8月9日、長崎で会いましょう。


 今年の原爆の日、8月6日、8月9日は、特別な日になるかもしれない。。
 国連事務総長、そして核保有国である米、英、仏の三国の大使が祈念式に出席するという。昨年、プラハにおいて米国のオバマ大統領が「核兵器廃絶」を誓う演説をした。それを私もYouTubeの動画で観て、深く心打たれた。これまで世界がヒロシマに対してコメントしなかったのはアメリカに遠慮してのことだ。ヒロシマについて語ることは同時にアメリカの批判になる。日本政府ですら公式にアメリカに謝罪要求をしていない。だが、昨年のオバマ大統領のプラハ演説で、たぶん世界の空気が変わった。それは確かだ。

 でも、核なき社会を……といいながら、現実には沖縄の基地問題で鳩山前総理が失脚し、沖縄の問題は世間を揺るがしながら一歩も動かなかったではないか。アメリカ政府は基地の撤退を現実的でないと批判し相手にもしてくれなかったが、軍縮に向けては努力すると言う。そして、戦後初めて8月6日の広島にやって来る。一日、来るのは簡単だ。もちろん意味はあるが、それはその場限りのことだ。セレモニーとはそういうものだ。だが、基地は違う。明日も明後日も彼らが撤退するまで沖縄にあり続けるのだ。それに対して「それは、それ、これは、これ」を外交と言うのだろうか。百歩譲ろう。それもいたしかたないかもしれない。アメリカの世論の反発はまだ相当に大きい。アメリカ人の多くが「原爆投下は戦争終結のためにしかたなかった。被害は押さえられ選択は正しかった」と認識している。

 物事は一挙にどうにかなるものではない。よじれてよじれてよじれきってしまったのもは、同じ回数だけ逆によじらなければ元には戻らない。ヒロシマは原点だ。1945年、まったく無警告でいきなり市民の頭上に核兵器が落とされた。アメリカは議論を重ねた末に落としていいと結論に達し、落としたのである。それによって戦争は終結し戦後にこの初動の間違いは正されずに来た。最初の一歩が大きな間違いだった。その間違いを「間違いだった」と世界が合意するのはいつだろうか。難しいのかもしれない、なぜなら、その第一歩の間違いによって原爆を落とされた日本に住む日本人ですら、その間違いについて議論をしてこなかった。
 被爆者の高齢化はすすんでいる。人はいつか死ぬ。誰でも死ぬ。これは世の道理ゆえいつか被爆者の最後の一人が亡くなり、ヒロシマ、ナガサキで原爆を経験した人がこの地上から消える。被爆者の思いを受け継ぐという感情的なシンパシーでの歴史の伝承には限界があり、いま必要とされるのは「原爆を落としたことはなぜ間違いなのか」という倫理的な合意である。

 実際、信じられないことだけれども日本とアメリカにおいて、原爆の是非について議論のテーブルすら与えられてこなかったのだ。対話は皆無だった。もちろん今をもってして……。

 今年、8月9日の長崎原爆の日に、長崎市内の水辺の森公園で
「水辺の森音楽祭」が開催される。私は明後日から長崎に向かって旅立つ予定だ。そして「水辺の森音楽祭」に参加して、広島在住の三代目春駒小林一彦さんといっしょに歌を唄う。
 小林一彦さんのおじいさんは被爆者だ。親戚にも被爆している方が多いと聞く。水辺の森音楽祭に参加を思い立ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは小林さんの事だった。彼といっしょに歌えないかと思ったのだ。
 小林さんは広島で広告制作の仕事の他にDJやバンド活動をしている。彼の歌はいい。すごくいい。底抜けに明るくて爽やかで真夏の風のようだ。
 彼のレパートリーの中で、私がずば抜けた名曲を思っている一曲、「その男ヨシオ」を、ぜひ長崎で歌ってほしいと思ったのだ。

 その男ヨシオ 詞/曲/三代目春駒小林一彦

 1945年8月6日 インヒロシマ
 ガイガーカウンター振り切れるほどの放射能 
 まだ黒焦げの焼死体くすぶる瓦礫の街
 見ろよ一人の男が汗にまみれてもう家を作りはじめている

 そーだ!
 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!

 ツライ時こそ笑ろうてみせや男なら
 絶望の朝に希望のメロディ口ずさめ
 まだ幼いカズオの命が腕の中
 なすすべなくはかなく終ったとしても

 そーだ!
 その男ヨシオ
 涙に沈んでも
 その男ヨシオ
 何度でも立ち上がる
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!

 あなたが逝ってしまうまえに
 もっと話したいこといっぱいあった
 あたたかな眼差しのその奥の
 覗いちゃいけない哀しい記憶を

 今もずっと
 溢れる勇気で
 その男ヨシオ
 俺を照らし続けてる

 その男ヨシオ
 この俺のジイチャン
 その男ヨシオ
 くじけない男
 オリャ!オリャ!オリャ!生きたるんじゃ!Don't give up!

Get up, Stand up...足に力込め
 Get up, Stand up……大地踏みしめて


 ほんとうに偶然なのだけれど、私の亡くなった父の名前はヨシオだ。
 父は予科練として戦争に行って戻って来た男だ。戦後のあまりに友人達が死に自分が生き残ったことに罪悪感をもっていたのか、飲んだくれて命を捨てるように遠洋漁業のマグロ舟に乗って日本を離れてしまった。父の人生はどうしようもなかった。なにが辛いんだが、なにが気にいらないんだか、なにが苦しいのか、なにがせつないのか、私にはさっぱりわからなかった。そして、アル中になって死んだ。
「うちの父もヨシオなんだよね、だからこの歌をいっしょに歌いたいンだよね」
 そう言って、誘うと春駒さんは二つ返事で長崎に行くことを了解してくれた。自腹だし、仕事も忙しいだろうに……。私が個人でできることは、歌うことくらいである。そして書くこと。
 


 国家という人間の無意識の集合体のような得たいの知れないものが保有する「核」という殺人兵器。だが、同じ原理で作られた原発は日本中に存在する。核分裂の連鎖反応によって得られるエネルギーは人間の抽象的思考力によって取り出された強大な力である。人間はずば抜けた好奇心で原子を見つけだし、エネルギーを解放する方法を手に入れた。そして「これは戦争に使える」と考えたルーズベルト大統領が開発計画を指示したのだ。

 第二次世界大戦後、高度成長期をむかえた日本はエネルギー需要の高まりとともに原子力発電の開発に着手。ちょうど日本列島改造論が吹き荒れていたころに原子力発電所はどんどん増えていった。
 私は電気を湯水のように使いたい。真夏の夜にはクーラーをつけて熟睡したい。たぶんそういう人は多いと思う。節電はブームにはなるが継続的に政策として支援されない。民主党政府は原子力エネルギーに積極的だ。それは原子力がクリーンエネルギーであり、地球温暖化対策としても有効であるかららしい。
 私は、原発に反対ではない。断じて。だが、原子力エネルギーを使うということの意味を、原発も核兵器とかなり同じプロセスで作られていることを念頭に議論すべきだと思っている。この議論はほとんどされていないように思える。意見を表明しあうだけ、言いっ放しというのはやめよう。対話のテーブルをつくり、そこに座るところから始めなければ、よじれた糸をまっすぐにすることは難しい。最初の一歩を間違っていなかったか。それを検証する時代に来ている。

 対話とはなにか。私の対話の師である北村正晴先生はこう言った。
「対話というのは、対話が終ったときに両者が少しずつ変わってしまっている、変わらざるえなくなる、そういうものだと思います」
by flammableskirt | 2010-08-05 12:06

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