幸せが陳腐に見える

「魔王の愛」著・宮内勝典 新潮社

私は宮内勝典さんという作家さんが好きである。好きであるのだが……。
宮内さん個人を知るまでは、ちょっと苦手まタイプの人かもなあと思っていた。宮内さんの作品に漂う真面目でペシミスティックな雰囲気が、私のようながさつなおばさんには「繊細すぎてつきあってらんないわ」的に感じられたからだろう。でも、宮内さんが小説にするテーマにはすごく魅かれる。興味をもつ範囲が自分と似ているのである。よって、本が出るたびに買う。うーん、宮内さんはこんなふうに書くわけだなと唸る。
数年前まで、私は宮内さんと一面識もなく、無責任で能天気な愛読者だった。

宮内さんは数年前に、ヴェトナムの僧侶を題材にした「焼身」という作品を書いた。
その取材のためにヴェトナムを訪れた時に、カントーという港町で一人のボート漕ぎの女性と知りあったという。そして、その女性から「あなたは日本人か? 日本人なら田口ランディを知っているか?」といきなり聞かれたそうなのである。宮内さんは、
「知っているけれども、面識はありません」と答えると、
「もし、彼女に会う機会があったら私は元気だと伝えてください」と言われたという。
誠実な宮内さんは、いつかそのことを私に伝えなければと思っていたそうだ。
で、ミクシィを通して知りあった私に、彼女の伝言を伝えてくれたのである。
そのボート漕ぎの女性は私の最初の旅行記「忘れないよ、ヴェトナム!」に登場するボート漕ぎのオウに間違いない。オウが私のことを覚えていてくれたことがすごくうれしかった。同時にオウは私と宮内さんを結びつけるという、すごいプレゼントをくれたのだ。

宮内さんの「焼身」はノンフィクションとフィクションの狭間にある不思議な小説だった。私は「焼身」を読んだ時に「この文体はとても宮内さんらしいな、また、題材への迫り方も作家にしかできない大胆さがあり実に面白いなあ!と思った。だから、次に宮内さんがガンジーという二十世紀の偉人をどう料理するのかものすごく興味があり、早く次作を読みたいな読みたいなと思っていたのだ。その「魔王の愛」がついに11月に出版された。もう、一気に読んだ。そして「えーっ!」と思った。

この作品は、いままでの宮内さんと違う。明らかに違う。なんだこれは!
というわけで、すぐさま宮内さんのところに飛んでいって、宮内さんと作品の話をしたくなったのだ。「宮内さん、ぜんぜん違うよね、なんだかすごくいいです。私、この文体好きです」と言うと、宮内さんはちょっと照れながら「いやー、ゆるすぎやしないかと心配で……」と言う。「いいえ、ゆるすぎるなんてことありません。私ら一般人にはこれくらいのゆるさがちょうどいいです。それに、この作品、ものすごくシビアな内容を扱っているのに、ユーモアがある。私、これまであまり宮内さんの作品にユーモアを感じたことなかったんだけど、この作品は、あの偉大なるガンジーを、皮肉ったり、いじめたり、笑ったりしているようなところがあり、同時に、作家である宮内さん自身も、情けなく、可笑しみをもって、自分の弱さを露呈しているところがあり、そこがとても共感できるんです。私はこの作品を読んで初めて、宮内さんていう人のメンタリティに触れた気がしました。きっと、この作品を通して宮内さんのファンになる若い人は多いんじゃないかなあ!」と、すごい勢いでまくしたててしまった。
いっしょに井の頭公園を散歩しながら、吉祥寺の蕎麦屋で蕎麦を食べながら、公園のカフェでお茶を飲みながら、宮内さんの作品の変化について語り続けた。
宮内さんは「やっぱり歳とともに自我がね、ゆるくなったんだろうね……」そんなふうに笑った。
そうかー年をとったら、楽に書けるようになるのか、いいなあ。
年をとってどんどん自由になっていくって素晴らしい。それは宮内さんが文壇というものから距離を置き、ずっと一人で、寡黙に自分のやり方を貫いてきたことの結果として獲得した自由なのかもしれない。しがらみに生きれば生きるほど、人はがんじがらめになり身動きがとれなくなるものだ。
年とともにどんどん自由になっていく、どんどん、書きたいものが書きたいように書けるようになっていく。それがやっぱり理想だよなあ……と、思う。
「魔王の愛」は宮内さんが、インド独立の父であるガンジーの謎に迫る形で語られるけれども、そこに込められていたのは「人はみな精いっぱい自分を生きるのみだ」という、ものすごく強い肯定的なメッセージだった。人はこの世に生まれ落ちた瞬間から、環境に左右され、肉体に牛耳られ、屈性し、困惑し、歪み、妄想する。それが人間だ。その屈折を生ききることの清々しさを感じた。幸せなんて陳腐に思えるほど、苦渋の個性を生きることの醍醐味が伝わってきた。それはきっと、人とかなり違う個性をもって生きてきた宮内さんが「年をとった」ことで到達した心地よい諦めの境地でもあるんだろうな。
by flammableskirt | 2010-12-04 15:13

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