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不思議の国の「白雪姫」

■不思議の国の白雪姫
パパ・タラフマラの「白雪姫」を観て

白雪姫の童話は私のなかではエロである。
そもそもエロが好きだからなんでもそう見えてしまうのかもしれないけれど、白雪姫のエロさはハンパないと思う。森に迷い込んだちょっとおつむの足りない美少女と7人の小人たち。7人の小人がすべて老人の顔というのが本当に怖かった。あの老人たちがノータリンの美少女をペットがわりに飼育している……というイメージ。
鏡の精と呼ばれる正体不明の声は、あれはお妃の嫉妬心から聞こえる幻聴……と考えるのは、あまりに現実的すぎる。あの物語の主人公は実は鏡の精だ。この世界を破滅させようとする悪意の顕在化。美少女の死体にくちづけする王子も尋常ではない。初対面の女の死体にいきなりキスするか?ふつーしないだろう。
というわけで白雪姫に関していえば「倒錯した生と死、そして悪意の物語」として私は好きである。毒リンゴのイメージもいい。リンゴの断面は脳に似ているし、あの皮の赤と中の果肉の白は人間の体をひっくり返したみたいで不気味でいい。さあてどんなエロが展開されるのだろうか……という身勝手な期待をもって「パパ・タラフマラ」の「白雪姫」を観に行った。

白雪姫はちょっと大人になった不思議の国のアリスだった。七人の小人は森に迷い込んだカルト集団だった。お妃は千と千尋の神隠しの湯ばーばで、王子は死体愛好家だった。もちろん私にはそう見えたということだった。倒錯した世界であるけれども、私が期待しているエロはなかった。いやあったのだが、エロに対する興味の度合い、あるいは品位、あるいは認識の違いだと思う。

ともあれ私はここである一人の舞踏家の身体を絶賛する。
この人の名前は知らないが、彼女はこの「白雪姫」という舞台の中でお妃を演じていた。舞台上でのどの役者の動きもすばらしく、日々どれほどの身体の訓練、鍛練を重ねているのか、その積み重ねによってあれだけの激しい動きを軽々とこなすのか、それは想像はできるが、あえてその想像をしてわざわざ裏方を見なくても飛翔やタップを愉しめばいいじゃないか……と思うが、とにかく動きがすばらしい。
身体を鍛練することはすばらしい、だが、身体の鍛練と身体のイメージ化は違うと私は思う。身体をイメージすることは鍛練するよりも難しい、いや身体の鍛練の延長に身体のイメージ化は成立するのかな。そのへんのところはよくわからない。

お妃であり森の魔法使いであるこの役を演じている役者さんには、自分が何者であるかという役上の架空のアイデンティティが、身体を通して完全なまでに表現されており、その表現力はすでに物語として成立していた。身体が物語として非言語的に成立することはすごい。つまり彼女はいるだけで物語である。それが身体というものだろう。身体というのは「演じる」のではなく「在る」だけで物語になりうるからすごいのである。

私になにを喚起させたかというと、それは「鳥」だった。彼女はきらびやかな鳥カゴに入って現われる。そして、鳥の動きで走り回る。もちろん私にはそう見えたということだ。鳥が歩くように肩を上げ、やや前かがみにせわしなく。この姿が「湯ばーば」を想像させたのである。湯ばーばのアニマルアイデンティティも鳥だった。

人間としての動きなんて、どんなにアクロバット的だろうと、私はそれを見ていてもつまらないのである。そこに鳥を見るから不思議で楽しいのである。人間なのに鳥がいるというそのハイブリットを実現するから舞台はドリームタイムになる。この妃はそれを実現させたので、彼女が出るシーンは世界が違って見える。もちろん、私の独断であるが……。

ほんとうに残念だったのは、この「黒い鳥」が、大きく飛翔する場面がなかったことである。私は彼女の羽ばたき、それも世界を防風雨に巻き込むような羽ばたき、暗黒のような黒い翼を広げて地上を俯瞰する様を観てみたいと思い、じっとその瞬間を目を凝らして待っていたのだけれど、そういうシーンは登場しなかった。ちょっとがっかりだった……。

森の小人たちは、テレビゲームのキャラクターのようだった。それは意図してそのような、デジタルな動きをしていたのかもしれないが、身体は自分が何者であるのかをわかっていないので《演じている》ように見える。演じていいのだが、演じていては世界は夢を見ないのだ。そこに何者かとして存在しなければ、夢の時間が始まらない。そういう意味で、何者かとして存在しているのが妃だったのだ……と、いうのが私の感想である。

主人公である白雪姫は、コケティッシュでその動きも素晴らしかった。のだが、やはり不思議の国のアリスだった。アリスでもいいのだが、白雪姫が白雪姫であるために必要ななにかが足りない。近代の神話であり、そこに底通している白雪姫の白雪姫たるゆえんがある。それを私は《すべてを受け入れてしまうために犯され続ける無垢さ》であると考えていたのだが、不思議の国のアリスだったので、白雪姫は男を拒絶するし、無垢じゃなかった。

最後の展開に私は不満である。刃をふるうのが妃であるわけがない。それは王子だろう。と、思う。もちろんこれも身勝手な観客の言い分であるが……。なぜそう思うのかと言えば、妃にはあの行為に及ぶ理由がないからである。王子に蹂躙されて純潔と無垢さを失った白雪姫など、すでに魔法使いの嫉妬の対象ですらないはずだ。あるいは妃はそれを仕組んでしまうくらいの悪意もあるだろう。と、またしても妃に肩入れしてしまうのだった。
とはいえ、私がなにが不満なのかは観てみないとわからないでしょうし、白雪姫がアリスであるというのも、鳥と人間のハイブリッドな動きとはどういうものかも、観てみなければわからないでしょう? なんだそりゃ?と思ったらどうかご自分の目で確かめてみてください。イマジネーションを刺激されるすごく楽しい舞台です。

24日まで公演は続きます。
詳しくはこちら↓
『パパ・タラフマラの白雪姫〜童話シリーズ第3弾〜』
http://www.owlspot.jp/performance/110120.html
by flammableskirt | 2011-01-23 08:58