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by flammableskirt
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頭を使いすぎてコントロール不能な私

 二日間、東京に出張しており昨日の夜に戻って来た。明治大学の教室を借りて行った「ダイアローグ研究会」の第一回目、初めての試みで、会場にも不慣れなため不安だったが、大森正之教授と大森ゼミの学生さんたちが手際よく準備を進めてくれていて、その働きぶりを見ていると、大森先生はかなり厳しく社会的なことも含めて学生さんを指導しているのだなと感じた。こういう作業は学生さんにとっては「勉強以外」のお手伝いの部類に入るのだろうけれど、社会に出るとあらゆる場面でこういった知識は役立つものだ。

■ダイアローグ研究会
 思った以上にたくさんの方が参加してくださった。この場をお借りして参加してくれた皆さん、特に学生のみなさんに心からありがとう!うれしいと同時に緊張した。というのも、人数が多いと対話型の研究会はとても難しい。やり方を模索している初回でもあり、学生の方たちに発言してほしいと考えていたのだが、どちらかといえば声の大きな社会人の場になってしまった。
また、ある学生さんから「期待はずれだった」という意見をいただいた。率直ですばらしいと思った。勇気ある発言だ。率直な意見はお互いを映す良い鏡となる。反省点は多々あるけれど、ただ「学生にとって1000円は安くない、それを払って来ているのに期待はずれだった」とおっしゃられた点に関して、その時私が思っていたことをここに書きます。その時、私は心のなかで「東京マラソン」について考えていた。
「東京マラソンにエントリーして、自分で走らない人はいない。マラソンは自分で走らなければつまらない。たぶんこの場はマラソン会場に近いんじゃないか。私は伴走はするけれども、走るお手伝いはできない。だって自分で走らなければつまらないだろう。ここの場をどうするかも含めて、いっしょに作っていくしかない。走るのはそれぞれであって、私は替りに走れない。でも、コース選択や、コースの整備はちゃんとしなくては」

 私がこの研究会を始めようと思ったのは、北村正晴教授や竹内整一教授との出会いがあったからだ。竹内教授の多分野交流ゼミに四年ほど参加して、そこで得たものがとても大きかったので、それをまた若い人たちに還元できたらと思った。与えられたものは生きているうちにお返ししたいと考えるようになったのは最近のことだ。この年まで生きてきて、世界中の人の恩恵に授かり、こんなによくしてもらってどうやってお返ししたらいいのかと途方に暮れることばかりだったが、同じことを自分が誰かにするしかない、と思うに至った。もしかしたら生きるというのは、そういうことなのかもしれないなあ……というのが、近ごろの私の生きる意味のこじつけだ。
 細々とでも続けていこうと思っている。初回で「つまらなかった」と思った若い人も多かったろう。「こんなこと考えて意味があるんだろうか」「とても自分の問題として考えられない」そう感じた人も多かったのではないかと思う。「原子力をめぐる対話の問題」に関して、心身を貫く切実さをもっているのはスピーカーの北村正晴教授だけだ。その切実さは近しい私には少しだけわかるけれども、それをあの場で初対面の若い人たちが共有するには時間が足りなかったと思う。
 ある意味で「自分の問題ではない事柄」を自分の問題であるかのように「考える」ためには、「その問題を切実に考えている人」と出会い、その人の身体感覚や言葉を通して問題に触れることがとても大切だ。最初は「なんだかわからない、自分の問題として感じられない」と思っていたことでも、「問題を切実に感じている人」との出会いを通して、人間は共鳴できる。これは人間に与えられた素晴らしい資質だと思う。そのよう他者を通して自分の思考が広がっていくことができるのだ。
 私自身の体験で言えば、「水俣病の問題は社会にとって重要な問題だが私の問題とは思えない」と思っていた私が、水俣病患者である緒方正人さん、杉村栄子さん、緒方正実さんとの出会いによって「水俣につかまってしまった」と言っていい。なにしろ圧倒的な存在感だったのだ。「こんな凄い人たちに会ったことがない!」と衝撃を受けた。私は社会問題に対して社会的な興味はなにもない。私が興味があるのはその「問題を生きている人間」の姿である。人との出会いを通して、「問題を生きている他者と自分がどう関わるのか?」という問いを持つようになる……、つまりそれが私の問いの原点。
 だから私は「ダイアローグ研究会」という場を通して「北村正晴」という一人の人間と関わろうとしているのであり、関わり方はたぶん無数にあるのだろうけれど、いろんな経緯や他の方たちとの関わり……「縁」が寄り集まって「ダイアローグ研究会」という場が生まれたのだ。北村先生や竹内先生も「何かを始めざる得ない」という衝動を私に与えるだけの人間的、あるいは学問的誠実さと言える凄さをもっていた。それに触れて影響を受けることが生きていることの喜びだと感じている。
 私の姿勢は一貫している「問いを持ち続けること」生きる限り問い続けること。問うという情熱を失わないために行動しつづけること。私のスタンスは「わからない」である。この中途半端で居心地の悪い場所に死ぬまで立ち続ける。そして「問うことをやめない」である。
 執筆も自己表現だけれど、生きて行動し発言するということはさらなるダイレクトな自己表現で、人間が生きるというのは自由な自己表現をすることそのもののように思える。
 私は長いこと……というかおよそ半世紀生きてきて、自分を正直に表現できるようになったのはごくごく最近のこと……つまり「もう、いつ死んでもさほど悔いも残らないだろう」と思い始めてからのことだ。ということは半世紀近くもこの世に生を受けながら自己表現がうまくできなかったということである。なぜできなかったかといえば「脅え」や「恐怖」や「不安」があったからだ。そんなものである。開き直りにかかった時間が五〇年。アホらしいけれども、それが私なのだからしょうがない。

