年末・雑感(2)
2010年 12月 29日
朝からひとりでテンションが上がる。
このごろよく若い頃を思いだすのだが、若い頃、私は一人でいるときはたいがいテンションが低かった。誰かといっしょにいるとハイテンションになるのだが、一人になるとがくっと落ち込む……というか、不安になる。そういう性格だった。しかし、あれはほんとうに辛かった。一人の自分が楽しめないのは淋しい。
そうだな、私は淋しかったんだな。ずっと淋しかった。なんで淋しかったかわかる。家族がいつも不幸で苦しそうだった。家族はみんな自分のことで精いっぱいだった。ひきこもりの兄、アル中の父、その二人の間でいつも脅えている母。私はみんなに笑顔で暮らしてほしかった。会うときはお互いにいたわりあって、笑いあって、愉快に過ごしたかった。みんなが苦しまない人生を願っていた。子供の頃からほんとうは家族が仲良く楽しく集える食卓を夢見ていた。せめて暴力で相手を脅したり、狂ったように酒を飲んだり、不機嫌な顔をして茶わんを投げたり、母を罵倒したりしないで、過ごしたいと思っていた。でも、それは叶えられなかった。だから、なんだか淋しかったんだろう。自分一人だけじゃ幸せになれなかった。なにかが足りないと思っていた。なにかが……。年末に実家に帰るのが怖かった。年末年始には父が酒の飲む。そして暴れる。ひともんちゃく起こる。年明け早々に泣きながら過ごすことが多かった。
いまや兄も母も父もみんな死んでしまった。みんなあの世とかに行って、肉体をもったゆえの苦しみにさいなまれることなく、穏やかに存在しているんだろう。そう確信していることの根拠はないが、そう思える。私は未熟だったがやることをやった。家族全員と死ぬ前に和解し許しあった。それが救いだ。
いまは淋しくない。一人でいることにほっとする。しょせん一人ではない。気配がある。死者たちの世界はここにある。重なって浸透して存在している。死者の沈黙は優しい。死んだ人はどんどん良い人になる。もう家族のよいところしか思いだせなくなってきた。辛い記憶は消えていく。絶対に忘れないと思っていたことをどんどん忘れていく。なんとおめでたいんだろうか。
あまりにもブッ壊れていて、誰からも理解されない人の、そのやるせなさは少しだけわかる。その狂気も、刃物のように人を傷つけてしまう感情も、抑えられない衝動も、どうしようもない苦しみも、へどが出るほどの弱さも、少しだけわかる。とても理解はできない。寄りそうことさえ難しいけれども、でも、私には確信がある。私の家族がそうであったのように、その苦しみの底には、ものすごい透明な悲しみがあり、それは人間のもつ淡い光だ。仏性というやつだ。それはある。必ずある。この世にたった一人でもそれがあると思えばあるのだ。
うーん。気持ちのいい日だ。
冬の空は彼岸の光に充ちているなあ。
もうすぐ、この年が終る。一年という命が死ぬ。私の一年も死ぬ。そして新しく生まれる。
終わりと始まりは紙一重。生と死は同じものだ。