「わたしのすがた」雑感
2010年 11月 30日
フェスティバル・トーキョー
「わたしのすがた」飴屋法水のインスタレーションを観てきた。
場所は「とげ抜き地蔵」にほど近い巣鴨〜西巣鴨近辺に散在する三軒の古い民家。
古いと言っても「古民家」という古さではない。昭和を感じさせる……という雰囲気。一軒はかつて医院だったようだ。
すでに終了しているので、思い切りネタバレでも大丈夫だと思うのだが、この作品は観客が地図をもらって一つひとつの家を探して歩く……という形式になっている。最初に目にするのは、小学校の校庭に空いた大きな穴だ。えぐられて土が露出している。
次に5分ほど歩くと、廃虚に近い民家にたどりつく。
そこで地図をもらい、さらに歩くと、ちょっと新しい民家にたどりつく。この家には懺悔の部屋がある。
それからけっこう歩くと巣鴨駅付近に古い医院があり、この医院の中はかなり暗い。ペンライトを借りて、中を歩く。一つの部屋に入る。するといきなり土の山がある。部屋いっぱいの土の山である。当然ながら、土臭くて湿っている。
土の匂いを覚えているかな。胸にうっとくるようなえぐさがある。ちょっと埃っぽいような。それでいて懐かしいような。この土はきっとあの校庭の穴を掘った土なのだなと思う。土は露出されると生き物のような生々しさをもっている。私たちは土にアスファルトをかぶせてその上を歩いているし、土は植物に覆われるのでその肉のような本体は隠されている。だから、私はながいこと土のあの生物的なえぐさを忘れていたのだが、久しぶりに土は霊だということを思いだした気がした。このようにどかんと盛られると、一匹の妖怪が部屋を占拠しているように感じる。生き物としてエネルギーをもっているのだ。ただ、この土のエネルギーはとても病んでいるような気がした。土は病んだから病院に入院しているのか……と思ったら、なんか急に可笑しくなって、ここは妖怪病院だ!と思った。
土だけじゃなく、モノノケが入院している妖怪病院。なるほどそんな感じである。
実は、私は阪神淡路大震災の時にボランティアを志願して、地震から1週間目の三ノ宮に降り立った。大阪は日常の風景だったのに、神戸は崩壊していた。まだまったく復旧は進んでいなくて、かすかに余震も続いていた。あの光景は目に焼きついて忘れられない。被災者の安否確認のために崩れた家を一軒一軒回って歩いた。家財道具が道路に散乱し雨ざらしになっていた。あらゆるものがあられもなく剥き出しになり、露出し、あちこちの電信柱に「見るな!」「じろじろ見るな!」という手書きの警告が貼ってあった。その文字から激しい怒りを感じた。でも、若いカップルや、友人同士で見物に来た人たちが、倒壊して子供たちの服やおもちゃや本やふとんがゲロのように吐き出された家の前で記念写真を撮っているのを何度か見た。あんなすさまじい日常の崩壊した光景は見たことがなく、いまも自分の気持ちの在り方にとまどう。どう処理していいのかわからない。現実はいつもイマジネーションを凌駕する。あの地震の光景はそうだった……。私はまだあの光景を作品として描けない。
なので最初の民家は、早くに出た。こういう場所を命がけで歩いて回った日があったことを思いだすのがイヤだった。実際にこのような風景のなかに目に障害をもって被災した方が一人で暮らしていたのを見た。その時のなんとも言葉にできない衝撃も、まだ形にすることが難しい。もしかして自分は傷ついているのかな……と感じた。あまり壊れた家を見たくなかったからだ。
二軒目は、昭和の後半によくあった感じの洋風の家だった。
この家には、ノイズがあった。あの、飴屋さん独特の動物的なノイズだ。とても耳ざわりな感じなのにずっと聴いていたい。不思議な感覚。蛇口からしたたり落ちる水音や、虫の羽音のような……。ここにもっと腐った匂いがあったらなおいいのにな、なんて思った。私は臭いフェチであり、私のなかでは音は匂いに近しい。音がすると匂いがほしいと思ってしまうのだった。そうすれば、より喚起される記憶がある。記憶が立ち上がる。それが私に肉体に影響を与える。体温が上がったり下がったり、心拍数や、汗も、そして筋肉も外界からの刺激によって変化する。それを体験したいと思う。
三軒目に、土があった。
土は申し分なく臭く、えぐかった。
呑み込まれそうな土の前に立つと、自分が死体から蘇生したような気分になった。
あれは、妙に気持ちのいい体験だった。さっきまで、この土に埋まっていた、私はカブトムシの幼虫だ。だが土のポテンシャルはかなり落ちていた。無数の微生物たちも息絶え絶えな感じだ。大地と切り離されたために乾いたからだろう。早くもとの場所に戻りたがっている。あの穴へ。
帰り際に建物を振り返ると、裏庭に飴屋さんが立っていた。飴屋さんは西陽を浴びて建物の一部のようだった。あの人も妖怪なんだな、と思った。
