長崎と水辺の森音楽祭
2010年 05月 02日
福岡から長崎へ。
今回、長崎に行ったのは梅さんに会うため。
去年の夏、朝日新聞の記者のOさんからもらった一本の電話が旅のきっかけだった。
「いま、長崎の音楽祭の取材をしているのだけれど、その実行委員の人が『この音楽祭を始めるきっかけは、田口ランディさんの本を読んだこと』とおっしゃっているんですよ」
私の『根をもつこと、翼をもつこと』という本に「真夏の夜の夢」という短いエッセイがある。エッセイとも、小説ともつかない妙な作品なのだが、それは私が初めて8月6日の広島を取材した時の出来事を題材に書いたものだった。
あまりにも形骸化した平和祈念式にうんざりし、これでほんとうに慰霊なんだろうか……と思い悩みつつ、灯籠流しの始まった大田川の護岸を歩いていたとき、ふと、どこからともなく美しいチェロの音が流れてきた。誘われるようにその音楽の方へと歩いていくと、そのチェロを弾いていたのは世界的な音楽家であるヨーヨーマさんで、私は唖然としつつ、でも、その音色が現世と過去を結びつけ、人々が時空を越えてこの地に憩うという幻影を見た……と、まあ、かいつまんで言えばそういう文章だ。
一度、書いてしまったことなので、そのときの思いをいま言うことが恥ずかしい。あれは2000年の出来事だった。今からもう十年も前だ。あの時、私は音楽の力に圧倒されると同時に、自分はなんと無力なんだろうと思った。音楽はその瞬間に世界の位相を変えてしまうことができる。だが……文章はどうだろうか……と。
その後、何度も広島、長崎を訪れて「被爆のマリア」という小説集を発表するものの、それは「自分はどうしても原爆とは関われない、立ち位置がわかりません」と表明したような小説だった。つまり、どうあがいても当事者でもない自分がおこがましくて、関わり方すらわからない、というのがこの十年の私で、どうしていいものやら、取材していても自分のスタンスすら見えずにおろおろしっぱなしだった。
もう、原爆は無理かもしれない……諦めようかな……と思っていた頃に、Oさんから音楽祭の話を聞いたのだ。行ってみたいと思ったが、去年は夏にインドからの留学生を受け入れており、とても家を空けられる状態ではなかった。それで、来年こそは自分も手伝い行きたい。なにより、実行委員の方がどういう思いで私の本を読んで、そして音楽会を思いついたのか、直接聞いてみたかった。
福岡から長崎へ、高速バスで移動する間、月がほんとうにきれいだった。その月を見ながら、なんだか長崎での新しい出会いが特別な事のような気がして、わくわくした。
ホテルに迎えに来てくれたのが、音楽祭を企画したという梅沢さん。私と同じ年の男性。初対面だったけれど、ずっと昔から知っているような気がした。懐かしい同級生に久しぶりに再会したような気分。梅ちゃんはワインバー「田舎」というお店をやっているというので、お店におじゃまして昨年の音楽会のDVDなど眺めつつ、「水辺の森音楽祭」のお話を聞いた。
「水辺の森音楽祭は、政治とか思想とか宗教とはまったく関係なく、ただ、8月9日に原爆で亡くなられた人を慰霊するための音楽祭なんです。観客を動員するとか、そういうことは全然考えていなくて、唄や音楽で慰霊をしたいという人が集まって、唄を捧げるという、それだけの音楽祭です。みんながヨーヨーマになる、ということですね! だから、誰が来て唄ってもいいんです。なにを唄ってもいい。スタッフも楽しむ、歌う人も楽しむ、そういうゆるーーーい音楽祭なんです。来る人の数を誇ったりもしない、上手い下手もない。でも、この二年、いろんな人が参加してくれましたが、不思議とみんなすごく演奏が上手なんです。それぞれの音楽性がすばらしいんですよ」
「わーーー!すてきですね。私も今年はぜひスタッフとしてお手伝いさせてください。それに私もエントリーしたいなあ!」
「ぜひぜひ、演奏だけじゃなくて、詩の朗読なんかもあっていいと思うんですよね。ランディさんが来てくれたらスタッフも盛り上がりますよ〜」
ということで、翌日は若手のスタッフ、実行委員長とも会い夏に向けていろいろ面白い企画を考えることになった。私の役目は広報宣伝担当。いろんな人に音楽祭の存在を伝えて、日本中の人に呼びかけること。きっと、いっしょに歌いたい人がいるはずだから。
10年前に書いた一つの文章が、誰かの目にとまり、音楽祭へと繋がっていったのなら、自分の書いたことも無駄ではなかったのかもしれない。あのときの美しいチェロの音はもう聴くことはできない。でも、それがどんなに美しい音だったのか、あのときの私の思いは伝え続けることができる。音楽と張り合ったってしょうがない。文章には文章の、言葉の力、役目があるんだろう。
梅ちゃん、そして長崎のみんな、どうもありがとう。とっても元気が出ました。
おかげで、これからも書き続けることができそうです。
思案橋通りの手前にある、ワインバー「田舎」の入り口。アットホームなお店で、ワイン上手い!!!

お店に居候しているネコのモモ、うちの娘と同じ名前????

お世話になった梅さん。梅さん三日間楽しかった! ちゃんぽんも、チャーハンも、さらうどんも、ワインも、ピザもおいしかったです。それからいろんな人を紹介してくれてありがとう。長崎の人たちとうんと親しくなれて、早く8月にならないかと待ち遠しいです。音楽祭、盛り上がろうね!

