口蹄疫報道とメディア

 昨日に引き続き、被害の出ている宮崎県川南町の様子を報道した朝の番組を観る。みのもんたさんという、とても有名なタレントの方が司会をする番組だ。私はいつも不思議に思うのだが、この、みのもんたさんとはどういう方なのだろうか。職業としてはアナウンサーだろうが、日本のマスメディアのかなり多くの番組に出演していて、テレビをつけてこの方のお顔を見ない日はない。当然ながら影響力をもってしまっている。にもかかわらず、私はこの方のプロフィールや、たとえば何を考え、どういう主張があり、政治的にはどっち寄りで……ということも含めてほとんども知らない。

 アナウンサーというからには、中立な立場であると思うのだが、政治家や大臣に「ずばっとものを言う」ところに人気が集まっているらしい。つまり、主張するアナウンサーであり、そのスタンスは「国民目線」らしい。だが、私はみのもんたさんは国民目線ではないと思う。国民目線を意識していらっしゃるが、国民目線というものはそもそも存在しない。というか、いわば彼が国民目線を日々、製造し続けているのであり、そう考えるとどうも「国民目線」という催眠術にかけられて、国民にさせられている感じがして、なんだかちょっと居心地が悪いのだった。だからテレビ画面の向こうから、みのもんたさんに「国民のみなさん!」と呼びかけられると、正直、ぞっとするのである。あれはやめてほしいなあと思う。アナウンサーとして越権行為だ。それをしたければ政治家になればいい。
 
 そんなことはともかくとして、宮崎県の口蹄疫の報道を見ていた。
 そうしたら、宮崎県の東国原知事の記者会見の模様が映された。まず最初に、みのもんたさんが「久しぶりにこの方、怒っています」とふり、次いで記者会見で記者の質問に対して知事が「我々だっていっしょうけんめいにやってるんですよ」と、確かに怒る場面が繰り返し映された。この番組は東国原知事が怒りましたということに対して、たいへんニュースバリューをおいているらしい。でも、昔は芸人さんだったとしても、現在は知事であり、しかもいまほんとうに宮崎県で起っていることは、国に大打撃を与えるかもしれない非常事態なのであり、ニュースとして必要とされているのは「怒ってます」ではないと思う。思うに、番組制作者は「国民は他人が感情的になっているのが好き」と考え、自分たちが想定した国民目線で、国民イメージに見合った番組を作ってくださっているのだろう。

 もちろん、その後に川南町の状況や、家畜の伝染病の専門家の方の意見が放送された。そしてこの専門家の方のお話はたいへんに示唆に富む内容だった。というのは、今回の口蹄疫は、前回、日本で発症した口蹄疫とは違う、つまり口蹄疫とひと口に言っても、いろいろなパターンがあり、今回、豚に感染した口蹄疫は「まさしくこれが口蹄疫」という、非常に感染力の強いタイプであるという。豚に感染するとウィルスは爆発的に増殖する。それゆえ大規模な被害拡大につながっていくという。とりわけ今回のような感染力の強い口蹄疫は、科学的には経験則にのっとった対応をしても、予測の範囲を超えていたというのである。

 ニュースの前半では、国の対応、県の対応が出遅れたために被害が拡大、という結論で編集されていたけれども、専門家の意見はそれに対して「対応は科学的には正しかった。ただ、ウィルスの力が想定外」という見解だったのだった。それに対してコメンテーターが「でも、こういう状況になるとは思っていなかったわけですよね」というようなことをおっしゃり、最終的には「ゆだんしていたかもしれない」という言葉を引き出して、なにかほっとしたようにしてこのコーナーは終わったのだった。録画していたわけではないので、言葉は正確さを欠く。記憶をたよりに書いているだけだし、私が感じた違和は一言一句の言動というよりも全体のムードのほうだ。。
 「誰かがゆだんしていたからこうなった」という結論が出たときの、なんとも不思議なあのスタジオのほっとした雰囲気、それを感じたのだった。それは、一瞬だったのだが、みのもんたさんも、コメンテーターの方々もなにかに納得できて終れた……という、つまりオチとしておさまるところにおさまったという安心感。

 専門家の大学教授は、科学者であるのでその言動には、人間の理解や道徳や社会システムを越えたところにあるウィルスという存在への、ある種、冷ややかな視線が感じられた。そういう科学的視点は時としてヒューマニズムの立場からなにかを論じる者にはあまりにも冷徹に感じられて反感をもってしまうこともある。
 このニュース番組では「口蹄疫とはそういうものだ、ウィルスは多様で想像の範囲を超えていた」という結論では、どうやら納得できない人たちによって構成されているのだとわかった。国民目線を標榜しているらしいこの番組は「誰かがなんらかのミスをした」ということにして「ちゃんとやってくださいよ!国よ、県よ」と、みのもんたさんが権力にカツを入れるという構造を目指しているらしい。水戸黄門や遠山の金さん的な物語の構造こそが「国民目線」であると考えているのかもしれない。いつもなにかこうむずむずした感じがしていたのは、これに馴染めないからなんだなあと思った。

 権力に対して監視するのは、マスメディアの重要な仕事であるけれど、監視とあら探しはまったく違う行為である。朝、7時代で放送されるニュース番組で、何年も同じアナウンサーが「お上に物申す!」というパターンを続けているのは、儀式に近い。ニュースの枠組みからやや逸脱している。
 私はみのもんたさんという方にお会いしたことはないけれど、テレビで観るかぎりはほんとうにいっしょうけんめいに仕事なさっている方だと感じる。個人的に悪い感情をもつどころか、あの仕事ぶりには鬼気迫るものを感じる。

 そのみのもんたさんを取り巻くテレビの制作現場の方たちは、ワンパターンにはまるのは避けるべきことをよくご存知の優秀な方たちだと思う。ただ、パターンにはまるとタコ壺状態になり他の思考回路が閉じてしまうゆえ、タコ壺から抜けてワンパターンを越えてゆく努力は常にしてほしい。あのスタジオの「誰かの責任追求で終るオチ」にほっとするムードは気味が悪い。そして、気味が悪いのは田口さんの主観にすぎないと言われれば、その通りである。私は主観でものを書く。読む人もそう思って読んでください。


ちなみに、こちらのブログに東国原知事の記者会見の書き起こし原稿が掲載されています。 
by flammableskirt | 2010-05-19 10:13

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