「わたしのすがた」飴屋法水のインスタレーションを観てきた。
場所は「とげ抜き地蔵」にほど近い巣鴨〜西巣鴨近辺に散在する三軒の古い民家。
古いと言っても「古民家」という古さではない。昭和を感じさせる……という雰囲気。一軒はかつて医院だったようだ。
すでに終了しているので、思い切りネタバレでも大丈夫だと思うのだが、この作品は観客が地図をもらって一つひとつの家を探して歩く……という形式になっている。最初に目にするのは、小学校の校庭に空いた大きな穴だ。えぐられて土が露出している。
次に5分ほど歩くと、廃虚に近い民家にたどりつく。
そこで地図をもらい、さらに歩くと、ちょっと新しい民家にたどりつく。この家には懺悔の部屋がある。
それからけっこう歩くと巣鴨駅付近に古い医院があり、この医院の中はかなり暗い。ペンライトを借りて、中を歩く。一つの部屋に入る。するといきなり土の山がある。部屋いっぱいの土の山である。当然ながら、土臭くて湿っている。
土の匂いを覚えているかな。胸にうっとくるようなえぐさがある。ちょっと埃っぽいような。それでいて懐かしいような。この土はきっとあの校庭の穴を掘った土なのだなと思う。土は露出されると生き物のような生々しさをもっている。私たちは土にアスファルトをかぶせてその上を歩いているし、土は植物に覆われるのでその肉のような本体は隠されている。だから、私はながいこと土のあの生物的なえぐさを忘れていたのだが、久しぶりに土は霊だということを思いだした気がした。このようにどかんと盛られると、一匹の妖怪が部屋を占拠しているように感じる。生き物としてエネルギーをもっているのだ。ただ、この土のエネルギーはとても病んでいるような気がした。土は病んだから病院に入院しているのか……と思ったら、なんか急に可笑しくなって、ここは妖怪病院だ!と思った。
土だけじゃなく、モノノケが入院している妖怪病院。なるほどそんな感じである。
実は、私は阪神淡路大震災の時にボランティアを志願して、地震から1週間目の三ノ宮に降り立った。大阪は日常の風景だったのに、神戸は崩壊していた。まだまったく復旧は進んでいなくて、かすかに余震も続いていた。あの光景は目に焼きついて忘れられない。被災者の安否確認のために崩れた家を一軒一軒回って歩いた。家財道具が道路に散乱し雨ざらしになっていた。あらゆるものがあられもなく剥き出しになり、露出し、あちこちの電信柱に「見るな!」「じろじろ見るな!」という手書きの警告が貼ってあった。その文字から激しい怒りを感じた。でも、若いカップルや、友人同士で見物に来た人たちが、倒壊して子供たちの服やおもちゃや本やふとんがゲロのように吐き出された家の前で記念写真を撮っているのを何度か見た。あんなすさまじい日常の崩壊した光景は見たことがなく、いまも自分の気持ちの在り方にとまどう。どう処理していいのかわからない。現実はいつもイマジネーションを凌駕する。あの地震の光景はそうだった……。私はまだあの光景を作品として描けない。
なので最初の民家は、早くに出た。こういう場所を命がけで歩いて回った日があったことを思いだすのがイヤだった。実際にこのような風景のなかに目に障害をもって被災した方が一人で暮らしていたのを見た。その時のなんとも言葉にできない衝撃も、まだ形にすることが難しい。もしかして自分は傷ついているのかな……と感じた。あまり壊れた家を見たくなかったからだ。
二軒目は、昭和の後半によくあった感じの洋風の家だった。
この家には、ノイズがあった。あの、飴屋さん独特の動物的なノイズだ。とても耳ざわりな感じなのにずっと聴いていたい。不思議な感覚。蛇口からしたたり落ちる水音や、虫の羽音のような……。ここにもっと腐った匂いがあったらなおいいのにな、なんて思った。私は臭いフェチであり、私のなかでは音は匂いに近しい。音がすると匂いがほしいと思ってしまうのだった。そうすれば、より喚起される記憶がある。記憶が立ち上がる。それが私に肉体に影響を与える。体温が上がったり下がったり、心拍数や、汗も、そして筋肉も外界からの刺激によって変化する。それを体験したいと思う。
三軒目に、土があった。
土は申し分なく臭く、えぐかった。
呑み込まれそうな土の前に立つと、自分が死体から蘇生したような気分になった。
あれは、妙に気持ちのいい体験だった。さっきまで、この土に埋まっていた、私はカブトムシの幼虫だ。だが土のポテンシャルはかなり落ちていた。無数の微生物たちも息絶え絶えな感じだ。大地と切り離されたために乾いたからだろう。早くもとの場所に戻りたがっている。あの穴へ。
帰り際に建物を振り返ると、裏庭に飴屋さんが立っていた。飴屋さんは西陽を浴びて建物の一部のようだった。あの人も妖怪なんだな、と思った。
by flammableskirt
| 2010-11-30 11:26