■身体について
 それにしたって、やはり緊張するのである。私は態度や声がデカいので誤解されがちだがものすごく小心者だ。ほんとうに度胸のある人はもの静かなものである。発言するにしても小心者であるゆえ、心臓はバクバクし過度に緊張し、緊張のあまり興奮しているのである。交感神経は張り詰めた弦のような状態になり、ぱっつんぱっつんで、一度上がったテンションが下げられなくなる。そうなると寝れなくなる。まったく眠らずにしゃべり続け、動き続けることがあり、そうなると自分で自分の身体がコントロール不能となる。おとといがそうだった。夜半を過ぎても頭は冴え渡るばかり。身体が眠るというモードに入らず、結局、ホテルのベッドに入ったのが明け方四時近くであるが、それでも興奮していて一睡もできず、翌朝10時のミーティングに出てから、東京拘置所に面会に行き、死刑囚の友人と短い会話をした。
(死刑を宣告された人との出会いがなければ、およそ死刑という問題も実感できなかったと思う。私の実感は《相手が目の前にいても死刑ということを実感できない、という恐るべき実感だ》だから、一般の人が死刑に賛成していてもそれは仕方ないだろうと思う。およそ被害者感情のほうがよほど実感しやすい。必要なのは、実感しやすいほうに肩入れしているのだという自覚だと思う。私なんぞかれこれ三年、面会に通っていてだんだん感覚が麻痺すらしてくる。最初の頃のほうが死刑に対する緊張感があった。現状に馴染んでしまい、問いを忘れていくのだ。それくらい鈍いのが人間なんだなあとびっくりする)
 それでもまだ興奮しているためまったく眠くならず、身体だけがくたくたで、視力すら低下してきて、さすがに自分でも「このままではヤバイ」と思ったために、綾瀬駅前の「2980円で60分もみほぐします!」というマッサージ屋に飛び込み、身体をもんでもらった。1時間もみもみしているうちにしだいに「なにかがゆるんできた……」という感じになり、それから新幹線に乗って家にたどりついた。
 私は朝5時に起きるので、およそ36時間寝ないで活動していた。完全な興奮状態である。駅に迎えに来てくれた夫に「テンションを上げてしまった。コントロールできない」と言うと「自覚できるだけいいじゃん」と言われた。まあ、それもそうである。
 家の戻ると娘も帰宅してきた。娘が学校で起こったことを不平まじりにぶつぶつしゃべっているのを聴いていたら、だんだん神経の昂ぶりが落ち着いてきた。娘と会うと自動的に「母親モード」に移行するらしいのだ。食卓にいくと92歳のじーさんとばーさんが、二匹の亀さんのようにのんたりと眠そうに座っていて「今日は介護で絵を描いた」と言ってそれを見せてくれたのだが、おじいちゃんの絵に「アメリカ生まれでちんぷんかんぷん」と書いてあり「これどういう意味?」と聞いても、よくわからない。何かのジョークなんだろう。夕飯は私の希望通りの牡蛎雑炊で、それを食べたらなんだかやっとお腹がほっくりしてきた。それから風呂に入り、風呂から出て早々と7時半にはベッドに入り、娘と二人で美術部の子供たちが描いた「マンガ」を眺める。「デッサンへたー!」「怖い〜!」などと大笑いしているうちに、自分たちも絵を描きたくなり、二人でしょうもないマンガを描きあっているうちに、どかっと眠くなって寝た。
 今朝はいつも通り5時に普通に目が覚めて仕事場に来た。家庭力とか家族力という力があるとすれば、私の身体はその力に助けられてなんとか社会的な要求に対応しているのだなと思う。私の育った家庭は問題が多く、私にとって家庭は「いのちの危険を感じる」ような場所であり、だから早々と家を出て一人で生きてきた。家族というのは心配の種でしかなかったのだが、長い年月をかけて自分が「家族」という場を作ったことを実感すると、またしても、ああもういつ死んでも悔いはないなと思うのだった。やるべきことはやったんだなあ……と。

■次回に向けて
 早稲田大学大学院の林志行さんと、西條剛央さん。お二人ともとても若々しいので、なんだか先生とか言いにくい。すごくユニークなお二人で、ほんとうはこういう不思議で経験豊富な若手の先生たちと、学生さんが話す場を作れれば良かったのだなと反省した。林さんはシンクタンクを経験して大学で教鞭をとっており経験豊富。しかも視野も広い。次回は西條さんの提案してくれた、グループ対話方式を取り入れて、学生といっしょに討議に入ってもらったらいいんだなと思う。稲葉さんや、中山さんや、荒川さんという若手で社会人をやっている、いわば先輩みたいな人たちもたくさん参加していたのに、そういう人たちと参加者の学生たちが交流できなかったことは、まったくもって失敗だった……と、考えているうちにますます寝れなくなったのだ(笑)
 12月2日までの、第二回ダイアローグ研究会もあっという間に来てしまうのだろうなあ。次回は自分の発表でもあるし、問題も「核」へと繋がっていくので、また緊張のあまり、自律神経失調症にならなければいいが……。
だがそういう自分の身体や心と向きあうのもまた面白い。興奮しすぎるには、そろそろ更年期ということもあるのだろう。ホルモンのバランスが崩れてきているのだ。
こうして人間は死ぬまで変化し続ける。逆らってもしょうがないので、やりくりを考える。やりくり、手仕事。生活の智恵。あんがい、社会問題や環境問題も最終的には「やりくりと手仕事」の連続なのじゃないだろうかと、このごろ思えてくる。解決も結論もない。やりくりしながら、現時点でも一番いい道を模索する。それも、手仕事で。
by flammableskirt | 2010-10-23 07:47