今回、長崎に行ったのは梅さんに会うため。
去年の夏、朝日新聞の記者のOさんからもらった一本の電話が旅のきっかけだった。
「いま、長崎の音楽祭の取材をしているのだけれど、その実行委員の人が『この音楽祭を始めるきっかけは、田口ランディさんの本を読んだこと』とおっしゃっているんですよ」
私の『根をもつこと、翼をもつこと』という本に「真夏の夜の夢」という短いエッセイがある。エッセイとも、小説ともつかない妙な作品なのだが、それは私が初めて8月6日の広島を取材した時の出来事を題材に書いたものだった。
あまりにも形骸化した平和祈念式にうんざりし、これでほんとうに慰霊なんだろうか……と思い悩みつつ、灯籠流しの始まった大田川の護岸を歩いていたとき、ふと、どこからともなく美しいチェロの音が流れてきた。誘われるようにその音楽の方へと歩いていくと、そのチェロを弾いていたのは世界的な音楽家であるヨーヨーマさんで、私は唖然としつつ、でも、その音色が現世と過去を結びつけ、人々が時空を越えてこの地に憩うという幻影を見た……と、まあ、かいつまんで言えばそういう文章だ。
一度、書いてしまったことなので、そのときの思いをいま言うことが恥ずかしい。あれは2000年の出来事だった。今からもう十年も前だ。あの時、私は音楽の力に圧倒されると同時に、自分はなんと無力なんだろうと思った。音楽はその瞬間に世界の位相を変えてしまうことができる。だが……文章はどうだろうか……と。
その後、何度も広島、長崎を訪れて「被爆のマリア」という小説集を発表するものの、それは「自分はどうしても原爆とは関われない、立ち位置がわかりません」と表明したような小説だった。つまり、どうあがいても当事者でもない自分がおこがましくて、関わり方すらわからない、というのがこの十年の私で、どうしていいものやら、取材していても自分のスタンスすら見えずにおろおろしっぱなしだった。
もう、原爆は無理かもしれない……諦めようかな……と思っていた頃に、Oさんから音楽祭の話を聞いたのだ。行ってみたいと思ったが、去年は夏にインドからの留学生を受け入れており、とても家を空けられる状態ではなかった。それで、来年こそは自分も手伝い行きたい。なにより、実行委員の方がどういう思いで私の本を読んで、そして音楽会を思いついたのか、直接聞いてみたかった。
福岡から長崎へ、高速バスで移動する間、月がほんとうにきれいだった。その月を見ながら、なんだか長崎での新しい出会いが特別な事のような気がして、わくわくした。
ホテルに迎えに来てくれたのが、音楽祭を企画したという梅沢さん。私と同じ年の男性。初対面だったけれど、ずっと昔から知っているような気がした。懐かしい同級生に久しぶりに再会したような気分。梅ちゃんはワインバー「田舎」というお店をやっているというので、お店におじゃまして昨年の音楽会のDVDなど眺めつつ、「水辺の森音楽祭」のお話を聞いた。
「水辺の森音楽祭は、政治とか思想とか宗教とはまったく関係なく、ただ、8月9日に原爆で亡くなられた人を慰霊するための音楽祭なんです。観客を動員するとか、そういうことは全然考えていなくて、唄や音楽で慰霊をしたいという人が集まって、唄を捧げるという、それだけの音楽祭です。みんながヨーヨーマになる、ということですね! だから、誰が来て唄ってもいいんです。なにを唄ってもいい。スタッフも楽しむ、歌う人も楽しむ、そういうゆるーーーい音楽祭なんです。来る人の数を誇ったりもしない、上手い下手もない。でも、この二年、いろんな人が参加してくれましたが、不思議とみんなすごく演奏が上手なんです。それぞれの音楽性がすばらしいんですよ」
「わーーー!すてきですね。私も今年はぜひスタッフとしてお手伝いさせてください。それに私もエントリーしたいなあ!」
「ぜひぜひ、演奏だけじゃなくて、詩の朗読なんかもあっていいと思うんですよね。ランディさんが来てくれたらスタッフも盛り上がりますよ〜」
ということで、翌日は若手のスタッフ、実行委員長とも会い夏に向けていろいろ面白い企画を考えることになった。私の役目は広報宣伝担当。いろんな人に音楽祭の存在を伝えて、日本中の人に呼びかけること。きっと、いっしょに歌いたい人がいるはずだから。
10年前に書いた一つの文章が、誰かの目にとまり、音楽祭へと繋がっていったのなら、自分の書いたことも無駄ではなかったのかもしれない。あのときの美しいチェロの音はもう聴くことはできない。でも、それがどんなに美しい音だったのか、あのときの私の思いは伝え続けることができる。音楽と張り合ったってしょうがない。文章には文章の、言葉の力、役目があるんだろう。
梅ちゃん、そして長崎のみんな、どうもありがとう。とっても元気が出ました。
おかげで、これからも書き続けることができそうです。
思案橋通りの手前にある、ワインバー「田舎」の入り口。アットホームなお店で、ワイン上手い!!!

お店に居候しているネコのモモ、うちの娘と同じ名前????

お世話になった梅さん。梅さん三日間楽しかった! ちゃんぽんも、チャーハンも、さらうどんも、ワインも、ピザもおいしかったです。それからいろんな人を紹介してくれてありがとう。長崎の人たちとうんと親しくなれて、早く8月にならないかと待ち遠しいです。音楽祭、盛り上がろうね!

by flammableskirt
| 2010-05-02 13:08

