが現実だ。生活者であること以上のことを人がしようと思えば、それは「根性」の領域である。ましてや問題に直面している当事者の人たちがいかにしてさらにその「根性」を絞りだすというのか。
 私が水俣病を通して学んだのは、水俣病という公害病の原点と言われた大問題に立ち向かった人たちが、いかにこの問題を通して、病気にさいなまれながら、世界を俯瞰しようとしたか。歴史と自然と人間についての思索を深めていったか、そのききしにまさる恐るべき根性である。それは私にとって「人はなぜ生きるか」という答えであり、人間の尊厳を予感される希望だった。
 いまだもって、水俣病も解決などしていないけれども、とにかく、この社会問題がとてつもなく多くの人に影響を与えたことは確かだ。

 ときどき読者の方からメールをいただく。最近も「どうにかしなければいけないと思う。このままではダメだと思うんです。田口さんはどう思われますか?」という言葉を突きつけられた。
 どうにかしなければ、と思う人に対して、私は答えをもっていない。どうにかする、しないという考え方を捨てたからだ。どうにもならない。
 だがそれを言うと「無責任だ」「いいかげんだ」と感じる人がいるらしい。それはその人は「どうにかできる」と思い込んでいるからである。そしてその「どうにか」について具体的なイメージをもっていないことがほとんどである。「どうにかする、しない」に固執することをやめてみても、たぶんその人の生活は昨日と変わらないのではないか?と思う。だが、固執したい人が多いし、そうしたい気持ちもよくわかる。
 もし「どうにかする」という具体的なイメージをもっていたとしたら、その人は思想家かあるいは社会活動家というタイプの人になっているだろう。そういう人たちは「こうしましょう!これが一番いい方法です」と言うかもしれない。
 私は懸命に世界に溢れ返る問題について答えを出して、その答えを実現しようと努力している人たちを尊敬するし、できる範囲で応援するけれども、それもまた一つの思い込みだと思っている。だから、行きすぎればまた問題を生むだろう。かといってそれを止め力はどこにもない。行くときは行くのである。
 ただ、人間が信念に対して小さく揺らいでいれば、大きなダメージは避けられるのではないかと思う。たとえば、市民の頭上に原爆投下というようなありえない事態は、避けられたのではないか……と思ってしまう。

「どうにかする」という解決方法で社会問題が完全解決されたことが、歴史的にはないと思う。問題はいつも問題を超えて存在している。数式を解くようにはいかないものだ。和解や慰謝料を解決というのなら、そうかもしれないが……。
 きっと私たちには別の思考方法があるが、それはまだ使いこなせていないのだと感じる。白黒をはっきりさせたり、科学技術で現象を解決したり、人間の都合でもってものごとを「どうにかする」という考え方に捕らわれているからかもしれない。
 解決ではない方法について思索している……と答えると「そんなこと言っていたら間に合わないでしょう」と言われることもあるが、ぜいぜいあと数十年しか生きられない私がなにに間に合うというのかな……と思う。
by flammableskirt | 2011-01-30 13:15

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