睡眠、休養、運動

 先週末は東北地方を旅してきたのだが、特に印象に残ったのは、超能力者として有名なユリ・ゲラー氏といっしょに過ごし晩飯を共にできたことである。
  70年代にテレビに登場してから、様々な超能力を披露してきたユリ・ゲラーについて改めて説明する必要もないでしょう。私は初対面だったが、子供の頃からテレビで観て来たためか古い知人のように感じてしまった。
  ベッカムのような髪形にして、非常にスリムになった彼はもう60歳を越すというのに30代のような若さだった。肉は食べない。ベジタリアンで日本食をとても好む。醤油のボトルを持ち歩いていた。時間があれば走り、面白いものを見つければ写真をとり、twitterやフェイスブックにアップしていた。
 東京都内はほとんど徒歩で移動するという。とにかく歩く。歩く。歩く。長時間の車の移動は嫌いだという。まるでアスリートのような生活であり、集中力や直感力を維持するために、規則正しい生活と運動と食事制限というものがいかに大切であるか、またしても見せつけられたのだった。
 以前の彼は、世界中の大富豪との交流もあり過食気味だったそうだ。それで体調を崩したことをきっかけにして、今のようなライフスタイルにすぱっと移行したという。彼の行動には「タメ」とか「迷い」というものがほとんどないことも印象的だった。瞬間瞬間を生きているという印象。シンプルだが、迫力があった。そういうユリ・ゲラー氏と一日を共にしているうちに、私自身もそのビビットなエネルギーに感応しているような気分になった。
 このごろつくづく思うのだ。生きているということはまず体の中がすっきりしていて、軽く、やろうと思ったときにすぐ立ち上がれる瞬発力、気力があることがなにより大事だと。
 長いこと迷いの多い生活を続けてしまうと、なにかに迷っていることが日常になり、それがあたりまえの状態になる。どうしようかな、が常態となり、腰の重さは自分の性格だと勘違いするようになる。人間にはいろんな性格があるが、やろうとしたときにすぐ立ち上がれるかどうかは、性格とは関係ない。これはその時の気力と体力の度合いの問題なのだが、それを「性格」の問題としてすきかえがちなのだ。私はそうだった。粘着質だろうと、早とちりだろうと、のんびりやだろうと、そういうこととは関係なく「やるか」というときに「すっ」と立ち上がれないのは、体が重くて気力がないからなのであり、それがあたりまえのように感じてしまうと、もうそこから動けなくなる。動けないことを正当化する理由はいくらでもあり、石のように動かなくなるのである。
 そういう常態を人生で何度か経験してきた。逃げ出すために必要なのは、つまり、気力のために必要なものはシンプルだった。睡眠と休養と運動。誰もが知っている。誰もが知っているからないがしろにされる。睡眠と休養と運動をうまくコントロールして維持することで、気力も集中力も戻ってくる。年をとればとるほど、そうなのである。ユリ・ゲラーはそのことをよくわかっていて、ちゃんとそれを実行し、彼の直感力をベストの常態に維持していた。
 一日をていねいに生きるために必要な項目は、年とともに増えていく。でも、それをこなしていくしかないんだなと思う。私は、ていねいに生きたい。洗濯物のしわをのばしてきれいにたたむように、今日一日のすみからすみまでを、指先で触れながら、布から伝わる太陽のぬくもりを感じながら、ていねいに一日をしまいたい。そのために必要なことは、やる。
 まさに今年はそれを、自分の体に刻み込むような一年だったな。
 今週末は気功合宿。また、先生に合っていろいろ発見があると思うと週末が楽しみだ。
 気功合宿の仲間にも、この一年で私が見聞したことを、たくさん伝えたい。
by flammableskirt | 2010-11-15 16:21

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