ノートをまとめる夢
2010年 05月 05日
悠実カフェはフェスティバルで大盛況だった。こういう場があるということが本当にうらやましい。
大谷石のギャラリーに、映画上映のスペースや、ライブカフェも増築され、ますますパワーアップしていた。とにかく広い。この広さがあればなんでもできる……という感じ。
6月6日は、このギャラリーを借りて、絵画と舞踏のライブパフォーマンスを企画している。
その準備も、いよいよ佳境だ。
今年は、自分のやりたいことをやるぞ〜と、飯の種だった執筆をお休みし、お金にならないパフォーマンスや、アート関連の企画、イベントのお手伝いなどばかりしているのだが、ほんとうに心から楽しくしわーーーーっと幸せを感じるなあ。
その延長線上で必要に迫られて再び、書くことを始めたのだが、スタンスが以前とはまるで違うことに自分で驚いている。自分の仕事を自分で仕切り直ししたんだなと感じる。
それがいいのかわるいのかわからないが、こういう流れだったのだからしょうがない。
もう若くもないし、これからはいわば余生みたいなもんだから、
生きててよかったと思えることを、時間をかけてやっていく。
生まれて初めて人間ドックに行ってみたら、けっこういろんなところが検査でひっかかって、
連休明けたら再検査である。今年のことは今年のうちに、メンテ修復しておこう。
そのつもりで検査を受けたのだ。来年はもっと大変な年になるという直感。
体力がなければ乗り切れないだろう。酒も制限。
ドクターストップと言えば、杯も断わりやすいので好都合かもしれない。
3月からずっと長旅が続いているが、いろいろ取材したことがまとめきれていない。
それに関する「夢」を見た。とても現実的な夢だった。
こんな現実的な夢を見るのはめずらしいなあと思ったのだが、それはノートに関する夢だ。
夢のなかで、ノートをとっているのである。いや、ノートをまとめている。
それがすごく楽しいのだ。非常にわかりやすい、美しいノート。東大生みたいなノートである。
そして、一つひとつの項目にインデックスをつけて、本棚にまとめている。
その満足感が夢からさめてもずっと続いているというものだ。
これが夢でなくて現実だったら、どんなにいいだろう。
だって、あんなに夢のなかで時間をかけてていねいに取材したことをノートにまとめていたのだ。
目が覚めたら消えていたなんて、あの夢での労働はなんだったんだ?
でも、あまりにも大きな充実感であったため、現実に同じことをしたくなってきた。
妙なこともあるものだが、これは「記憶をまとめたい」という私の潜在的な欲求の現われなのか?
それにしたって現実的すぎる(笑)